なかったことにしてた気持ちとあきらめてた気持ちと違う道を選んだ責任と

私は高専に進学して工学の勉強をしたのですが、社会に出てから「もう一度高校から進路を選べるなら文系に進んでいたかもな」と考えることが多々ありました。そう、「多々」あったんです。

進路を決めた時は1.進学校に行って早朝補習とかあるのが無理だった。2.女子がいっぱいいる学校が無理だった。3.高専が家から近い場所にあった。4.早く自立したかった。 という理由で高専を選びました。

高専は勉強は大変でしたけどとにかく楽しかったんです。進学したことはまったく間違っていなかった。ただ、心のどこかで「実はもっと他の選択肢もあったんじゃないか」ってモヤモヤはしていました。ずっと。

その時の私には、また学校に通い直すとか違う職業を選ぶといった考えはまったくなかったので「そうはいっても工学を勉強して技術者として仕事についているんだから」という、あきらめにも似た感情がありました。「しょうがないじゃない」っていう感じの。

時を経て。
40代半ばになって、大学に編入するという道を選び。工学とはまったく別の分野の勉強をすると決め、それを実行しました。大学の担当教員に「資格を取ったらこの分野で仕事をしたい?」と聞かれて「え、みんなそうするんじゃないの?」と思いながら「まあ、そうですね」と答えていました。それが当然だと思っていたんですよね。「この分野の仕事がしたいからみんな資格を取るんじゃないの?」と。

実際に何ヶ所か職場を見させていただいたり、内定をいただいたりもしたんです。でも、なんか違う。なんとも言えない自分の中の違和感を拭い切れないなと思いながら「でもせっかく内定もらったんだし」という気持ちと戦っていました。
そして「私は本当に現場に出たいのか」と考えました。

そんな時に息子と話をしていて「医学部に行ってもみんながみんな医者になるわけじゃないんだよね」っていう話になって。「医者になるか、研究者になるか」ああ、そうか。医学生という立場に自分を置き換えてみたときに、きっと私は研究者になる道を選ぶだろうなと思いました。
そうすると、答えは自然と導き出されて「よし、大学院に行こう」と。
もっともっと知りたいことがたくさんある。現場でしか経験できないこともたくさんあるだろうけど、それより私は研究がしたいんだと。何気ない会話から気づかされました。

まだまだ忙しい日々は続きそうです。


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