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未知の世界へーーーよく晴れた秋の日のお散歩

先日久しぶりのひとり時間を持った。

1歳になった息子を夫に見てもらい、時間にして3時間。


子どもがいないときは一人が当たり前で、ひとりカフェもよくして、今思えば、とても自由で、とても贅沢な時間だったなあ。

久しぶりの自由時間。

特にしたいことがなかったので、自分の感覚を研ぎ澄ます時間にしようと決めた。行先も決めず家を出て、そのときそのときの自分の感覚に耳を澄まして散歩することにした。


息子がお昼寝をしたところで、家を出た。秋晴れの日差しが優しく強く射している昼下がりだった。


「さあ、歩く?車に乗る?」玄関を出て、自分に問いかける。

『車に乗る気分じゃないな。』自分の感覚が答える。

「よし、じゃあ歩こう。」

こうして手探りのお散歩が始まった。自分の感覚のままに歩く。自分の感覚に従うというのは、"内なる自分との対話"するようなもので、選択肢が浮かぶ度、自分の感覚に問いかけ、耳を澄ませた。

そのまま近所の分かれ道に入った。

いつもの道は街に出る近道。もうひとつの道は、街に出るには遠回りで上り坂。坂を上ると小さな公園のある住宅街に出る。

『いつもの道は嫌い』急に感覚の声がする。

「え、嫌いだったの?」

自分でもびっくりしたけど、いつもの道は本当は嫌いだったみたい。確かに、近道だし平坦な道だけど、車通りが多く、歩道がなくて。家が所狭しと建ってて閉塞感があって好きじゃないのだ。

「なるほど、いつもの道は嫌いだったんだね。じゃあこっちへ行こう」

まわり道の坂を上がりきると、景色が開けて、晴れ渡った空がより広がった。お日様がぽかぽかとして気持ちがいい。

「ああ。だからこの道が好きなのか」

お日様のベールに包まれた気分でいると、ふと、私の幸せってこういうのなんだよな、と思う。
こんな幸せを望んでいるだけなのに、なんて、センチメンタルな気持ちがしてきた。どうしたんだろう。

すると、『電車に乗りたい』と感覚の声がする。この頃には、問いかけずとも感覚の方が先に働き始めていた。

『川が見たいな』とも同時に思う。

京都と言えば鴨川かなと思い、鴨川に佇む自分を予想してみる。

けれどイメージしていると、ますますセンチメンタルな気分に。たぶん、辛かったときよく鴨川を歩いたからだ。

川は見たいけど、これ以上センチメンタルになりたいのかな、と疑問が出てくる。

あ、そうか、今育児疲れが出てて、違う過去の辛い気持ちとリンクしてしまい、気持ちが蘇っているんだ。

少し遡りますが、就職して2年ほど経った時、仕事のことで一度鬱になったことがある。回復したけれど、今でもセンチメンタルな気持ちになると、あの悲しかったときの暗い気持ちの闇が何時の間にか私をじわじわと覆うことがある。

イメージとしては、暗い感情の水路が一度通ってしまっているので、その方向へ半ば自動的に感情が流れやすくなっている感じ。

けれど、最近、暗い気持ちに流れやすい自分に気付いて、それは嫌だなあと思った。鬱になる前には考えなかったようなことを、今でも頻繁に思ってしまうのは不健康だなと。


「どんな気持ちになりたいかさえ、自分で選べる。選ぼう。」そう思った。


鴨川に行くのはやめて、とりあえず電車に乗ることに。行き当たりばったりの旅のように、電車を乗り継ぎ、降りたいと思った駅で電車を降りた。

そんな自分の感覚による選択を重ねて、あるカフェに辿り着いた。インテリアも美しく、接客も優しく。建物が吹き抜けになっていて、2階の席に座った。

ふと1階に目を向けて見ると、なんと床が川のような模様になっていて、はからずも、川を見ることが出来た。おいしいケーキとコーヒーを頂き、周囲を散策して気持ちよくリフレッシュした。

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もし、最初に川を見たいと思った時、「川の見えるカフェ」とスマホで検索しても、このカフェには辿り着けなかった。

下調べもせず、自分の感覚に従って、素敵なカフェに辿りつき、気持ちのいい時間を過ごしたこの手探りのお散歩。


人生もこのお散歩のようなものかもしれない。


思考を使ってめいっぱい下調べして歩くお散歩は、失敗がなく、リスクもないかもしれない。けれどリスクがない代わりに、未知の世界には辿り着けない。

一方で、自分の感覚を頼りに、そのときそのときのいいと思う方向に進めば、予想もしなかったところに辿り着くかもしれない。けど、自分の感覚に添う場所であることは間違いない。

感覚に従って選択をするとき、私たちが引き受けるのはリスクではなく、"未知への恐れ"なのだなあ。

お散歩しながら、そんなことを思っていると夫からLINEが入る。

どうやら私が散歩に出た後、息子がすぐに起きてしまい、夫も息子の相手を頑張ったものの、甘えたい盛りの息子がグズって、てんてこ舞いらしい。

夫に感謝を伝え、すぐ帰るとLINEした。私は一児の母の顔に戻り、小走りで家路についた。