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呪いの結び目


今年は、いろいろな意味で節目の年だ。
コミュニティカレッジを卒業して、半年のインターン期間ももうすぐ終わる。このままアメリカの大学に進むか、別の国の大学に編入するか、はたまた日本に帰るか。
一番大きい問題はコストの問題で、未だにはっきりとした方針は固められないでいる。

先日はシアトルの領事館に、期限が切れるパスポートの更新に行ってきた。
私がパスポートを取得したのは5年前、16歳の時。当然5年のパスポートしか申請が出来なかったから、5年のを取得した。その期限がもう切れる。
VISAはそれよりも半年ほど遅く取得したから未だ時間はあるが、どこかのタイミングで更新をしなければならない。コロナの影響でアメリカを出るのに不安があるから、事態が少しでも好転しますようにと、ただ祈る日々だ。

こうして進路のことを考えていると、昔のことを思い出す。
あの時も、何をどうすればいいか分からなくて、はっきりとした進路も、未来の展望も見えないでいた。
不安ばかりが胸を衝いて、眠れない夜を過ごした。
あの時は、高校に戻ることは考えられなくて、でも研究をしたいという夢が諦められなくて、家にいて何もしない事に罪悪感を抱いて、もどかしさに喘いでいた。
いろいろな道があったけれど、結局はアメリカに飛ぶことが決まって、そこからとんとん拍子にここまできた。もしアメリカに来ていなかったら、何をしていたのだろう。人が少ない田舎に引き篭もっていたか、高校卒業認定を取ってドイツ辺りの大学にいたのかもしれない。

過去に閉ざした未来の道を思うたびに、不思議な気分になる。
きっと、今これからする決断も、未来から振り返れば同じようなものになるのだろう。

アメリカで進路を決めるとなると、今のホストファミリーと離れたくないという欲求が出てくる。
彼らと過ごすようになってもう5年。大きな諍いは一度もなく、穏やかな日々を過ごした。人間関係に悩んでばかりいた私には、天からの贈り物だと思えるくらい、素敵な人達だ。私が今までの人生で得た中で、一番の幸運だと言えるくらい。
元々の言語学校とコネクションのあるコミュニティカレッジではなく、近くのカレッジに自分で手続きをして入学したのも、偏に彼らがいたからだった。

彼らのおかげで私は人に優しくなることが出来たし、自分を愛してもいいのだと思えるようになった。
惜しみなく愛してくれる人がいて、私の喜びを一緒に喜んでくれる人がいて、苦しいばかりだった心が癒えていくのが分かった。

昔は、人に相談をするのが苦手だった。
それは単に面倒だからというのもあっただろうし、自分で出来る分は自分でやってしまえばいいと思っていたから、何もかもを自分で決めて、必要なステップだけを人に任せた。
それは相談ではなくて、「こういう風に決めたから認めてほしい」という提示で、その方が楽だし、早いし、迷惑もかからないから、それでいいと思っていた。

だけどホストファミリーはよく、私の進捗を聞いてくる。
「どうしたの?」「何がしたいの?」「これからどうする?」
私は最初、その時点で確実に決まっているところまでを答えていた。未だ確定していない情報は伏せていた。
そうするとホストファミリーは決まって、「これはどう?」「こうするといいと聞いたよ」「こんなことも出来るよ」と返してくる。
それらは時折、今まさに私がやっている手続きで、まだ確定していないから話していないだけだった情報だったりした。だから私は、その未確定な情報をホストファミリーに話した。ホストファミリーはまたそこから、新しい情報を出したり、一緒に考えたり、話し合ったりしてくれた。

それがいわゆる相談のようなものだと気がついたのは、私がもう聞かれる前に自然に、未確定な情報まで話すようになってからだった。
「こういうことをやってるけど、どうなるか分からない」「あれとこれと、あれをやらなきゃいけない」「手続きは全部したけど、今は向こうの返信を待ってる」
必要のない会話だと切り捨てていたもの。自分のことを話すのは苦手だった。それが、自分の気持ちに関わるものだったら、尚更。
人に自分を開示するのを怖かったし、私個人の感情なんて誰も興味がないと思っていた。
そういった、意固地な、呪いのような縛りを、ホストファミリーはゆっくりと、時間を掛けてやさしく解いてくれた。

そう考えるたびに、目の縁から静かに涙が溢れてくる。

私は、人に甘えるということを覚えた。
きっとそれは、私がアメリカに来て得たもので、一番の宝物だったのだと思う。
英語も、議論の仕方も、論文の書き方も、多様性も、異文化から来た人との交流も、アメリカの歴史も、アメリカに来てからたくさんのものを学んで、たくさんのものを得た。だけどそのどれもが、きっと「人に甘える」という行為より、尊くはないのだと感じる。

そういう呪いを、多分少なくない数の人が抱えている。
堅苦しく言えば自己愛の欠如。自分自身の価値の喪失は、自分ではどうにも出来ない問題だ。
その呪いは、歳を重ねるにつれどんどん深くなる。解呪不可能になって、触れるたびに痛くて、誰にも触れさせられなくなる。

その前に誰かが、その呪いを解いてあげないといけないのだ。でも今、この世界にそれが出来る人が、どれだけいるのだろう。
みんな呪いを隠して生きているし、その呪いを見つけることさえ、余裕のない人には難しい。呪いを解くのは、時間がかかる。その呪いを形成するに至った分の、もしくはそれ以上の時間が。

だから私は、無責任に人にやさしくあろうと思った。
私の呪いはまだ解けかけで、完全に解くには短くない時間がかかる。とても、他人の呪いを解く手助けをする余裕はない。
でもその呪いの結び目を、少し緩めるのは、難しいことじゃない。時間を掛けて硬くなる呪いの結び目は、人のやさしさに触れると少し緩む。ホストファミリーに出会ったおかげで、私はその存在を省みることが出来た。過去にもらった小さな優しさに、気がつく事ができた。その優しさを思い出すたびに、私の結び目はまた少し解ける。それを繰り返して、呪いは消えていく。

私もそういった優しさを、誰かに返したいと思った。
まだうまくできないけれど、今日このnoteを書いたのは、一つの宣言だ。私はもっと、人に優しくなりたい。

そんなこんなで、突発的にとりとめのないnoteを書いてみました。
心が荒んだ時、他人に優しくなれない時、私は何度もこのnoteに立ち返るのだろうし、他の人にもそういうnoteであったらいいなと思います。

良い一日を。

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