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ホモサピエンスにポリアモリーはまだ早い


最近、不倫の話題をよく見る。
私は芸能人にも世間を騒がすニュースにも疎いので、もっぱらTwitterで見た情報しか知らないのだけど、どうやら芸能人が不倫をしたらしい。
まぁ、よくある話だ。

不倫の話を聞くと、私も人並みにモヤモヤはする。だが「不倫は悪い事だ!」と正義や倫理を叫ぼうとは思わない。
それなりに理由のある不倫も存在するだろうし(「夫のチンポが入らない」などに出てくる行為が不倫として断罪されるべきなのか? と首を傾げてしまうし)、不倫と一口に言ってもいろいろなケースがあるだろう。

不倫が法律上犯罪であるという事実はさて置いて、これは不倫や浮気に限らず言えることだが、これらの一番の問題は相手の信頼を裏切って傷付けているという点だ。
不倫や浮気をする人が身近にいると嫌だと思うのは、相手を傷付けても平気でいられるという精神が、いつか私にも適応される可能性があるから。
私の場合はこれに尽きるし、浮気や不倫を正当化するつもりもない。

ただこういう話を聞くと、「なんで浮気や不倫をするのだろう」という極めて純粋な疑問が湧き上がる。

私にはそもそも性欲が存在しないので、性欲の暴走とも言える浮気や不倫は、まさに理解できないオブ理解できない。
広範的に性欲を感じるというのは理解できたとしても、それが誰かを裏切るほど強いものなのか? というか性欲ってなんだ? と堂々巡りの疑問が日夜私の脳内を犯し、考え込んだ挙句チンパンジーやゴリラに結論を任せてしまう。
悪い癖だ。

「浮気は男の本能だよ!」と声高に主張をする人もいるが、チンパンジーの雌が発情期の半年間に五十近くの雄と交尾する事実を考えれば、それは男に限らないのでは? とも思える(避妊をしている時点で本能も何もないが)。

この永久の謎を解決する為に、時間と余裕があれば浮気や不倫をする人のエッセイなんかを読み漁るのだけど、やはり理解ができない。
理解ができないというより、良心の呵責やストレスを溜め込んでまで行為に執着するその様は、理解できない私には依存症のそれにしか見えないのだ。

だから私は視点を変えた。
この世界には、素晴らしき文明の軌跡がある。
主神が恐るべきプレイボーイであるギリシャ神話や、不倫のやり方を説いたカーマ・スートラだってこの世に存在する。
それらを駆使し、またゴリラやチンパンジーにも力を借りて、この無理難題を解決してみせる。私は自粛でおかしくなったメンタルで、グッと拳を天井に突き上げた。


浮気という概念は、当然のことながらチンパンジーやボノボには存在しない。
そもそも浮気や不倫という概念が存在するのは、私達が番いを元に社会形成をする生き物だからだ。
人間の番い形成には進化論的にいろいろな説があって、ジャングルから出て死亡率(特に赤子の)が上がったので多産になったからだったり、子育てがより大変になったからだったり、そもそも排卵期が明確でなかったり、と言われている。

この中で浮気や不倫を抑制するのに一番関わっているだろう要因は、多産だ。
ヒトは一ヶ月に一回排卵し、出産スパンが十ヶ月。チンパンジーが4, 5年に一度しか排卵しないことを考えると、かなり高い頻度だと言える。
そして排卵期が明確ではないことによって、雌がいつ排卵しているかを明確に知る方法がなくなり、いつ性行為をしても妊娠する可能性が高くなるという状況が生まれる。

ヒト以外の霊長類では、性行為は社会的つながりの形成に大きく寄与しているが、いつでも妊娠してしまう状態で不特定多数と関係を持ってしまえば、番いである相手の子供を産む確率が著しく下がってしまう。
番い社会である以上、このような事実は見逃せるはずなく、よって女性の不貞を制限する文化や風習が各地で発生した。

女性が不特定多数と関係して子供を残す道もない訳ではないが(実際にマッコウクジラなんかはそれに近いが)、そうするには女性だけで身を守れるよう組まれた社会形成と身体的強化が必要だ。しかし、結局進化と人類史はそちらの方向には発展しなかった。

反対に男性を制限する要因は、子育てにある。
ヒトの子供は子育てに多大な労力と時間がかかるので、基本2人以上の女性と子供を持つと、十全に子育てがこなせなくなる。

だが、農耕の発展によって富が偏り始めると、複数の女性と子供を持っても、子供を育てきれてしまう状況が発生するようになった。
この場合、男性は番いに拘る必要がなくなるので、ハーレムと呼ばれる社会を形成する。結果、男性の浮気や不倫に比較的寛大な文化が形成される。

これは歴史を辿れば日本にも見られた普遍的な現象であって、もちろん農耕以前の社会形態についても裏取りしなければいけないけれど、わりと有り得る仮説だと思う。

したがって、男の浮気は本能なのではなくて、進化・文化的に条件付きであれ容認されてきた行動であった、というだけと言えるのではないだろうか。


番いの価値の上昇や、浮気や不倫を断罪する流れは、キリスト教に軸を置く恋愛至上主義によって再び各地に広まった。
同時に、女性の社会的地位・力が向上したことで、また富の一極集中化がある程度緩和したことによって、その流れは非常に強い力を持った。

ただ同時に、避妊技術の発展によって、「性行為をすれば子供が高確率で生まれる」という状況も変わった。
これは本来霊長類の間で社会的つながりに寄与していた性行為が、多産であるヒトでも可能になるポテンシャルを持った、重要な発展だ。

現状は、この二つの間で揺れるのではないかと思う。

私個人としては、男性女性その他性別を問わず、浮気というものは存在するのだと思うし、それは「性行為をたくさんできる俺/私すごい」という「お酒飲める俺/私すごい」とほとんど変わらない風潮と、「誰からでも良いから愛されたい」という一見病的な求愛精神に後押しされているのだと思える。
(社会的つながりを形成する上で浮気と不倫をする、みたいな状況はそうそうない気がする。今の社会は逆にそれで社会的地位を危うくするし。いや、誰からでも良いから愛されたい、という欲求はそれに近いのだろうか)

私には性欲というものが存在しないので(誰かといてセックスをしたいと思うその感情の意味がわからない)、私の視点からの性欲の分析は勘違いを多分に含むと思うけれど、不倫や浮気をしている人でしあわせそうな人を見たことがないので、あながち間違ってないのかもしれない。

結果、総論としては最初に書いた「人の信頼を裏切ったり、傷付けたりできる人は嫌だ」というこの一文に集約される。

性行為を広範的に行い、社会的つながりを形成するには、性行為の持つ価値があまりにも高すぎるし、ヒトは性行為を介さずとも社会的つながりを形成できるように進化してきた。

ホモサピエンスにポリアモリーはまだ早いと思うんだよね。
(ポリアモリーの人たちを否定する意図はないです)

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