科学のきっかけ
私が科学に興味を持ち始めたのが正確にいつなのかはよく覚えていない。
覚えているのは、小学6年生の時の自由研究が「自然エネルギーの仕組みと利用、そして問題点」のレポートと燃料電池だったことだけだ。
この自由研究をやろうと思ったきっかけは、小学5年生の3月に起こった東日本大震災だった。
だから私は勝手に、この悲惨な自然災害を私が科学を始めたきっかけとして捉えている。
東日本大震災が起こった時のことを、今でも良く覚えている。
東日本大震災の揺れが来た時、私たちは集団登校の集会を学校でやっていた。放課後だった。
小学5年生の時分、6年生が近所にいなかったので朝の集団登校の班長と副班長を同級生の友人とやっていて、その日も何かを話し合っていたのだろう。
その時、そこそこ大きい揺れが来たと記憶している。
後で調べてみると、私が住んでいる地域では震度4を記録していた。
しかし、震度4といっても普段より多少大きいくらいで、一年に一度は起こるレベルの揺れだ。
実際周りも「大きかったねー」とのんきに話していたし、それがまさかあんなに大きな震災だったなんてその時は知らなかった。
だけど、集会をやっている教室の中ずっと細かに揺れ続ける蛍光灯を見ていて、得も言われない焦燥感が胸を襲ったのを覚えている。
その日はその後すぐ集団で下校して、家のすぐ近くでみんなと別れて、逸る心を抑えてニュースをつけた。
ニュースをつけた時の、衝撃。
その日はどの番組でも地震のニュースをやっていて、すぐさま大きな地震が起こったのだと理解した。
私の人生の中で、これほど大きな地震を見たのは初めてだった。(阪神淡路の後に生まれたから)
本で読んだ阪神淡路の様子が頭を横切り、唖然とニュースを見た。
次々と押し寄せられる、津波の情報。
15......15メートルって何? 何メートル?
ニュースキャスターが、淡々と情報を伝えていく。
Twitterを開く。更に情報が押し寄せてきた。
何、何これ。何が起こってるの。
母親と妹が帰ってくるまで、戦々恐々としながら時間を過ごした。
人が、簡単に死んでしまうのだということ。
そしてそれは、どこにでも、いつでも起こり得るのだということを受け止めきれなくて、ただただニュースを見ることしかできなかった。
数日経って、被害状況もまとまり始めた頃。
相変わらずテレビは震災の情報を流しているし、CMだってACばかりだけど、私もちょっとずつ落ち着いた。
落ち着いてから、「どうにかならないのか」と考えた。
これから、こんなにも人が死ぬのは嫌だ。自分が、周りの人間を失ってしまう可能性を抱えながら生きるのは嫌だ。そう思った。
その時に常温超電導の研究について知ったし、地震に強い建築の知識も被害状況が拡大した原因についても、その時に得たものだ。
そして暫く経って、今度は原発事故についてのニュースがされるようになった。
討論番組はそれで持ちきりだったし、私も幼いながら「なんでこんなに社会で合意が取れないんだろう」と不思議に思った。
危険な発電方法を使うのは自然災害が多い日本では危なすぎるし、自然発電などの可能性も示唆されているのに、どうしてそれではいけないのだろう。
そんな疑問を持っていたから、翌年の自由研究でそれを取り上げた。
科学に興味を持ったのが、正確にいつなのかは覚えていない。
もしかしたら、震災が起こる前から興味を持っていたのかもしれないし、興味を持っていたからこそ、震災をきっかけに科学に傾倒し始めたのかもしれない。
わからないけど、私の初期の科学体験は深く震災に紐付いている、それだけは確かだ。
以前、友人と話していた時に、
「若い子はラッキーだったよ。震災をきっかけに社会の問題が湧き上がってきたから、それを元手に将来を考えることができる」
と言われたことがある。
確かにあの大きな震災は、私たちの人生や価値観を根本から叩き潰してしまうだけの威力があったし、実際にそれで人生の道を変えてしまった人も多くいただろう。
私にとってもあの震災は科学の入り口であると同時に、社会の入り口でもあった。
震災をみんなどんどん忘れていく、と嘆く人がいる。確かに当時よりも、震災のことを考える時間は減っているだろう。
だけどあの体験は、みんなの深いところにずっと根付いているものだとも思うのだ。
亡くなってしまった多くの人に冥福の祈りを、そして今でもあの震災の深い傷に苦しんでいる人たちに心を。
あの時の痛みは、遺された人に繋がっています。
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