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成長


新しい手帳が必要になって物入れを漁っていたら、五年ほど前に使っていた手帳が出てきた。
日本にまだいた時から、アメリカに来てすぐの頃にも使っていた手帳だ。
未だ短い私の人生の中で、それでも一際苦悩に塗れていた時期の手帳だが、中身は大したことのないメモ帳だった。お世話になっていたカウンセラーの人には「日記をつけてみたら」と勧められていたのに、一文字も当時の心境は書かれていなかった。

その手帳には、英単語だけがずらりと書かれたページがあった。

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横線で消してあったり、波線が引いてあったり。
この単語だけが書かれたページが、何ページもあった。
ここに書かれている単語は、恐らく当時、私が知らなかった単語を書いて、何度も見直していたページなのだろう。
横線で消されているのは、完璧に覚えられた単語。波線で強調されているのは、どうしても覚えられない単語。

知らない単語に出会う度に書き記して、家に帰ってから意味を調べていた。
単語だけを書いて、意味を書き写さなかったのは、見直して意味を思い出せなかった時に、その都度調べるようにするため。
その方が、記憶の定着にはいいと思っていたからだ。

この単語達は、今の私が見ればすぐに意味が分かるものばかりだ。
論文にも、本にも、ニュースにも、時折出てくる少し難しい単語。
そういう単語を粘着質に書き残して覚えようとした、当時の私の必死さがこの手帳からは伝わってくる。

相当、悔しかったのだと思う。

議論の最中に語彙力がなくて、言葉が分からなくて、口を噤むしかないことが。内容自体は理解できるのに、言葉が分からなくて本を一冊読むのに一日かけるもどかしさが。
当たり前にできるはずのことができなくなるという経験は、当時まだ十代後半で思春期だった私には、痛烈だったのだと思う。

だから何度も書き写して、見直して、少しずつ語彙を増やした。
今の私がこの手帳に書かれた単語を見て、すぐに理解できるという事実こそが、あれから随分成長した証だ。
そんな過去の必死の努力を、私はこの手帳を見つけるまで、忘れていたのだけど。

今は分からない単語も少なくなってきたけど、それでもまだ不便を感じることもある。
3歳の頃からずっと読書をしていたから、日本語と比べると圧倒的に語彙が少ないのだ。何かを言おうとして、言葉が思い付かずに詰まることもまだある。
新しい分野の論文を読めば、専門用語が分からなくて四苦八苦することもある。
何年経っても、五年前から成長していても、まだまだ知らないことばかりだ。

今でも新しく知った単語はメモに残していたりするのだけど、それでも手帳に必死に単語を書き写していた時ほどの熱量はない。
思春期を超えてしまった私が、あの時のようにアイデンティティクライシスを起こすことは、どれだけの苦悩を抱えてももうないのだろう。
あの時の不安定さと必死さを、たまに懐かしく、愛おしく思う。

過去に必死になって背伸びした私の成長を、こうして数年後の未来で感じることが、せめてもの祝福だ。
きっとまた数年後、私は今の私を思い返して成長を実感するのだろうし、その時を思えば、最近始めたばかりの新しい分野の勉強も、その苦しさも、耐えられるような気がする。

そのために人は日記や記録を残すのだなと、物置から真新しい手帳を見つけ出した私は、その真っ白なページを見ながら思った。

私はこの新しい手帳に、これから何を残すのだろう。

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