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正義の使者…なのかもしれない

この世には目には見えない闇の住人達がいる。
奴らは時として牙をむき君達を襲ってくるかもしれない。

彼はそんなやつらから君達を守る為に地獄の底からやってきた正義の使者…なのかもしれない。

あの有名なOPのナレーション

お色気・ギャグ・バトル、ジャンプ漫画の3大要素を詰め込み、さらにホラー要素まで盛り込んだ有名漫画『地獄先生ぬ〜べ〜』のアニメのOPで流れるナレーションだ。
妖怪なども出てくるので非常に怖いテイストなナレーションかつ「正義の使者…なのかもしれない。」という何ともいえない表現がまた恐怖を駆り立てている。

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毎月給与明細を見るたびに、天引きされている税金を見て溜息をつくのだが、「税金の無駄遣い」や「そもそも税金を取りすぎだ」という声もちょくちょく聞くようになった。
中でも”ジェンダー”というものは、かなり丼勘定で税金の無駄遣いの一つでありながら、その無駄遣いの様は世間に晒されることはなかった。
そんな”税金の無駄遣い”に対して”正義の使者…なのかもしれない”だなんて期待をされた人間がいた。
Colabo問題で今や時の人となった暇空茜氏。
最初は”税金の無駄遣い”に対して恐れることは何もないと言わんが如く、先陣を切って果敢に乗り込んでいき、その様子に多くの人が応援したはずだ。しかし、次第に彼の強烈かつアクの強い性格が表立ってきてしまい、彼自身に対して相当好き嫌いが分かれてしまう格好となった。

そんな中、どんな物事も百田尚樹と絡めないと気が済まない人()から質問箱経由で、こんなコメントがあった。(認知が限界勢と変わんねーな)

これを質問した方、全部百田尚樹のせいだBOTに改称してはいかが?

この質問に関してだが、私はハッキリ言ってNoの立場だ。
決して百田尚樹と関わったから言論が変節したという訳ではない。
(もしそうだと仮定した場合、説明がつかない人物が多すぎる)

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Colabo問題だけでなくそこに関わる”ツイフェミ”と呼ばれる人たちに共通するのが、非常に他責的であり非常に他罰的な点だ。
それが如何程のもであるかは、多くの方々が論じているので、そちらを参照していただきたい。もちろん、暇空氏もnoteやブログ、YouTubeで解説していたりする。

ツイフェミの代表格といえば仁藤夢乃氏であろう。
彼女の日々の言動を見ていればわかるが、まさに他責的&他罰的のオンパレードである。
ましてや、何でも白黒ハッキリつける、いやカラーコード#FFFFFF以外を白とは認めないと言わんばかり言動を繰り広げている。
代表的な例といえば、米山隆一氏と室井佑月氏への度重なる言動であろう。思想的にはリベラルな米山夫妻であるが、米山氏の過去の事件があってか、彼のことを「パパ活買春おやじ」と揶揄したり「妻も夫の性欲処理機ではない。」彼の妻である室井佑月氏に向けてるのかと捉えかねない言動など、自分の意向に完全一致しないものは全て敵認定して全方位に論戦を仕掛けていた。

そして暇空氏も仁藤氏や石川優実氏などの名だたるツイフェミたちの問題点やColaboに代表される彼女たちの息のかかった団体を調べたり(インプット)、noteやブログやYouTube、Twitterなどさまざまな媒体であの手この手で発信している。(アウトプット)発信を終えたらさらにより詳しく伝えるために後続の情報を収集し(インプット)、更なる情報を得て発信する(アウトプット)。

相手がいかに問題であるかを調べて発信する。このインプットとアウトプットの循環を行うことで、暇空氏は自分の敵として認定していたツイフェミたちの、他責的&他罰的とカラーコード#FFFFFF以外を白とは認めないごとく自分の意向に完全一致しないものは全て敵認定して全方位に論戦を仕掛けるスタイルをインストールしてしまったのだ。

動物は学習する生き物であるが、悪いものを学習してしまうというのも良くある話である。

しかしこれを対岸の火事と思ってはならない。
なぜなら私たちの身の回りに起こりうる話であるからだ。

暇空氏のようなインプットに時間かけてないから大丈夫!と思っている人もいるかもしれないが、各界隈の最底辺の極論や反対意見(≒傷つけていい悪魔)を見つけて吊るし上げては「こんな不届き者けしからん!」と呼びかけて終わりのない戦争を繰り広げている放火魔ごっこも立派なインプットになる。自らの意思によって、傷つけていい悪魔を見つけてくる。それを繰り返しやることによって積み木のように”情報”がインプットされるのだから。

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インターネットは私たちの生活に大いに快適にした。
その分、多くの雑音ともいうべき”情報”が人間の脳みその処理能力では到底追いつかない量で押し寄せてくる格好となった。その結果、”インターネットのギスギス”感に疲弊してしまっている現状だ。
別にTwitterなどのSNSに限った話ではない。mixiの時代でもそうだし、2ch全盛期だった頃も、多くの人が”インターネットのギスギス”感に疲弊していただろう。
しかし、現在は文字通り老若男女がインターネットにつながりすぎている。
”インターネットのギスギス”感というのは現代病とも言えるのかもしれない。

インターネットは地獄の底というより肥溜めの底と言った方がいいだろう。
「肥溜めの底からやってきた正義の使者…なのかもしれない」と思わず形容してしまいたくなる人物が大きな声を出しやすい構造になるのがSNSだ。
しかし、そうした者たちが発する”インターネットのギスギス”感から距離を取ることはできる。”インターネットのギスギス”感に冒されて同じ穴の狢になる前に。

しかしそれは、各々の主体性にかかってくる。
主体性を促されるというのはインターネットに常駐している方々()にとっては非常に不愉快なものらしい。
なので今年も私は一人で”インターネットのギスギス”感から適切な距離感を保つために色んなことをしていきたい。


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