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なにしろ不毛なヌルヌルうなぎ

 今朝は早起きして午前中に勉強を済ませ、午後から出かけて事務処理に勤しんだのだけど、そんなふうに過ごすと充実感はあるものの朝早くから動いたせいで夕方にはもう眠い。なにしろ勉強はしなくてはならないし仕事だってこなさなくてはならない。最近は処理すべき事務がちょっと増えているし、FGOの高難易度もやっておくべきだ。本当に、生きるというのは全くもって多事多端なことである。

 昨日の記事では、「事実」の確認のために「議論」を求めているようで、実際には自身の価値観を主張するために語っている人たちの話をしたけれども、この種の人たちには語ることの内容だけではなくて語り方のスタイルにも共通する特徴がいくつかあって、その一つが「ヌルヌルうなぎ論法」なのではないかと、私としては思っている。

 「ヌルヌルうなぎ論法」というのは私がいま勝手に考えた名称だが、これはどういう「論法」であるかというと、自身の主張の矛盾点や事実関係の認識の誤りを指摘された時に、そのことは完全にスルーして(つまり、訂正や謝罪や再検討などはいっさいせずに)、「じゃあこれはどうなんですか?」と、とにかく無限に新しい「論点」をひねり出して相手にいちゃもんをつけ続けることで、徹頭徹尾、自身を「問う側、論難する側」に位置づけ続けるというスタイルである。言うまでもないことだが、そのひねり出された「新しい論点」だって、それまでと同じく穴だらけのものであることが大半だから、再び矛盾や誤りを相手からは指摘されることになるのだが、そうしたらまた何でもいいから次のいちゃもんを持ち出すのが彼/女たちのやり方だ。

 要するに、彼/女たちの目的は対話を通じて「事実」の確認をしたり、あるいは互いの主張を明らかにしてその精度を上げたりするようなことではなくて、とにかく己を「責める側」に置き続けるということだから、自身の主張の筋が通らないところを相手方から指摘されて省みるといったようなことは、その種の人たちにとっては余計なことというか、むしろ絶対にしたくないことなのだということである。

 彼/女たちがなぜそのように振る舞うのかと言えば、それはもちろん己の価値観を相手にとにかく押しつけるということがそうした人たちの目的であるからであって、ゆえに彼/女たちは相手が自身を全肯定してくれるまで、無限のいちゃもんを繰り出し続ける。そうした人間の相手をするほど不毛なことはないのは当然のことだから、私は「ああ、この人はヌルヌルうなぎ論法の人だな」と気づいた時点で、その人との対話はストップして、以後はいっさい関わらないことにしている。

 冒頭にも述べたように、人生は多事多端であって、限られた時間の中でやるべきことはたくさんある。なにしろ人間というのはいつ死ぬのかわからないのだから、今後もできるだけ不毛なことに費やす時間は節約して、私にとって有益なことを、もっともっと多くやれる余地を確保していきたいなあと改めて思う今日このごろなのであった。


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 チカさんとの対談(フェミニズム、異性愛中心主義、aセク) part1
 チカさんとの対談(フェミニズム、異性愛中心主義、aセク) part2
 チカさんとの対談(フェミニズム、異性愛中心主義、aセク) part3
 チカさんとの対談(フェミニズム、異性愛中心主義、aセク) part4
 パコランディウス師の獅子吼
 わとりんさんとの対談(農業、シーシャ、メンヘラと女子化)

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