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「無菌室」へのリトリートにより、かえって「感染」を深刻にする人たちのこと

 昨日のエントリでは「茹でガエル」の話をした。火によって熱せられる鍋の中にいる蛙さんたちは、そのほとんどが、「周囲の水温が上昇しているという現実を自分は直視している」と思いなしているものの、他方で現状の事態の根本的・構造的原因をなしている鍋や火の存在については多く閑却している。ただ、その中でも相対的に少数の蛙さんたちに関していえば、様々な手段によって鍋や火の存在を知り得て、「現実」認識の拡張に成功するものもいないわけではない。ところが、そのような珍しいタイプの蛙さんたちであっても、彼/女たちが日本という鍋の水の中にいる場合には、なぜかしばしば「現実教」の引力圏に再び舞い戻り、「茹でガエル」の地位に留まることで満足する道を選びがちだ。これはいったいなんなのかということを、私はずっと考えてきた。

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