自分とは、何?

自分という単語は当たり前だが、”自分”を意味する。では、自分とは一体何かを詳しく説明できるのか?僕にはできないと感じる。

我思う我あり、そんな言葉は洒落てると思うが、思考するだけで本当に自我が生まれているのか?さらには、思考するとは一体何なのか?本当に思考していると証明できるのか?自分が生きていて、思考している、自分自身がこの世存在していることをどのように客観的に説明するのか。僕のような馬鹿にも分かりやすく説明してほしい。

自分という人間は思考しているゆえに生まれているとする。これを前提とすると、思考はどのように動作しているのか?思考回路のような思考の原理はどうなっているのか、そんなこと理解して生きている人はこの世にどれくらいいるだろうか。

僕は思考回路どころか、電気回路すら理解できない。電気回路すら理解できない脳は果たして、思考力があるのか?思考力が無い人間は果たして生きているのか?つまり、僕は本当に思考して生きているのか?という疑問に行き着いてしまう。

話は逸れるが、人間にとって最も欲望するものは、痛みから逃れることだと思う。痛みが酷くなると死に至る。逆に痛みを欲望する人はいるか?いないだろう。痛みは人類が最も避けるものである。戦争が起き痛みが生じるとすると、喜ぶものはいるだろうか?いないだろう。

どこかで見た話だが、東アジアは人類の戦いから逃れて来た最果ての地というものだ。もし、この話が本当だとすると東アジア人、つまり、日本人は最も生きたい欲が強いのではないかと思う。その日本人の生きたい欲というのが、世界で最も長寿であることに繋がっているのではないかと思う。実際は、高度な医療が提供されるからだと思うが、医療のレベルが高いというのも実は、痛みから逃れたい欲が本能的にあることからきているのではないか。

で、僕自身も日本人である。ただ、自分とは何か?思考するとは何か?は分からない。自分自身というものを詳しく説明できない。自分の思考回路すら説明できない。何ができて何ができない、何をしたくて何がしたくない、自分のことについても根本的に分かっていない。ただ一つ分かっていることは、“痛みからは逃れたい”という欲望があることだ。

あらゆる痛みから逃れたい。この欲望だけを実現するためにこれからも生きることになるのだろう。

また、noteを書く機会があれば、『自我』『思考』『欲望』『痛み』について真相に近づきたい。そして、このnoteアカウントを作った動機である、発達障害やメンタル病についても進展があり次第、書き残していきたいと思う。

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