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新チェアマンを丸裸!?コンサドーレサポが書く野々村芳和取扱説明書!

【著者プロフィール】
つじー
北海道コンサドーレ札幌サポ。イタリアではエンポリを応援。ナポリやラツィオ、インテルも気にかけてます。読書やラジオも好きです。
主な執筆記事:『この監督の生き様に学べ~名将マウリツィオ・サッリ伝~』
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2022年3月15日、Jリーグは大きな転換期を迎える。

2014年からJリーグを引っ張ってきた村井満チェアマンが退任し、新チェアマンに野々村芳和・株式会社コンサドーレ(北海道コンサドーレ札幌の運営会社)代表取締役会長が就任する。野々村さんは、初めてのJリーガー出身のチェアマンとなる。

野々村さんは、クラブの経営者になる前、解説者としても活動しており、サッカーファンの中では一定の知名度がある。しかし、新チェアマンがどんな人物で、どのようなJリーグの未来を描いているのか、改めて考えてみると、知っているようで、知らない方もいるかもしれない。

この記事は、野々村さんと最も縁が深いクラブ、北海道コンサドーレ札幌を応援する者による惜別の記事であり、すべてのサッカーファンに捧げる野々村芳和取扱説明書である。

野々村芳和、Jリーガーになる

野々村芳和という男を知るのに、恰好の参考書がある。2013年に出版された、彼自身による著書、『職業サッカークラブ社長』である。

9年前に出版されたということで、内容の古さは否めないかもしれないが、野々村さんの経歴や哲学を知るのには、この本ほど役に立つものはない。

野々村さんは、日本のサッカー王国として名をはせる静岡県清水市で生まれ、名門清水東高校を卒業している。その後、慶応大学に進学し、1995年にジェフユナイテッド市原(現・ジェフユナイテッド市原・千葉)に入団する。

ジェフで主力として活躍した時期もあったが、僕が彼を知ったのは、2000年にコンサドーレ札幌(現・北海道コンサドーレ札幌)に加入してからだ。

当時の監督だった岡田武史さんの電話オファーに応え、入団した野々村さんは、2年間ボランチのレギュラーとしてプレーした。そのうち1年間は主将としてチームを引っ張った。

しかし、2年目のシーズン終了後、コンサドーレから戦力外通告とフロント入りの要請を受け、わずか29歳で現役引退を決意する。

野々村芳和、サッカー界で名を馳せる

多くのサッカーファンが、野々村芳和の名前を知るのは、現役時代よりも、引退後かもしれない。コンサドーレのアドバイザーとして活動する傍ら、スカパーをメインにサッカー解説者として活躍した。

野々村さんで特筆すべきなのは、従来のサッカー解説の枠組みにおさまらず、番組のMCとしても露出の場を広げたことである。『Jリーグアフタータイムショー』や、現在も続いている『Jリーグラボ』といったサッカー番組、そして北海道では『のんのん』という自らの名前を冠したバラエティ番組も持っていた。

これらの活動で野々村さんは、現在でも強みとなっている抜群の発信力を身につけていった。知的で分かりやすい語り口だけでなく、あえて議論に一石を投じるような発言をすることもあり、サッカーファンの支持を得た。

また、野々村さんの活動は、サッカー解説やMC業にとどまらなかった。実際に会社を経営することでも話題をさらった。2006年に株式会社クラッキを設立し、サッカースクール運営を主とする事業を展開していった。こうした活動が、後の野々村さんのキャリアに繋がっていく。

野々村芳和、サッカークラブ社長になる

2013年、野々村さんはコンサドーレの運営会社であるHFCの代表取締役社長に就任する。

野々村さんの社長就任は、コンサドーレにとっては起死回生を目指した最後の手段であった。このときのコンサドーレはまさにどん底の状態であった。

前年の2012年、J1で戦ったコンサドーレは、4勝2分28敗、勝点14、得失点差-63という日本サッカー史に残る最低成績でJ2に降格した。J2に降格するだけではなく、2013年の強化費は前年度より半減、1次キャンプを行う資金がなく冬の札幌のフットサル場でチーム始動が行われるという最悪のはじまりだった。

J2降格が決まってから野々村さんは、胸スポンサーである石屋製菓の名誉会長であり、かつてHFCの代表取締役であった石水勲に社長就任を要請していた。石水さんは、「コンサドーレを作り育てた男」として、クラブに絶大な影響力を持っていた人物である。彼が再出馬しないと、コンサドーレは立て直すことができないところまで追い込まれていたのだ。結果として、石水さんは逆に野々村さんに、社長就任を要請することになったのだが。

野々村革命によるコンサドーレの大躍進

2013年に社長に就任し、2022年1月に社長を退任するまで、野々村さんのコンサドーレに対する貢献度は多大なものである。

プロサポーターを名乗る村上アシシさんの記事では「Jリーグ界では「稀代の経営者」」と称されている。少しオーバーな表現に聞こえるかもしれないが、その称号に恥じない成果を出し、革新的な施策を出している。

コロナウイルス流行前の2019年の売上(36.0億円)は、社長就任1年目の2013年の売上(10.7億円)の3倍強である。6年でこれだけの売上の伸びをたたき出すのは、類まれなる経営手腕に他ならない。

野々村社長体制になってから、コンサドーレはJリーグのアジア戦略をいち早く支持し、東南アジア出身の選手を獲得するようになった。結果として活躍しなかった選手もいたが、タイの英雄ことチャナティップの活躍は、Jリーグの市場を大きく広げ、他クラブもコンサドーレに追従するようになった。

また、2016年にはクラブ名を「コンサドーレ札幌」から「北海道コンサドーレ札幌」に変更し、ホームタウンを札幌市から、札幌市を中心とする北海道全域に変更した。これにより、札幌のみならず北海道全体を巻き込んだ活動がより可能になった。2013年から「北海道とともに、世界へ」というスローガンを掲げていたが、その説得力が非常に増した。

そして、強化の面で特筆すべきは、2018年にミハイロ・ペトロヴィッチ(通称ミシャ)監督を招聘したことである。2016年にJ2優勝、2017年に当時のクラブ最高成績(リーグ11位)でJ1残留を果たした四方田修平監督(現・横浜FC監督)をヘッドコーチに就任するよう説得した上での、ミシャ招聘には度肝を抜かれた。結果として、ミシャ体制でコンサドーレは、クラブ最高成績(リーグ4位、ルヴァンカップ準優勝)を達成している。

最大の武器・抜群の発信力

さて、野々村さんが新チェアマンに就任することで、Jリーグはどのようになっていくのだろうか。

ここからは、有料公開にさせていただきます。
旅とサッカーを紡ぐWebマガジン・OWL magazineでは毎月700円(税込)で個性あふれる執筆陣による記事を毎日読むことができます。
執筆陣には、OWL magzine代表の中村慎太郎、ノンフィクションライターの宇都宮徹壱さんの他、FC東京や川崎フロンターレ、鹿島アントラーズ、アビスパ福岡、北海道コンサドーレ札幌、大宮アルディージャ、ヴァンフォーレ甲府、V・ファーレン長崎、東京武蔵野ユナイテッドFCなどなど全国各地のサポーターが勢ぞろいです。

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