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超越論的主観性は世界を意味づける~エトムント・フッサールその2:キャリアと学びと哲学と

2010年に社会保険労務士試験に合格して今は都内のIT企業で人事の仕事をしています。社会人の学習やキャリアに関心があって、オフの時間には自分でワークショップや学びの場を主催することを続けています。その関心の原点は、学生時代から哲学書が好きでよく読んでいたことです。キャリア開発や人材育成の研究には、哲学からきた言葉や考え方が用いられていることが少なくなく、哲学の知見の活かし方として非常に興味深いのです。キャリアに関心のある社労士という私の視点から、哲学のことをお話しできたらユニークなのではと思って、この記事を書いています。

自己紹介


意識は常に何ものかに対しての意識

フッサールと現象学についてお話をしています。そこでは、客観性から主観性という大転換こそフッサールが現象学で目論んだことだったということをお話ししましたが、この論点をもうすこし掘り下げてみたいと思います。

「いまここ」の生々しい経験、主観的な経験にこそ揺るぎない確かさを置く現象学ですが、では、そもそも、その主観的な経験はどうして成り立つのかという問いへとフッサールは議論を進めていきます。フッサールにすれば、それは「意識」があるからです。「いまここ」で「何か明るいものが見える」とか「外から雨の音が聞こえる」とか、五感の経験が生じるのは、何かを感得している意識がそこにあるからです。

フッサールはシンプルな定義を意識に与えています。すなわち、「意識とは常に何ものかに対しての意識」であると。

いま私の目の前にコップがあるとします。私はコップを見ています。このとき、私はコップを意識しています。反対に、コップは私に意識されていることになります。このように、意識にはかならず意識する主体と意識される客体があります。意識するものと意識されるものの一対の関係があって意識は成り立ちます。

したがって、対象が存在しない意識、ぼんやりとした意識一般は存在しないとフッサールは考えます。過去の出来事だとしても、去年の夏に海に行ったとか、友達と花火に行ったとか、海とか友達を意識しています。たとえば、来週ある入社面接という未来のことについて思うときも、会社のオフィスや面接官の顔を意識することになるはずです。

意識には必ず対象が存在します。意識が対象をもつということにフッサールはさらに積極的な意義を認めていきます。

私たちは何気ない日常の中で様々な経験をします。ただ、この経験というものは、日常的には「鳥が飛んできた」とか「どこからか音が聞こえる」とか、外から自分にやってくるという感覚をもってしまいやすいものです。そのため、どこか受け身なものとして考えてしまいがちです。

しかし、フッサールは経験には意識の積極的かつ能動的な力が必要不可欠だと考えます。

日常世界であっても、現象、現れそのものは無限に多様に現れてきます。コップであったとしても、上から見たとき、右から見たとき、斜めから見たとき、様々な姿で立ち現れてきます。もうひとつ隣にコップがあれば、それはどんなコップでしょう。金属製、陶製、白、赤、黒、大きい、小さい。コップの姿かたちの可能性に限りはありません。それでも、私たちはそれらを同じコップという対象として認識することができます。

どれほど無限に多様な現象であったとしても、それを「コップ」というひとつの対象して理解することができる。それができるのは、意識が対象に意味を与えているからだとフッサールは考えます。目の前の表れに「コップ」という意味を意識が与えるから、私はコップを経験できるというわけです。

したがって、経験とは外からやってきたものをただ受け入れる受動的なものではなく、意識が対象に意味を与えていく能動的なものということになります。こうして、フッサールは意識を非常に能動的で積極的な力をもつものとして考えていくようになります。


超越論的主観性

フッサールは意識のもつ能動性や主体性にたいへん大きな価値を認めています。意識があるからこそ私たちは世界を世界として経験することができます。意識こそ世界を成り立たせる、その土台だと言えるでしょう。

世界は無限に多様な現れで満ちています。風が吹いているとか、雲が流れているとか、暖かい日であったり、涼しい日であったり、目に見える花の鮮やかさや木々の緑、行きかい通り過ぎる人々。一日として同じ日はありません。

現れては消え、消えては現れていく現象。でも、無限に変化を続ける現象のなかで私たちが溺れてしまうことはありません。私たちは日一日、世界を経験していっています。それができるのも世界に意味を与えている意識の力があるからこそです。

多種多様な現象が私たちの周りに現れても、私たちの意識は、それぞれの現れに「風」「花」「ビル」と意味をつけていくことができます。そうして、世界を理解できる経験の集合へと変えていくのです。不断に移り変わっては一度として同じことが起こらない世界のなかで、しかし、私の意識だけは常に同じでありつづけて、世界を意味づけつづけているわけです。私たちの世界を支えているのは私たちの意識にほかなりません。意識こそが世界の中心なのです。

フッサールは学問を基礎づけるべき絶対的な確かなものを主観性に求めました。そして、私たちに世界という経験を成り立たせるものこそ、私たちの意識としての主観性です。これをフッサールの哲学用語では「超越論的主観性」と言います。

「超越論的」(transcendental)とは多くの人にとって耳に馴染みのない言葉でしょう。以前は、日本語としては「先験的」と訳されていました。すなわち、「経験に先んじる」ということです。「目の前に何か明かりが見える」「外から何か音が聞こえる」といった様々な経験をするなかで、その経験に先んじて、その経験を成り立たせる土台や前提。その土台や前提を問うことを「超越論的」(先験的)と呼ぶのです。フッサールにとって、超越論的な前提こそ主観性にあるわけですから、それが「超越論的主観性」ということです。

簡単に振り返りましょう。フッサールは、 世界というものを私たちが経験できるのは、世界を世界として意味づけている何かがあるからだと考えました。そして、世界を世界として意味づけるものこそ、意識するものとしての私の意識、私の主観性です。無限に多様に現れてくる、無限に変わりつづける世界にあって、唯一変わらずに同じものとしてありつづけるものこそ私の主観性であって、その主観性が常に世界を意味づけているから、私は世界を世界として認識できるのです。言ってしまえば、世界を生み出すもの、世界を作り出している創造者、それこそ、私の意識であり、私の主観性なのだということです。

世界の中心として超越論的主観性がゆるぎなくあるとフッサールは主張します。超越論的主観性こそ疑っても疑いえない確かなものとして、哲学はじめすべての学知の礎となるべきものなのです。


学ぶとは意味づけること

対象に意味を与える力は意識のもっとも積極的で能動的な力です。意味を与えられる対象は見たり、聴いたりすることのできる物理的な対象だけにとどまりません。自分が過去にしてきた経験や自分が未来にしたいと望んでいる経験に対しても意味を与えることができます。

たとえば、就職活動の面接で「ガクチカ」(学生時代に一番力を入れたこと)を問われたとき、ある学生はゼミ活動と答え、別の学生はサークル活動と答え、あるいは、インターンや、ボランティア活動や、バイトと答える学生もいるでしょう。

学生時代にゼミ活動だけしていた学生はいないはずです。誰もがゼミ活動をがんばったり、サークル活動をしたり、バイトしたり、ボランティアしたり、インターンに行ったり、様々な活動をしていたのではないでしょうか。それでも、多様な学生時代の出来事のなかで「ガクチカ」をひとつ決めなければいけません。もちろん、そこに客観的な尺度(ゼミ活動をがんばったら50点で、サークルの副代表は30点で、代表までやったら70点とか)はありません。自分で決めなければいけません。要するに、自分で自分の経験に対して意味を与えないといけないのです。
 
社会人の転職活動となればなおさらです。新しい職場でどんなキャリアアップをしたいかなんてことは当の本人でなければ誰にも分かりません。自分の人生をどう生きたいかに客観的な指標などありえません。「新しい職場ではマネージメントの経験をしたいから、マネージメントやコーチングの勉強をしたい」と考えるか、「さらに専門性を高めていくために専門的な資格を取りたい」と考えるか、自分の学びや成長にどのような意味を与えるかは、自分自身です。

成人にとってのキャリアや学習は、自分がどうしたいかとか、どうありたいかという意味づけをしていくプロセスです。ただし、意味づけを支えてくれるのは、自分の主観性でしかありません。それこそ意識のもつ力というわけです。

学習において意識の意味づける力を自覚できることはとても重要です。意味は客観的なものではなく主観的に生成変化させられるものであるからこそ、過去の経験を反省して、「いまここ」の意味を問い直すことができるのです。経験は常に「いまここ」で生成するものです。過去どれほどの失敗だと思いだしたくないと思った経験であっても、「いまここ」の光で照らしてみれば、そこに大きな学びの価値を見いだせるかもしれません。経験が常に「いまここ」に生じるものであればこそ、経験の意味はいつでも変えることができるのです。

成人にとって学習とは、そして、キャリア形成とは意識のもつ意味づけの力の価値を十分に自覚するところから始まるのです。


【了】

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