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あれこれ … 工芸界のすみ分け 1/3

長く物づくりに携わっていると、一口に工芸と言っても色々で、大まかに言うと四つに分かれているような気がしてきます。なぜなら人間国宝顕著けんちょな例ですが、クラフトの工芸家や日展でオブジェを作る作家が選ばれることはまずありません。

ご理解を深めてもらうために、工芸家の傾向を俯瞰ふかんし目安になるような案内図作りを試みようと思います。ただし、私の長年の見聞や知識を基にしているので漆芸が中心です。学者や評論家ではなく現場(当事者)からの見解というレベルですが、ご参考になることがあれば幸いです。



四区分+α

大規模な公募展を見ていると、そこの傾向が見えてくるかと思います。一例ですが、宝飾品のように華麗な作品と骨太で素朴な作品とが、隣接して展示されている光景をあまり目にしません。何故でしょうか?

それは、まず理念(目的)があって公募展は開かれており、その趣旨にあう作品が選ばれているからです。そして、そこには会員として多数の作家が所属し、組織なので影響力のある勢力になっています。また、志向により活動している団体もあります。ですので、公募展や団体の傾向と連動して、工芸界は四つほどに分かれていると、私には見えてくるのです。

あくまで私見ですが、このように分けて考えてみます。
A、伝統工芸展 系(伝統技術重視)
B、日展 系(美術重視)
C、民藝 系(手仕事尊重)
D、クラフト 系(北欧調尊重)
α、番外(その他団体、無所属など)

今後の予定

今回はAとBについて書きます。その概要と私なりの解説です。
次回(7月1日)はCとDです。
一回飛ばし8月1日に、α、番外とご意見などを書く予定です。



A、日本伝統工芸展 系

概要 1954年(昭和29年)開始

目的 無形文化財の保護育成、伝統工芸作家や技術者の連絡と錬磨
   伝統工芸の精髄を極め、技術の保存と活用、文化の向上に寄与
主催 日本工芸会(発足当時は文化庁と(財)文化財協会)
組織 工芸分野重要無形文財保持者(人間国宝)を含め1200名の正会員   
   全国に9支部、7部会(陶芸.染織.金工.木竹工.人形.諸工芸)

解説… 伝統技術重視

日本伝統工芸展は全国を巡回し、テレビでも取り上げられ知名度は高いようです。戦後の混乱期を経て文化財保護法が改正され、通称人間国宝の認定制度とともに発足しました。もとは官展であり、今も日本工芸会は東京国立博物館に設置されています。

正会員2名の推薦により研究会員、入選一回で準会員、入選4回で正会員になり、すべて含めると3000名近い人数です。

かつて織部おりべの仕事が評価され、北大路魯山人が人間国宝の候補者になったが断ったと聞いたことがあります。初期の頃だったので会に属さない人でも良かったようですが、今では考えにくいことです。(ここに属さずにその認定を受けた人を私は知りません。前書きの例に挙げたことの原因です。)

なお、人間国宝とは重要無形文財保持者であり、工芸の細分化された分野で優れた技術を保持する人を意味し、技術の継承のため後進の育成も求められます。ここで若い頃から研鑽けんさんを積む工芸家にとって、人間国宝は目指したい到達点かもしれません。名誉な認定であり、同時に肩書(箔)がついて作品が売れやすくなるという実利的側面もあるようです。

伝統ある日本の工芸技術を保存したいという思いが強く、発足当時の出品作には古典の模作も多かったそうです。それにより失われた技法を研究し再現した功績もありました。正倉院御物ぎょぶつを理想としているかのようで、驚くほど緻密で手の込んだ作品が評価される印象が私にはあります。




B、日展 系  

概要 1946年(昭和21年)開始

    *1907年(明治40年)に前身の文展が開設された
目的 日本の美術振興
主催 
社団法人日展 *昭和33年から
組織 
5部門(日本画、西洋画、彫塑、工芸美術、書)

解説… 美術重視

日展の正式名称は日本美術展覧会。その歴史は古く文展、帝展、日展へと名前は変更され運営団体も変わりました。(戦後10年間ほど、日本芸術院が運営に関わっていました。)明治に海外の見聞が蓄積されて、我国でも芸術文化のレベルアップを図ろうと、公設展覧会が開催されることになりました。(当時は国を挙げて、欧米的な文明国家を目指していたようです。)

組織が何度も変わっています。戦時体制に組み込まれてしまった不運もありますが、100年を超える歴史の中で縁故関係が濃くなってしまった弊害もあったのかもしれません。

日展の入選で会友になり、基準を満たしていけば会員から評議員になります。他の展覧会も同様で、団体の一員として階段を上りより大きい賞を取ることは、作家の肩書になっていきます。また、日展から日本芸術院会員に選ばれることは、大変な名誉とされています。

最初は日本画、西洋画、彫刻の3部門でした。1927年(昭和2年)から工芸美術が加わるようになりました。現在その内訳は、陶.磁.漆.染.織.木.竹.彫金.ガラス.人形など幅広くカバーしています。

漆部門を見ると、蒔絵まきえ.螺鈿らでん.色漆により描いた絵画的な作品が多い気がします。かつてはパネルに描き、今は額縁に入った作品が多いようです。漆を用いて描くことは、表現の幅を広げることなのかもしれません。たまには塊状のオブジェ作品も見られます。(オブジェは陶芸の部門にも多い。)総じて日展の漆作家は絵が上手いというのが、私の印象です。




* 二者択一

昭和33年、日展の参事や審査員の中でその役職にもかかわらず伝統工芸展にも出品していたことが問題になりました。フタマタ的行為だと非難され、日展か日本伝統工芸展かの二者択一が迫られました。約30名の工芸家が日展から脱退することになりました。どちらも官展から出発しているので、勢力争いが強いのかもしれません。


   次回に続く


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