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季節の言葉 … 清 明〔二十四節気より〕

太陽の運行の一年を二十四等分したものが二十四節気で、中国から伝わりました。清明せいめいはそのうちの一つで、4月5日から19日ころの季節に当たり、「清浄明潔せいじょうめいけつ」を略したと言われています。

春の清らかで活き活きした様子が感じられる言葉ですが、まずは体験ということで陽光に誘われるまま外に出てみました。



川べりの散歩

川辺を歩くと、空がのびやかに広く周囲の陰影が明らかに濃くなっています。もう寒さに縮込まることなんてない季節が嬉しく、機嫌よく土手を歩いていきます。桜は散っても色とりどりの花が咲き、何より新緑がまぶしい。


                        御殿川沿いの風景


行きかう人は少なくて、鳥の声を聴くくらいです。途中に休憩用に古ぼけたベンチが置かれていました。渡る風も爽やかで、ここでおにぎりでも食べればどんなにか美味しかったことでしょう。ほんと残念でしたが、この感じ方はお花見に近いような…

人びとは、農耕を見守るサのカミを大いに歓迎して、それで今年の豊作を約束してもらおうと、満開の桜の下へ行ってカミさまをもてなします。それが花見の宴のご馳走とお酒。お供えした人びとは、カミさまと一緒に飲み、かつ食べ、さらに芸も披露して神さまを楽しませる、というのが、本来の花見の宴の意味なのです。このことを民俗学などでは「神人共食しんじんきょうしょく」といいますが、日本の年中行事にともなう宴会は、その根本をたずねると、すべてこうしたカミ(それは桜のように自然そのものなのですが)と人との交流であったといってよいでしょう。

和食とは何か 熊倉功夫.江原絢子著/思文閣出版

    

    
    

人と自然との交流が神様にまでつながるとは、驚きを感じながらもうなずけるような気もします。神人共食の集いは直会なおらいと呼ばれ、近くの神社ではお祭りのとき開かれます。

土手から見下ろすと、岸辺では鴨のつがい、川の中州では日向ぼっこをするカワウ、また小道ではちょんちょん歩くスズメなどがいました。




灌仏会かんぶつえ、花祭り


過ぎてしまいましたが、4月8日はお釈迦様の誕生日で灌仏会かんぶつえの日です。明治以降は花祭りと呼ばれ、こちらの方がなじみがありそうです。おぼろげにこの行事を覚えています。

私が小学校低学年の頃、近くのお寺でお祭りがあるらしいと聞き、友達と出かけました。必ず空き瓶を持ってくるよう言われました。何かお坊さんはお話をされたのでしょうが、よく覚えていません。たらいに入った小さな仏様に、ひしゃくで甘茶を掛けました。それから、持って行った空き瓶に甘茶を入れてもらったのですが、正直あまりおいしくなくて二度ほど行って止めてしまいました。

キリストのお誕生日と比べると、お釈迦さまはあまり知られてないような気がします。子供心にうまくアピールできなかったせいでしょうか… お寺によってお祭りの仕方はそれぞれ異なるのでしょうが、もしご存知の方がいたらコメントいただけると嬉しいです。

               土手沿いのお寺の屋根



季節を味わう


よもぎは雑草のようにどこでも生えていますが、新芽は邪気を払うとされるようです。今では一年中食べられますが、新芽を練り込んだ草餅は春先の和菓子として広まりました。よもぎは食べて良し、お風呂に入れて肌にも良し、ありふれているようでなかなかに有難い植物ですね。


             よもぎ餅


陽光を受けて、我が家の小さな庭では白の紫蘭が花盛りです。お隣では木蓮や早くも藤の花が咲いています。清明の次は、春雨が穀物を潤す穀雨になります。このように天地は巡り、季節の中で私たちは時間や人生を紡いでいくのだろうと思います。


              紫蘭と漆器の掛け花入れ



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