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困った時の(邪)神頼み

多くの人間は分不相応な欲を求め、それが叶わないと思うと、それを何とか叶えようと、見えない存在を頼ります

そして、**様と拝みだした結果、邪神が誕生します。

つまり、邪神とは、人間の念によって生まれた存在

邪神は人間の欲を叶えるべく、人間の念によって生まれたのですから、邪神にとって、人間の念が生きる糧なのかもしれません。

つまり、人間に忘れられたり、念を供給されなくなると消えてしまうのでしょう。

ですから、願いを叶えた結果、人間が日常に夢中になって**様のことを氣にかけなくなると、邪神は非常に困るわけです。

そこで、人間が邪神の存在を忘れかけた頃に災いを起こします。

すると、人間は**様の祟りだと恐れ慄き、邪神のご機嫌をうかがうように拝み始めます。

そうして人間から念を供給された邪神は、祟りを止めます。

願いを叶えてもらおうと邪神を拝む人間。

念をもらおうと人間の願いを叶え、時には悪さする邪神。

つまり、欲望レベルの関係なのでしょう。

邪神の生命エネルギーは、承認欲求だとするとわかりやすいでしょうか。

邪神は、承認欲求を満たす人間の願いを叶えます。

願いを叶えた結果、世界がどうなるかなんて考えもしません

つまり、えこひいきしているようなものです。

例えるなら、お賽銭の金額が多い人間をひいきして願いを叶えるとします。

そんなの、現代の資本主義と大差ないのではありませんか。

お賽銭を祈りを捧げた時間に置き換えてもいいでしょう。

現実で何も努力せず、邪神に祈った時間が長い人ほど願いが叶いやすくなり、受験で合格しやすいなんて、不平等ですね。

まさに、神も仏もない。

邪神は不平等を生み出す、人間と同レベルの存在です。

そんな存在に頼み事をするのか。

そんなことを考える時期がきているのかもしれません。

令和になり、体主霊従から霊主体従の世の中になりました。

霊主体従ということで、平成以前に比べ、スピリチュアルな情報が増えているように感じます。

邪神を頼るのをやめ、己の力で人生を切り開いていきたい。

自分が生まれてきた目的に取り組み、今世の宿題を果たしたい。

そんなあなたは、ご相談ください。

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