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宮城准さんと、ゆっくりつながる。#04「違う形でまた僕の母親になった」

(前回記事の記事はこちら↓)

母が他人に被害を与えかねない未来

――(𠮷)その当時は、5か月がんばったら解放されると分かっているわけじゃなかったでしょ。世の中には何年もそんな暮らしを続けている人もいるわけで。出口を想像できないでひたすら頑張っている時って、どんな精神状態にある?

その時は、焦りでしたね。これ以上放置したら、他人に被害が出る。犬が放し飼いになったり、徘徊して家に帰ってこられなくなりました、となる可能性だってある。それで家族がショックで何もできなくなるんじゃないか、とか。

――(馬)そうか、お母さんを心配するだけじゃなくて、世間に被害を与えてしまうことへの心配か。

そうです。世間に被害を及ぼしてしまったら家族が絶対に受け入れられないだろう、という感覚です。
だからその時、僕は騒ぎましたね。親父は「散歩できてなくても、お母さんは散歩したいんだからそのまんまでいいんじゃないか?」なんて言っていたんだけど、「ダメだよ、もうそんな状況じゃないよ」と。放置していたら母の尊厳がなくなっていくままですよね。
親父は、日中の母親を知らない。

――(𠮷)お父さんがそう思ってたこと、今はどう思ってる?

今は理解できます。自分が逆だったら、やっぱり変えて欲しくないと思うと、思う。見えないなら見えないままでいることが幸せだから。

――(馬)本当は見えてるんじゃないですかね、お父さんも。

そうかもしれない。でもその時はそんな風に考える余裕はなかったです。

母が犬を連れていると「わんちゃんだ」って小さな女の子が近づくんだけど、お母さんはコミュニケーションがとれないからニコッと笑う。女の子が不思議そうな顔で遠ざかっていく。遠くから見ていると、好きな母親が人としての尊厳を失っていく……もうちょっと待ってよ、僕が結婚して孫を連れて行くんだと思ってたのに。って。

母親にはこうあってほしい、という変えがたい像が僕の中にあって、当時はそれを追いかけていましたね。追いかけているんだけど、突きつけられる現実はまったく違うもので。それに向き合わなければならない。

一番楽しい時期なはずの20代後半、このことに僕の時間はとられている。焦りと、不安。やりたいことはせずに今は我慢。そんな気持ちでしたね。


違う形で、また僕の母親になった

デイサービスに通うようになってから、状況が少し変わりました。
最初は施設に入れられると思って騒いでいたけれど、次第に楽しんでくれるようになってきたんです。母に会いたくて利用日を増やしたいと言ってくれるお友達ができたと聞いた時には「あ、母がまた違う形で僕の母親になったな」という気持ちになりました。母の暗黒を体感した僕が、母の尊厳を取り戻す手伝いができた、と。

デイサービスから届くお知らせには、周りの利用者よりひとまわり若い母の笑顔が写っている。親父は「そんなもの」みたいな言い方をしながらも、きっと隠れて読んでるんだろうな。

――(𠮷)宮城くんとお母さんは、どんなところが似てる?

笑ってごまかすところとか?けっこうひょうきんなんです。。外に出るのが好きで、子どもが大好きで保育士をしていました。

――(𠮷)今のお母さんらしさはどうやったら守ってあげられるんだろうね。

去年、家族4人で旅行に行ったんですよね。母は沖縄で育ち、海が好きだから、海をじーっと見ていました。見ている僕たちは、それに母を感じる。

多分、好きだったものとか、五感に訴えるものってずっと保たれるんじゃないかな。無意識的にそれをやったのは姉。海に連れていってあげたり、目に付くところに犬の写真や家族の写真に置いてあげたり。「あの時こうだったよね」と対話すると本人も思い出すし、ああこんなものを喜んでいたな、好きだったな、と僕たち家族も思い出します。

本人が覚えていないものを補填してあげるとか、そうした場をつくってあげる。neighborの未来にも、もしそういう場があれば魅力的だと思います。
本人が覚えていなくても、僕たちが覚えているから。

――(𠮷)海を見ているお母さんを覚えている僕らが、母親の姿を心の中につくって、死ぬまで持っておくんだね。

もう、今の母親は笑っていることしかできないんですけど。テレビ見てずっと笑ってるだけで不気味なんですけど。

親父と僕が後ろで大喧嘩をしていると、なんかしゅんとしているんです。分かってないんですけど、自分のことで喧嘩しているというのは絶対分かっていると思う。


家族それぞれの異なる「母らしさ」

その人らしさを感じる時に使うフィルターって、人それぞれ違うと思います。姉の場合は、対話することで母を感じているんだと思います。懐かしい写真や景色を見せてあげて「あの頃こうだったよね」と言葉を交わす時に。

僕の場合は、言葉は要らなかった。というか、何て言葉をかけたらいいかわからなかったですし、ただ一緒にいることしかできなかった。母がそばにいてくれるだけで、僕は母との思い出を振り返ることができたし。

ある時、母が出来なくなってきていた歯磨きが出来た時があったんです。
僕は、それはそれは喜びました、大声を出して、拍手をして。母は少し照れた表情で見返してくれました。
そんな瞬間が、母の記憶にも残っているといいな。

最後の旅行

昨年、姉と母と犬を連れて千葉のペンションに旅行に行きました。
あの頃は「寒い」とか「美味しい」とか、ギリギリ簡単なコミュニケーションが取れたかな。東京ドイツ村に連れて行って、超ド級のイルミネーションの中をひたすら一緒に歩きました。

母と一緒に歩くのは最後かな、と何となく思いました。あの時会場に流れた谷村新司の"すばる"は忘れません。昔、よく恵比寿とか丸の内とかイルミネーション連れて行ってくれたよね、お母さん、と思いながら一緒にいました。千葉の夜は寒かったけど、僕には熱い気持ちが流れていました。

で、翌日木更津アウトレットに行きました。僕、車椅子の母、母の膝の上のハル。この三段構えは場内の注目の的でした。奇異の目ですよね。でも不思議と、とても誇らしい気持ちになりました。恥ずかしいとか全くないんです。ただそこに家族で一緒にいるだけです。そこに歩けない母と車椅子がくっついているだけで、家族で買い物に来ていることはみんなと一緒。

あの時、僕の認識が「認知症の母」から「ありのままの母」に変化したんじゃないかな。僕自身が受け入れたんだと思います。


スーパーに並ぶ商品のように扱って欲しくない

――(𠮷)お母さんが今行っている”認知症デイサービス”って、実は不自然な環境だよね。でも、一般社会に放り出されれば荒波に揉まれてしまうから、守ってあげなきゃいけない。その加減って、こどもという立場からどう思う?

特養みたいに、認知症がいます、老衰の人がいます、といういろんな疾患の方々がいるところに預けるのはとても不安です。機械的に扱われそうだから。そういった施設をいっぱい見てきているので。日常に満足していないヘルパーさんたちがいたとしたら、感情にかまけて手を出してしまう、なんてことがあっても不思議はないと思っています。

――(𠮷)よくニュースにあるような、ね。そう思うんだね。

誤解を恐れずに言えば、スーパーマーケットに並ばされているみたいに感じるんです。数あるうちのひとつの商品に「認知症」と疾患名がついているような。それはちょっと家族としては恐い。

だから同じ症状の人を集めている特化型の方が安心できる気がするんです。部屋に海の写真を置いてくれるのかな、と思うんです。

――(𠮷)なるほど、そう言うかあ。。うちらってけっこう現実見てるじゃない?看護や介護をするのも「人」だから。聖人じゃないから。仕方がない部分もあると理解しているよね。でも俺も、母親がガンで入院したときは並みじゃなくザワザワした。4人部屋の部屋で、自分が死ぬかもしれないと思っている母親が、早い時間に消灯されてひとりでいる姿を考えるだけでゾワッとするんだよね。それが長く続くと思うとけっこう辛いよね。

――(馬)…どうすればいいんだろう。

――(𠮷)本当に。でもこういう時、“問題解決思考”ってよくないんですよね。この時間では語り尽くせないよね。


時間をかけて消化していく道半ばで

――(𠮷)今日話してみてどうだった?

まだ逃げてるな、って思いました。
この話をいただいて、その日の夜に夢を見たんです。

――(𠮷)どんな夢?

はい。いい夢です。食べてる?とか、元気してるの?って言うんですよ、夢の中で。話せる母が夢に出てくるのが年に1‐2回あるんですけど、その朝は本当に幸せです。所詮、自分がつくった理想なんですけどね。で、夢の中でもそれにそっけなく答える自分、みたいな。笑。

――(𠮷)リアルだな。

その朝、ああ俺って愛されていたんだな、って思うのと、後悔と。こんなこと言うともういないみたいだけれど、母親はまだ生きている……𠮷村さんに話すたびにこうやって感情的になっちゃいますね。今日は絶対にならないぞと思ってたんだけどな。

――(𠮷)武装してたんだね。

先週の金曜日の訪問リハビリのときにも、突然こみあげてきちゃって困りました。ちょうど利用者さんがうつぶせになってたんで顔は見られなかったけれど、声がヘンだったみたいで「風邪ひいてんの?」って言われてしまって。もうビチョビチョマスク。自分の中でまだ消化できていないんですね。

――(馬)そこまで思われているお母さんは幸せだと思います。母の立場からはそう思う。

――(𠮷)デリケートな話を話してくれてありがとう。実際、話してみてどうだった?

僕は今日、楽しみにしていました。こんなこと話せる機会ってない。こんなプライベートなことを話すなんて。父のことを考えると名前を出して話すのはためらってしまう段階ですけれど、僕は今ようやく近しい方に堂々と話せるようになった、という感じです。

(終)


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