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女神の砦は鉄火場だった(前編)

⬛︎序

 中央駅からダラダラと長く続く坂道を登り20分ほど歩くと、中央駅前によくあるファストフード店や小綺麗な宿が姿を消し、朽ちた建物や荒れたままの草木が目に見えて増えてくる。よく言えば生活感のある、悪く言えば裏ぶれた空気を漂わせる住環境のど真ん中に、10日間ほど続けた欧州3カ国の旅の最終目的地が姿を現した。気が引き締まると同時に、中央駅に程近かった公式グッズショップで買い物をしていないことを思い出し、この距離を戻るのか…と、少しウンザリもする。

 ゲヴィス・スタジアム。本稿執筆開始日時点で23−24シーズンのセリエAで6位に付ける強豪・アタランタBC(以下「アタランタ」と表記)のホームスタジアムである。

 ここ数年、この、ギリシア神話に登場する女傑の名を冠するクラブの試合を現地で観戦することは、目標のひとつだった。ジャンピエロ・ガスペリーニ監督が敷く戦術の特殊な指向性、特に「マンツーマン」、正確を期するなら「マン・オリエンテッド」な守備手法に大いに魅せられていたからだ。その「魅せら」れた理由のひとつには、ここ数年北海道コンサドーレ札幌が敷くそれと大枠で共通しているから、というのもある。

 そして、そのうえで、この日=2024年3月3日日曜日、に開催されるセリエA第27節、ボローニャFC(以下「ボローニャ」と表記)戦を選んだのは、このボローニャが、今季のセリエAに旋風を巻き起こす存在だったからだ。同日付時点で4位。日本では専ら、日本代表の冨安健洋の古巣として知られる中堅クラブだが、今季のボローニャは、チアゴ・モッタ監督が仕込んだ特徴的なビルドアップ手法と、実際の得点こそ10得点ながら、それを優に上回るインパクトでセリエAを席巻するオランダ人ストライカー、ジョシュア・ジルクゼーの活躍で、欧州進出を現実的に狙うことのできる位置につけている。

 ビルドアップで優位性を発揮するチームと、「マン・オリエンテッド」であることにより高強度を保証された守備でそれを破壊せんとするチームとの対戦は、戦術上の駆け引きに溢れる見応えたっぷりの試合になると予想した。現に、12月にボローニャのホームで行われた第17節の対戦は実に濃密な内容で、息詰まるヒリヒリした展開で続いた均衡を、ボローニャの主将ルイス・ファーガソンが終了間際の得点で破り1-0で終了。ゆえに、久々の国外旅行を計画するにあたって、この試合を含む日程にすることに迷いはなかった(チケット入手には少々無駄な苦労をしたが)。

 そして、この試合前の時点での両者の勝点差は2。アタランタが勝利すれば逆転で4位に浮上するという関係だった。上位から滑り落ちないために、ホームチームが奮起することは疑いようがないという状況になってくれたのだ。イタリアに入って4日目、なかなか美味しく食べられるものに出会えないというストレスは小さくなかった。それでも、盛り上がることが間違い無しの試合が行われるスタジアムを目にして、自然と感情は昂るというものだ。

⬛︎ベルガモという都市と、アタランタBCというクラブ

 アタランタの本拠地ベルガモは、イタリア北部ロンバルディア州のちょうど中心に位置する中都市だ。同州の州都であるミラノの北東に位置し、ミラノ中央駅からベルガモ中央駅はローカル線でも1時間の距離である。人口130万人強のミラノに対してベルガモのそれは12万人。距離的な関係にしても人口比にしても、札幌市-小樽市の関係に近いと言えるかもしれない。

 ベルガモの歴史を紐解くと興味深いのは、西欧における郵便事業の先駆けである会社の存在、という事実である。Wikipediaによれば、11世紀、ベルガモ近郊で激化した教皇派と皇帝派との対立から逃れ、山奥の地域に移り住んだオモデオ・タッソなる人物が設立した「飛脚会社」なるものがそれらしい。アタランタの名前に由来する「アタランテー」が健脚の持ち主として名を馳せたという神話と、健脚であることが求められる産業がローカルに根付いていたという関係に、不思議な符合を感じずにはおれない。「アタランタ」の命名の由来に、これらの関係が織り込まれていないものだろうか?

 他方、近年のベルガモに目を向けると、まず、どうしても触れないわけにいかないのは〜もうすっかり忘れてしまいそうになるが〜この街が、欧州におけるコロナ禍の「震源地」とされたことだ。付け加えるならば、それがカルチョに関連して起きたということも。

 そして、昨年には、イタリア文化庁から「イタリアを代表する文化首都」なんぞに選ばれるという栄誉(?)も勝ち取っている。カルチョの文脈からは些か驚きだが、犬猿の仲とされる隣県のブレシア共々、というところは興味深い。

 そのブレシアとの関係についても触れておこう。多少なりともセリエAをかじったことのあるサッカーファンなら、このブレシアを本拠地とするブレシア・カルチョとアタランタとの間の激烈なライバル関係を、街同士の歴史を調べることなしにカルチョの豆知識として知ることだろう。

 ベルガモを県都とするベルガモ県の隣県がブレシア県であり、その県都がブレシアであるので、両者は厳密には「隣町」ではない。ただ、いずれの都市も「工業都市」として説明されることが多いが、ブレシアでは古くは武器・防具の製造、戦後は航空機産業等の重工業が主要産業だったのに対して、ベルガモでは絹織物に始まり、現代では食品等の軽工業、あるいは化学工業が盛んという違いがあるようだ。しかし、ニューカッスル・アポン・タインとサンダーランドとの関係のような、経済的権益の移転といった純然たる利権の奪い合いが史実として存在したのかどうかは調べがつかなかった。よって、両者のライバル関係が、あくまでカルチョの枠組み内に留まるものなのか、あるいは、市民生活の中にもがっちり組み込まれた対立構造に下支えされたものなのか、については、現時点では説明が不可能である。

 なお、このブレシアについても、興味深い史実がある。ブレシア・カルチョの愛称が”La Leonessa”である理由に、この物語があるように思うのだが、文献上の明示がなく関係は不明である。

⬛︎まるで賭場。真剣勝負の空気漂うスタジアム周辺

 さて、実際に中央駅に着いてみると、まず目に留まったのは非白人の数の多さである。ミラノのような大都市においてそうなのは十分に予想の範疇であり、実際にそうだったが、ベルガモは前述のように人口12万人の中都市だ。このレベルの都市にもこれだけしっかりと移民コミュニティが根付いていることは、彼らに対しては非常に失礼だが、なかなかの驚きだった。マク◎ドナ⬜︎ドの前に溜まる彼らを横目で見つつ、少しだけ北西に進む。

 そうすると、通りはすぐに緩やかな坂になり、目線の先にはすぐに高台の稜線に林立する建物が見えた。出張のとき、よく電車から見える横浜の港南区の風景のようだ…程度にしか思わなかったのだが、実はこれが「チッタ・アルタ」と呼ばれる観光名所の旧市街だったようだ。筆者は全くの下調べ無しでベルガモに降り立ったため、この旧市街にケーブルカーでアクセスできることを全く知らなかった。意外と観光客がいるのだなあ、と思った程度だが、世界遺産の城壁もあるようなエリアを見逃したのは少々痛かったかもしれない。

 旧市街が見えてきたあたりで今度は北東に進路を取る。日曜日でなければ賑わっているであろうショッピング街を抜けると、大きな公園が見える。車通りが一気に増え、郊外地域に向かっていることがわかる。真北に折れてすぐに見える分岐に、スタジアムの位置を示す看板が立っていた。このあたりから警官隊も姿を見せ始める。

 郊外地域に入ってくると、いよいよ建物の壁面の燻みは濃くなってくる。手入れのされていない建物と庭に人の息吹は感じられず、空の灰色ぶりも相まって不穏さを感じずにはおれない。窓に飾られたアタランタのフラッグに安堵させられた。

 さて、旧市街のことは全く調べていなかったくせに、飲み屋の場所は調べていた筆者は、イタリアにとっての日曜日を過小評価していた。お目当てのビール屋が閉まっていたのだ。そして、仕方なく入ったバールで、日本でも飲める「ス◎ラ・ア◎◎ワ」🍺を注文し、カウンターのある入口付近のスペースから奥の部屋に進んだ。すると、いた。

 “ULTRAS”と染め抜かれたパーカーを着た連中が。

 ワクワクしながら、彼らの観察を始めた。彼らは入れ替わり立ち替わり、部屋に入ってくるファンたちと他愛の無い会話を交わしていたが、その中には所謂「ウルトラス」とか、日本風に言えば「コアサポ」と称される層には見えない人たちも混ざっていた。一定以上、顔の広い連中らしい…などと考えているうちに、今度は金髪の男性が2名入ってきた。

 「連絡していた◎◎だが…」
 「おぉ、初めまして。よろしく」

 彼らはこんな挨拶をきっかけに長い会話を始めた。英語でだ。入ってきた男たちの英語はネイティブのそれに聞こえたことから察するに、彼らはアメリカかイギリスあたりに住んでいて、筆者のようにアタランタの試合を屡々観ており、これまた筆者のように、このボローニャ戦が重要な試合になると踏み、海を越えてきたのだろう。事前にSNSででも連絡を取り、観戦のお供というか、ゴール裏に入るための「身元引受人」になってもらおうとしているのではないか…そんなふうに予想した。ちょっと意外だった。自分の経験に照らすと、ゴール裏という場所は、初心者にオープンな場所ではないからだ。付け加えるならば「ウルトラス」、しかもイタリアのそれというのは、時にマフィアと繋がってはクラブに圧力をかけたり、時に人種/性差別的な内容の歌を歌ったり…というように、単に露悪的であるだけでなく、排他性をリアルに表現してしまうことが多いアブない輩だ、という偏見もあった。だから、彼らのオープンさは少々意外な驚きだった。露悪的な佇まいをしていながら、初対面の非自国人と英語でオープンにコミュニケートができる、少なくともすることに抵抗がない、という姿が有するギャップはどこか新鮮だった。

 2杯目のビールが進んできた(せっかくイタリアにいるところ「ス◎ラ・ア◎◎ワ」を2杯も飲みたくないのだが「今日は客が山ほど来るから、注文はビールだけしか受け付けていないんだ」と店員のお兄ちゃんに言われた。実際に皆ビールの入ったプラカップを持っていたから、まぁ差別ということもないだろう)頃合いに、女性の店員が奥の部屋に入ってきた。すると、ウルトラス諸氏の一人が、イタリア語で彼女におそらく「TVのチャンネルを変えてくれないか」と話しかけた。そのとき、テレビで流れていたのは、セリエAのエンポリ-カリアリ、残留争いの当事者間の直接対決である。彼の口からは続けて、こんなフレーズが出てきた。「コゼンツァとカタンザーロ」。同時刻に開催されていたセリエBの試合である。聞き慣れない地名だったのか、新入り氏はこんな疑問を投げかけた。「どんな試合なんだ?」。

 それに対して、ウルトラス諸氏の一人はこんな単純明快な回答を返した。「ありゃ、ダービーだ」

 すぐに得心した。彼奴ら、やはり「応援家」。純粋なサッカーとしての面白さではなく、スタジアムの雰囲気の側に惹かれるという点で、どうしようもなく「応援好き」なのだ。かつての自分、たとえば、2011年の2度目のドイツ行きの際、2つのダービー(ケルン-ボルシアMG、ドルトムント-シャルケ)を観られる、という理由で、わざわざJリーグのシーズン中のタイミングを選んだ当時の自分がそうであったように。日本から遠く離れたイタリアの、しかも中都市の街外れのバールの薄暗い席で、かつての自分を発見したことにちょっとした感動を覚えると同時に、試合がありさえすればそれでよかった当時の自分にもう戻れなくなっていることに、多少の寂しさを感じもした。なんてつまらなくなったんだ、自分。

 なお、コゼンツァ・カルチョとUSカタンザーロは、いずれもイタリア南部カラブリア州の都市に本拠を置くクラブであり、両者の対戦は文字通り"Derby della Calabria"。1912年に初めて行われた伝統あるローカルダービーのようだ。

 マニアックな楽しさを帯びたウルトラス諸氏の観察を終え、店を出た。スタジアムに近づくと、よりスタジアムに近いバールの店先は野郎どもで溢れかえっていた。目を見張った。見渡す限り、黒、黒、黒。揃いも揃って黒のアウターに、アタランタのクラブカラーである青と黒のマフラーを巻いた連中がウヨウヨしていた。カメラを向けることがちょっと躊躇される雰囲気、前日訪れたトリノのホームゲームとは全く異質の空気が漂う。すれ違う初老の男性のファンですら「元ウルトラスではないか?」と思わせる貫禄めいた空気を纏っている。その、どこか不穏さを含んだ空気が、筆者にこんなことをXへ投稿せしめた。埼スタでなく駒場。90年台から00年台にかけて、応援業界にいた人に対しては、伝わるだろうか。

 彼らにとって、少なくともこの試合は、席にどっかと腰掛けて、映画や演劇を観るときのように、楽しませてもらうことを期待するもの=エンターテインメントではないのだ。筆者自身がそうであったように、自分ごととしての勝負事に、これから彼らは向き合おうとしている。経験はもちろんないのだが、時代小説で描写される、江戸時代における賭場というのは、こういう雰囲気だったのではないだろうか。渡世人と違って、彼らはこの試合によってチケット代金以上の財産を失うことはないが、それでも、人生を賭けた勝負事には違いない。クラブ規約に同意したうえで、規定の金額を払ってチケットを買っているとは言え、あくまで試合内容をエンジョイしに来た立場である自分以上の熱量で、自分のチケットの席を欲した人間が、もしかしたらいたのかもしれない…そんなふうに一度思い至ると、多少の罪悪感が疼きもする。

 スタジアムに隣接する施設の壁面は、他クラブを罵る内容の落書きに塗れていた。お前ら、嫌いなところが多すぎだろう😅と心中で突っ込みを入れながら、ぐるっとスタジアム周りを一周して入場ゲートに辿り着いた。

 自前で印刷したA4用紙のチケット上の氏名情報(購入の際、これの記載が複数回あったのは印象的だった)とパスポート上のそれとの整合を念入りにチェックされ、ボディチェックをパスし、入場する。トラブルなくたどり着けた安堵と同時に、ようやくここ数年の願いが叶うことによる興奮が脳内を駆け巡って止まらない。やたらと"N"の発音がいい選手名アナウンスに、改めてここがイタリアであることを実感させられながら、これから始まる勝負の趨勢をあれこれと予想していた。

 そして、発表されたスタメンは下図の通り。渡欧前に負傷していた選手もしっかり出場、見たかった選手が顔を揃えてくれた。さぁ、何が起きるのか。高校生の頃の、試合に行くことが半ば義務になる前の段階における試合前日のようなドキドキ・ワクワクが、久々にやってくるのがわかった。


〜以下、後編へ続く〜

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