ただ「やり続ける」がかっこいいと思えるまでの話
つみきのアトリエNeiroの日置です
(最近この挨拶忘れてた)
ここ半年くらい悩んでいた事がありました。
それは「なんのための活動なのか」というすごく大きなこと。
積み木の活動が好きだから、
みんなに知ってもらいたいから、
子どもたちと遊ぶのも楽しいし
積み木をお母さんたちに紹介するのすごい楽しいし…
そうだ!これを「仕事」にしよう!
2016年、つみきのアトリエNeiroは、こんな流れで始まりました。
でも最近、「積み木の普及」は結果的にはなっているだろうけど、
自分の心の中では、そこは一番じゃないし…
生徒さんを増やさないと家賃が大変…汗、、なのだけど、
そういう広報活動が死ぬほど嫌いで、
やりたいことを実現するためのその「過程」が苦しかったんです。
(やっと言えた!)
広報活動が嫌いっていうのは、もっと言えば、商売っけを出すことが嫌いだからなんです。
こういうの、人に相談すると、ほんといろんな返事が返ってくるので
また凹むというか、(ダメージ)貰っちゃうんですが、私がダメダメなのはわかっています
「カッコつけんな」っていじめないでください 笑
ただ、楽しいだけじゃダメかねぇ_と思ったり、
なんのためにやってる、って子どもと遊ぶのが楽しいからだし、
その一瞬一瞬が楽しいもそうなんだけど、なんといっても継続的な関わりが楽しいんです。
この前あーだった、こうだった、次はこうしたい・・とか
子どもたちと自分で紡ぐ歴史が嬉しいというか。
そういうのって、正直お金にならないじゃないですか 笑
悲しいプライスレス。
しかもそんなことをウリにしたって、なかなか人は集まりません。
結局、人が惹きつけられる文句は、
「現状」→「これがここまで伸びる!」
みたいな、効果・評価・成長。だったりします。
アトリエでいうなら、
「遊べなかった子、落ち着きのない子が」→「集中力・創造力がついた!」
将棋なら、
「初心者」→「初段に!」
みたいな。。。(便宜上使うこともありますし、過去のチラシには書かれています。1000部配り切ったら消してやる、って思っています 笑)
もう自分の概念とは真逆すぎて、だから広報活動が嫌いになっていました。
嘘を重ねる気がするんです。
嘘ではないんだけど、信念ではないんです。
そんな中出会ったこちら。
こちらは一昨年のものですが、半年ほど前に、自分が通っていた、アートスクールの生徒さんに紹介してもらいました。とっても面白い企画、そしてコンセプトがいい。
「誰のためでもない」
「ただやり続けていること」を発表する場。
評価のためじゃない、という点がすごくいいな〜と思っていました。
(この年は子供に限定されていたのかも?)
そして今年
東大先端研LEARNさんのHPで「やり続ける展2024」の主催のお知らせが。
かねてから、LEARNの中邑先生の密かなファンでして
LEARNの「AOUBTページ」を読むだけで涙腺うるんでしまうほど、
考え方に共感していました。(ぜひ読んでください)
子どもや若者の未来に、すごく伸びやかにリアル寄りに語ってくれていると感じます。
先に書いた葛藤に、結論が出そうだった時のこのお知らせに、
ただやり続けていることに自信を持たせてくれるようなこの告知に、
脊髄反射で応募しておりました。
「そっか、それでいいんじゃん!やり続けてれば!」
と腹落ちしたんです。
子どもが夢中になる瞬間を見届けることは、自分の為です。
その延長線上に、こどもの作品があったのだと思います。
あの日あそこにいたみんなの顔も、
このまま永遠に続いて、ただあり続けてほしいと願う作品です。
どんな展示になるか楽しみです。
長くなりましたので、展示の詳細は次のブログで書きます。
おわりに
まさに、40にして迷わず、だね。
ぜひご興味寄せてくださると嬉しいです。
お読みいただきありがとうございました。
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