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心に残るひと・・・

4月3日。ある方の命日です。その方は
日高晤郎さんです。

北海道の方なら知っていると思います。
本人曰く「話芸人」でした。

早いもので逝去され4年が経ちました。いつも利用しているradikoをSTVラジオに合わせると、
「ウイークエンドバラエティー日高晤郎ショーフォーエバー2022」
が流れてきました。

「あ!」と思い出しました。

そうだ4月3日晤郎さんの命日だったと。

すっかり忘れていました。薄情なものです😅
先程「話芸人」と紹介しましたが、彼との出会いはラジオ番組からです。

当時私は中学2年生

中学生時代はとにかく学校が嫌で、学校が終わると一目散に帰っていました。そんな帰宅後の時間の楽しみはラジオでして当時はTV以上にはまり
「セイヤング」
「オールナイトニッポン」
「アタックヤング」
など深夜放送は眠い目を擦りながら聴いていました。

今土曜日は週休2日
私が中学時代は土曜日は半ドンの授業でした。(午前中で終る)
授業が終わると一目散に家に帰ってきて昼食をそこそこにして、自分の時間を楽しむのです。

そんなある土曜日たまたまラジオをいつも通りに付けると、何だか怒っているおじさんの声が聴こえてきました。
「何だ何だ…!!」
ビックリしたのもつかの間、今度は面白いことを喋っている。

私の中学時代は第何次か忘れましたが漫才ブーム前
(ツービート、紳助竜介、のりおよしお、明石家さんま…)
漫才以前に、子供時分より落語などの話は嫌いではなく、落語を聴いては何が面白いのか分からないにも関わらず、笑っていました。


「晤郎さんのトークは何だか引き込まれる」

テンポ良く、世情などについて辛辣な話しているが、それをも最後には笑いに変えている。面白いものは、例え中学生の子供であっても分かります。
次第に「日高晤郎ショー」に引き込まれて行くのでした。
放送期間は1983年4月9日 - 2018年4月7日
毎週土曜日の朝8時~夕方17時までの9時間の生放送。

気が付けば中学・高校・大学・社会に出て、そして4年前までその間様々な出来事があった中、
「日高晤郎ショー」は私の生活の一部でした。

ラジオ番組と共に生きてきた私。故に今なおラジオ好きです。

彼の語録
「日々幸せ感じ上手」
「良く笑えた日は佳い日」

これら言葉は今なお私の中で響いています。
自分に厳しく他人にも厳しく、だけど厳しさの裏側には優しさも
ありました。

例え10人中9人が自分を嫌いでも良い。好きでいてくれる1人を大切に出来れば良い。その潔しさが凄かったです。

自分の仕事をやりきり死んでいった人はそう多くはないでしょう。

生前番組の中で繰り返し
「俺はこの番組の中で死にたいねー」
と話しています。
彼が作り上げてきた番組。実際放送期間中の北海道のラジオ番組の視聴率では常に一番だったと記憶しています。
確かな結果も残している、また今でも記憶にしているのは、
2012年12月14日~12月16日に放送された
STVラジオ開局50周年企画
「50時間56分生放送」

この放送は当時迄の最高記録であった、ニッポン放送で
1971年に放送された「糸井五郎 50時間マラソンジョッキー」の記録を更新したとされています。

ウィキペディアより一部改変

番組中休憩は取るもの寝ないでやり切った。夜勤が辛いなど言っていられないレベル。人間の行動の限界を垣間見た放送でした。



振り返るとそこには

役者から始まった芸能人生。その後歌手、ナレーター、レポーター、DJへと守備範囲を広げ、彼を取り巻く人々との出会いを大切にして生涯を全うしていきました。

自分が「こうだ」と生きる道を定めた人は幸せです。
紆余曲折があり、道半ばで頓挫する人もいるでしょう。それだけ継続するのは簡単ではない。誰しもが分かります。
それでも自分を信じ、そんな自分を応援してくれる人のために持てる力を出し切る生き方、素晴らしいです。

あの時の中学生は今や52のオヤジになりました。
貴方を思い出すと、面白く、スケベで、厳しく…
この年になって分かるのが「自分の道を進んでいるか?」です。
私もこれまで行ったり来たり、回り道くねくねな人生でしたし、これからも続きます。

晤郎さん
貴方の生き様に
少しでも近付けるよう邁進しますね。

「ありがとうございました また来週」
貴方が発する、放送最後の掛け声いつまでも胸に刻み…


あとがき

今日は4月14日この記事は放送直後より執筆していましたが、なかなか進まなかったのでした。
一人の話芸人の半生。
1リスナーとして今回の記事に執筆し、拙い文章力では到底表しきれない人です。
振り返ると「興味を持つとは何か?」
きっと自分には無い物事がそこにはあるからなのでしょう。
そして
「自分のものにしてみたい」
「同じ高みを目指したい」
など自然に沸き起こる欲求がそうさせるのかと思います。

私は常日頃より「何かを残したい」と思っています。
それは何なのかは今は分かりませんが、漠然とした思いの中に明確な目標があります。
きっとその思いを可能にしているのは、noteだったり、ブログだったりまだ行っていない行動がもたらすと思っています。

種の存在の根源は、「残し繋げていく」なのかと思います。
DNAに刻まれたものと感じます。
いつか私もこの世から消えて無くなります。一市井の名も無き者として、存在すら消さるでしょう。こうしてこれまでもそしてこれからも時間は流れていきます。
自分の功績を残せたのは一握りの天才、偉人、芸術家、思想家など。
それもこの星が残っている限り。
(ボイジャーによって人の記録は残るか?)
何だか壮大な話過ぎて、話のまとまりが無くなりましたが、今私の中にある思いはこの一点なのかと考えます。
そのためにも行動は止めません。

おしまい

最後まで読んで頂きありがとうございます
次の記事で会いましょう。




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