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お腹の中のお小さい方関連の備忘録 5

お小さい方シリーズ第5弾。

これは第5弾であり、続きものの話である。もしよければ最初から目を通していただければありがたい。

リンクはもう面倒で貼らないので、各自過去の記事をご参照いただきたい。

 実はこれを書いているとき、すでにお小さい方はこの世に生まれ出て4ヶ月が経過している。
 光陰矢の如しである。
 正直もう大分忘れているので、重要なところ以外は巻くつもりだ。

◎退院後の生活


 ウテメリン錠剤で張りがコントロールできるようになった30週に奇跡的に退院できたものの、結局自宅安静指示となったため、私はそのまま流れるように休職からの産休に入ることになった。 退院後初めて食べた餃子(旦那さん謹製)が美味しかったこと、おそらく一生忘れはしない。

 ちなみに自宅安静というのは家事すらもするべきではないということであり、ご飯とトイレとシャワー以外は基本寝ているべしという指示のことである。
 コウノドリでも書かれていたが、このへん結構誤解されていることが多い案件らしい。すでに上の子がいる家庭だったりすると自宅安静は基本不可能なので、切迫早産の方がほとんど退院させてもらえないというのもそういう理由からだとか。
 1人目だとしても家にいるなら大丈夫だねと家事をお願いしてくる配偶者もそこそこいるらしい。なにそれ怖い。言葉の意味はちゃんと確認して欲しいし医者の話は聞いておいて欲しい。
 したがって私は退院後は全く動けたものでなくなることが確定したため、義実家のお世話になって食っては転がる日々を送っていた。

 ああ気楽なものだな、と思っていた。
 それは最初の1週間だけであった。

 32週を過ぎた頃から後期つわりが始まった。物理的に胃が圧迫されてものが入らないやつである。
 しかもこの時期になってくるとお小さい方も大分大きくなっていて、くるくる回転逆子もあるよ状態から頭も下にガッツリ固定になり、姿勢もなんとなく定まっていて、蹴る場所も当然決まってくる。
 胃と横隔膜と肋骨の特定の場所に加わる執拗なまでの蹴り
 そして夜型のお小さい方。

 導き出される結果、それは慢性的な睡眠不足と常に付きまとう吐き気である。

 寝ていると突然内臓を蹴られて、その衝撃で胃液が逆流してくるのだ。たまったものではない。
 実際寝ていたのに口の中が突然噴射しそうな勢いでやってきた胃液で焼かれてパニックになったこともある。
 36週、とにかく正期産の時期まではと耐え忍んだが、日に日に強くなる蹴りには弱音の3つや4つも平気で出る。出ちゃう。

 そして38週に入るとお腹が下がってきてつわりは軽くなるも、ヘルニア持ちの私はもう色々限界に達してしまう。
 やめて!もう私の腰は死んでいるの!それなのにロキソニンテープもボルタレンも使用不可なのよ!妊娠後期だから!!
 同じ姿勢で居続けることが一切できず、立っても座っても寝ても痛いしやっぱり元気に左の肋を蹴り続けるお小さい方(後に右足の仕業と判明する)のお陰様でマットレスは半ば万年床となり、若干赤カビでやられて産後大変なことになるのだが、まあそれはそれとして点滴がいつもどこかでピコピコ鳴る4人大部屋に入院していたときより眠れなくなるとは思わなかった。
 ついでに義実家の人のシフト制不規則夜勤者有りの生活時間に合わせなければならなかったこともあって、寝る時間も起きる時間も、あと風呂の時間も気を使わなければならず、これもまた難儀な話であったことは記載しておきたい。
 この4ヶ月近くの睡眠の質の悪さもまた、後に大きな影響を及ぼすことになる。

 ちなみに36週位から何故か知らんが突然血圧130台が発生し始めて朝晩の血圧測定が加わったりしたのも大変だった。
 38週位から散歩をしたり(ありがたいことに義母が付き合ってくれた)、隙間時間で原神したりはしていたものの、なんだかんだで居候だと気を使うものだし、あと絶妙に家族仲が良くなかったり食べ物の好き嫌いが激しい人が若干名いたりしたのがストレスではなかったかといえば‥‥‥まぁ、そうね‥‥‥
 思い返せば本当にたくさん助けてくれたのは心底ありがたいことではあるが、それはそれとして
心労があった
ことはどうしようもない事実だった。
 私は実家と折り合いが悪い上に遠方なので実家に頼る選択肢ははじめから無かったが、出来る人は里帰りしたほうがいいかもしれない。臨月の体調不良は家事がほぼできなくなるレベルになりかねんし、義実家の個々人がいくら善人でも生活するといろんな綻びが出てくるものだから。

 ちなみにあれほど当たりの義実家を引いた!と喜んではいたが、結局今は色々あって別居している。単体だと何もならんのに組み合わせで悪さするとか日和見菌か?というのが今の感想である。 
 まあ、だいたい小姑が悪い。
 ここらへんは産後の大事件なので書こうとするとまた新しい記事にしなければならないレベルなので、気が向いたら書く。

◎前駆陣痛長くない?

 このあたりで38週より始まった前駆陣痛とおしるしの話をしよう。
 結論から言うと前駆陣痛は2週間以上、おしるしも10日以上続いた。
 39週の健診では3000グラムオーバーで子宮口3センチ開いている宣言を受けていたにもかかわらず、さらに毎日欠かさず1時間程度の散歩をしていたにもかかわらず、お小さい方は焦らすばかりで一向に出てこなかった。切迫早産だったくせに!よっ、この焦らし上手!

 22時頃から活性化する赤さんをやり過ごし、ウトウトしたかと思えば夜中突如猛然とやってくる痛みに毎晩苦しめられて、一体いつ始まるんだ?と陣痛カウンターを見ながら戦々恐々とし、2時間程度で遠ざかることで今夜も前駆陣痛か、ようやく眠れそうだという時にいつも赤さんに肋を蹴られ、もうあかんトイレ近いわと駆け込めば毎回出血大サービス、昼間は義実家の生活リズム‥‥‥

 アホか!いつ寝ればいいねん!死ぬわ!!

 予定日が4月の頭で22週で切迫早産になったから、私はこの時お小さい方はきっと3月生まれになるだろうことを半ば覚悟していた。お腹もめっちゃ落ちてきていたし、いつ出てもいいんだぞ!スタンバイ!みたいな体の状態が3月中旬から始まっていればそう思いもする。
 31日はいいけど4月1日は嫌だなあなんて言いながら、しかしその日は容易く過ぎた。ついでに予定日も同じ感じで過ぎていった。

 ねえあなた切迫早産だったでしょ?なんで!?

 思わず話しかけたけれど、お小さい方は肋を強く蹴るばかり。
 ちなみに予定日1日後の検診、子宮口変化なし3センチだったので、強めにグリグリされました。痛え。
 なお年度が変わっちゃったので主治医が異動になり、違う先生に代わっちゃったのが少し寂しかった。(ポリープ切除過激派)(前の主治医は温存派)

 さて、ここまで書いてきたが、あとはいよいよ出産当日の話になる。その日も紆余曲折あったが、しかし後にそれがあくまでも序章であったと知る日の話。

 


 あともうちょっとだけ続くんじゃ。


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