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他力本願で世間に貢献

ずっとチャレンジし続けているのにできていないことがある。
それは、献血。
いつも落選してしまう(低血圧や貧血のせい?)
悲しい。
でも、仕方がない。
このまま何もしないのか?
いや、したい。
どうしよう?
こうしよう!
健康優良児を見つけたら「献血に行ってください!」とお願いしている。
自分の体質を改善するよりも健康な人にお願いしたほうが早いと決断したのだ(本当は自分の健康を提供したいのに……)
そして献血カードで報告を受けたら盛大に感謝し、お酒をごちそうする。

他力本願で世間に貢献。
恥ずかしいことはない。
後ろめたさもない。

私は幼少期から少食で、食事を一人前食べきれないことが多い。
残してはいけないという教育方針がまかり通っていた時代の学校給食は拷問だった。
お昼休みの掃除の時間も一人居残りで食べさせられた。
食べられなくて泣いたこともあった。
(家庭での食事が完全に和食だったため、学校給食で出される洋風の味付けや食材が苦手だったし、私にとってはとにかく量が多すぎた)
それを哀れに思ってくれたのか、ただ多く食べたかったのか、すぐにクラスメイトが交代で私の牛乳とオカズを食べてくれるようになった(パンは残すことが許されていたから堂々と欲しい人に渡していた)
今でも忘れられない、先生の目を盗んで私のオカズを自分のお皿へと移し替えてくれるクラスメイトの素早い動き。その合間に自分の牛乳を飲み干した子がスッと私の牛乳瓶を空のものと交換してくれる。
私は腹八分で満足、クラスメイトは満腹、給食は廃棄なし。
誰も損をしない良い関係だった。

他力本願で世間に貢献。
恥ずかしいことはない。
後ろめたさもない。

自分にできないことは、誰かに頼ってもいいのではないかと思う。
できることをしないのは、甘え。
甘えるのではなくて、頼る。
丁寧にお願いする。
できない理由を伝えて、理解してくれる人に助けてもらう。

他力本願。
(本来の意味と違ったっていいじゃない)
人任せにしたり、されたり。
持ちつ持たれつ、やっていきたい。

他力本願(たりきほんがん)
1. 仏教用語。阿弥陀仏の本願に頼って成仏すること。
2. 人まかせ、他人依存、成り行き任せの意。
キリスト教における「三位一体」同様、現在の日本語の中で、元々の宗教的概念や意味合いとは異なって、使用されることのある用語の一つである。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


本日はここまで。
おおきに。
さて。
「猫のように生きる」とは?
できないことは頑張りすぎない

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