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ウクライナ国立バレエ日本公演「ドン・キホーテ」

人生初めてのバレエ鑑賞。

正直に言うと、今まで全く興味がなかった。

子どもの頃、クラスに必ず一人はバレエ教室に通っている子がいたように思う。姿勢が良いから、一目で「あ、この子バレエ習ってるんだな」って気づく。でも私が考えていたことといえば、髪の毛ひっつめてて痛くないのかな、とか、つま先立ちしてて身体に悪くないのかな、とか、そんなことばっかり。


そんな人間がなぜ今回見に行くことになったかというと、演目が「ドン・キホーテ」だったから。原作が好きなんです。

たまたま喫茶店に置いてあるチラシに書かれた「ドン・キホーテ」の文字に目が留まって、ドン・キホーテってなかなかクレイジーなお話だけど、バレエで一体どう表現するんだろうっていうのが気になって。あとは、バレエは敷居が高そうなイメージがなんとなくあったのだけれど、原作が好きなら楽しめるかも、というほのかな期待あって。


全3幕、2時間半ほど。当日プログラムを見てはじめて時間を知った。
私のお尻はもつだろうか…そんな不安が頭をよぎった。
長時間座るのは苦手なのである。集中力的にも、お尻的にも。


しかしそんな心配はどこ吹く風で、気づいたらもうカーテンコールだった。


バレエってこんなに楽しくて、美しいものだったのか。


演劇ではないから、ドン・キホーテのストーリー感はそんなになかったけれど、ドン・キホーテとサンチョ・パンサの動きが小説のイメージとぴったりで、華やかな踊りの合間合間に良いアクセントになっていた。


闘牛士の男が赤い旗を操りながら踊るシーンでは、なぜか坂東玉三郎さんが女形の解説で手ぬぐいをひらひらと捌いていた姿が重なった。

玉三郎さんは、指先までではなく、手ぬぐいの先まで神経が通っているように意識する、ということを話されていた。闘牛士の旗も、まさに末端まで神経が通っているような動きをしていた。


日本舞踊もバレエも、根幹は同じなんだと思う。体幹の強さ、美しく見える角度、曲線の描き方、視線……けれども、こんなにも表現の仕方がちがう。

よく、西洋の噴水に象徴される人工的な公園と、日本の自然との調和を重んじる庭園とが対比されるけれど、踊りも同じだなと。重力に逆らって、肉体が表現しうる美しさの限界に挑戦するバレエと、情景を描き出すように空間と調和する日本舞踊。芸術って一本の大樹で、無限に枝分かれしているんだなぁと、なんだか不思議な感覚になった。


次はどの公演を見に行こうかしらん。



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