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  • タイでセックスレス

    タイ女遊びの軌跡

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    人生折り返し地点。ふらふらしてきた自分の人生をまとめました。

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タイでセックスレス5.出会い系と彼女

 さて、飲み仲間を得てまた夜遊びをしだした私。ゴーゴー嬢のことをより詳しく知りたいという目的が、浅いレベルではあるがある程度達成されてあまり興味がわかなくなったところで、次は他人とワイワイしながら遊ぶという方向にシフト。おじさんの紹介を経てタイ在住の仲間もできた。  それがちょうどこのあたり、2017年のことである。おじさんとの出会いの後にアメリカに行き、またタイに戻り、タイでコンドミニアムを借りることにした。  本格的にタイに住み始めて、夜遊びの傍ら出会い系に本腰を入れ

    • タイでセックスレス4.飲み仲間

       結局30分で来ると言っていたバービア嬢は1時間経っても2時間経っても来なかった。おじさんとバービア嬢の取り合いをする未来がなくなったのは良かった。  やることもなく暇だったので、そのおじさんとゴーゴーバー巡りをすることにした。  パタヤの付き合いはあっさりしがちなので、誘う敷居が低い。日本で人を誘うと、面と向かって2時間くらいは顔を突き合わせて酒を飲みながら会話をしなければならない雰囲気になるが、パタヤではそうはならない。ゴーゴーバー店内はうるさいし、大して仲が良くなくて

      • タイでセックスレス3.夜遊び卒業しようと思った

         英語だけでも生活するには困らないタイで、ゴーゴー嬢とコミュニケーションを取るためにタイ語を独学で始めた。タイ語の勉強に関して困ったことは特になく、やらされていたという理由で勉強した英語よりも格段に速いスピードで上達していった。  そんなこんなで、以前より心を開いてくれるようにはなり、コミュニケーションも少し取れるようにはなってきたが、すぐに限界を感じるようになってしまった。結局客の立場から抜け出すことはできず出費がかさむばかりだし、ずっと一人でそんなことをしていると寂しく

        • タイでセックスレス2.満たしたい欲求

           タイにいるからこその遊びとは何か。そう考えたときに目に入ったのはオブセッションであった。オブセッションとは、股間未工事のLB(レディーボーイ)専門のゴーゴーバーである。  これだ。タイと言えばオカマ。  その日から私はオブセッションに毎日通い、LBと一戦交える心の準備を整えることにした。  色々と割愛はするが、最終的に3人くらい買ってみた感想としては、別にLBでなくて女でいいということと、コミュニケーションが取れないという問題が一切解決されていないということであった。そ

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        • タイでセックスレス
          4本
        • ふらふら人生
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        記事

          タイでセックスレス1.アングラなもの

           インターネットの情報によると、ゴーゴーバーというものがバンコクにあるらしい。  当時はカオサンのドミトリーに泊まる、教科書に載っているような健全バックパッカーだった私は、タイに蔓延る性風俗産業についての記事をインターネットで読み漁っていた。  思い返せば日本に住んでいたころから、ストリップ劇場や上野のゲイ映画館など、アングラ(と思っていた)なものを興味本位で見に行くのが好きだった。普通の風俗やキャバクラには行ったことがないくせに。  その流れを汲むと、アングラ風俗(と思っ

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          ふらふら人生10.ひたすら旅行

           タイの現地採用になろうと思っていた矢先、友人から仕事の誘いを受けた。正直タイで就職はいつでもできると思っていたので、結局友人の誘いに乗って日本に帰ることにした。2016年4月、私は東京にいた。  普通のサラリーマンのような生活を3ヶ月ほど送ったときに気がついたことがあった。友人の会社を手伝っている体裁である以上、特に定時が存在しているわけではなく、仕事内容的にもインターネットとPCがあれば完結するようなことだったので、私は日本にいなくてもいいのではないか。  その説を実

          ふらふら人生10.ひたすら旅行

          ふらふら人生9.カレーとさよなら

           かくして私は会社を介することなくインドでの生活を手にいれた。お金の心配もなく時間的余裕もできて、短期間で旅行するには十分な環境だった。特に私の場合、生徒の夏休みや春休み期間がほぼ私の休みにもなる。  普通の塾では夏期講習等を実施するものだが、インドの場合は皆日本に一時帰国する場合が多い。そして私は日本には行かなかった。そのため、この期間を使って旅行することができたのだ。  この頃は本当に楽しかった。自由を満喫している自分に全能感があったし、強い自己肯定感を持っていた。ただ

          ふらふら人生9.カレーとさよなら

          ふらふら人生8.インドでぼっち

           競合のいない土地というのはそれだけ生徒数も少ない。なるべく利益を上げるために、私は週の前半を南インドの都市チェンナイで、週の後半を西インドの都市ムンバイで、2拠点の体制で仕事を進めていた。  2拠点と言っても、家を借りていたのはチェンナイだけで、ムンバイではバックパッカー用のドミトリーのゲストハウスに泊まっていた。ムンバイで家を借りても良かったが、一人でインドで仕事をしていると人恋しさがあり、ドミトリーで暮らすことにした。  そんな生活を半年くらい続けたところで新しい問題

          ふらふら人生8.インドでぼっち

          ふらふら人生7.本当にインド

           2013年4月、私はスーツケース一つにバックパックを担いで出国した。ドバイで研修を受けるためだ。  ドバイの教室はホテルの一室であり、私の他には女性講師が2人いた。私はそこで早速授業を開始した。同時に2週に一度インドに出張もしていた。過去にドバイに住んでいてインドに引っ越した生徒からの要望があったからだ。  なお、女性講師の1人は私と同じスタイルで、トルコに出張しながらドバイでも仕事をしており、もう1人はドバイが中心のようだった。 「何ならオープンするのインドじゃなくても

          ふらふら人生7.本当にインド

          ふらふら人生6.卒業後3年目にして3社目

           楽しかった旅行も終わり、そろそろ次の仕事を決めないとという焦燥感に駆られる。  新卒で就職してから3年弱の月日が経過していた。当初の予定では300万円近くの貯金があり、あと2年で退職して放浪の旅に、というはずであったのに、現実は2桁万円の貯金しかない無職である。  現実のこの貯金ペースを考えると年間100万円は到底不可能で、500万円なんてあと何年かかるか分からない。背伸びした職探しももうしたくない。  そこで考えたのが、一旦貯金のことは考えずに、すぐに外国で働けて、強敵

          ふらふら人生6.卒業後3年目にして3社目

          ふらふら人生5.転職の浅知恵

          「会社クビになったわ」 「え?」  転職してから1年経ってクビになったが何一つ達成していない。旅に出る資金も、再就職のための資格も、何もない。銀行口座の中には100万円も入っていないし、頭の中には資格の知識が何も入っていない。  失敗した理由は何か。ひとえに自己認識が甘いことにある。  堕落した大学生活を送っていたせいで、高校を卒業してから一切知識を吸収していないのにも関わらず、士業のエリート集団と渡り合えると思っていた。頑張ればなんとかなると思っていた。  頑張ってもな

          ふらふら人生5.転職の浅知恵

          ふらふら人生4.ベターなバイト先

           就職先をバイト先と見なして働きだしてから1年が経過した。あいも変わらずどこかに行きたいとずっと思っており、その頃には目標金額と妄想の旅程が大方出来上がっていた。  年間100万円ペースで4年間貯金をして400万円を作る。1年間200万円の予算で1年半から2年間かけて世界中回れば大体満足する試算であった。  ただ、満足してもそこで人生が終わるわけではない。当然その後も生き続けるわけなので、再度社会復帰が必要なのである。今度はニートでなく浮浪者からの。  そうであれば、バイト

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          ふらふら人生3.バイト気分で就活

           社会人になるのでいつまでも学生気分でいてはいけない。  遊び呆けて留年していた学生時代の私の気分は学生というよりニートで、ニートが社会復帰をするために就活をしていた。そんな私には耳の痛くなる言葉、というよりもはや異世界の格言のようだった。  入れればどこでもいいと本気で思って就活していたのだが、単にニートの社会復帰だと思って就活していただけ、ということもない。相変わらず外国への憧憬は強く、その欲望を満たすように動こうと自分なりに考えた結果でもある。どういうことか。  ま

          ふらふら人生3.バイト気分で就活

          ふらふら人生2.外国への憧憬と学生時代

           私は中学生くらいの頃から、外国に対する憧れが強かった。きっかけは間違いなく当時の塾の先生だ。父親の仕事の都合で私は某国の日本人中学校に通っていたのだが、日本での高校入試に備えて現地の日本人向け学習塾に通っていた。  そこにいた数学の先生が自分の海外旅行についてよく話していたのだが、ザイールが何だ、パキスタンが何だと聞き馴染みのない国の話ばかりするのである。私は強い好奇心を持ってその冒険譚に聞き入っていた。  無事に高校受験も終わり日本での生活が始まってからは、他人の旅行記

          ふらふら人生2.外国への憧憬と学生時代

          ふらふら人生1.無職になった

          「会社クビになったわ」 「え?」  2012年11月、会社都合で解雇された翌日、造幣局のイベントに友人と一緒に行く約束をしていたので、無職になり意気消沈しながらも意気揚々と造幣局に向かった。  解雇されてから初めて会ったのがたまたまその友人だったので早速報告してみたのだが、思ったほどの反応は得られなかった。  解雇理由として色々とよく分からないことを話していたものの、要するに利益を生み出さないので不要ということだそうだ。突然そんなことを告げられてこれからどうしようと思いな

          ふらふら人生1.無職になった