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わたしが母に「大好き」と言えるまで。『ジェーンとシャルロット』 #映画

母に病気が見つかってから、わたしたちは別れるときに毎回ハグをするようになった。
親とハグ。やってみれば簡単じゃん。抱き合うたびに母がだんだんやせ細っていくのがわかる…とかいうとそれっぽいのかもしれないけれど、実際のところ治療初期の変わり幅がいちばん大きく、基本的にずっとがりがりに痩せてこわれそうだった。

(C)2021 NOLITA CINEMA – DEADLY VALENTINE PUBLISHING / ReallyLikeFilms

「ジェーン様〜シャルロット様〜」とかミーハーにキャッキャできたらいいか、くらいの気持ちで『ジェーンとシャルロット』を観に行ったわけ。あなたも(ちょっとは)そうでしょう?

いや、たしかに序盤から日本旅館の広縁にジェーン・バーキンとシャルロット・ゲンズブールが向かい合って座ってるだけでなんだかすごい画だし(小津安二郎ゆかりの茅ヶ崎館である)、魚市場のターレーに一緒に乗ってるのとか最高すぎて最高だった。

だれかに怒られそうだけれど、ときどきジェーンの姿が自分の母親に見えてくる。母は日本人としては顔が濃いほうだし、茶髪のパーマでちょうどジェーンと同じような髪型だった。ノーメイクでくたびれた表情をしているときなんかはそっくりだ(母にも怒られる)。

早くも旅館での会話シーンから緊張感が漂ってくる。
シャルロットはなんとなくカメラを回し始めたわけではなく、最初から映画にするつもりでプロジェクトを進めている。どんどん突っ込んだ質問を投げてジェーンの内面にせまって行く。
娘であるシャルロットに対して気後れしていた、と語るジェーン。シャルロットは子供の頃からミステリアスな存在で、いわく「地図のない土地のようだった」。
ある日、ジェーンは美しく成長していく娘に触れたくなり、胸を触らせてほしいと頼む。おお、すごい話をしてる。
しかしパーソナルな部分にどんどん迫っていくシャルロットの姿勢にジェーンは萎縮してしまい、撮影はそれからしばらく中断されてしまう。

再開されたのは2年後。そこでは新たな登場人物が加わる。シャルロットの末娘であるジョーだ。
カフェテラスで娘にカメラを向けるシャルロット。「何かしゃべって」「ママは世界一」「周りがうるさくてよく聴こえない」。やーん素敵。
別の母娘関係が現れることによって、ジェーンとシャルロットの関係も変わって見えてくるようだ。
シャルロットとジョーはブルターニュにあるジェーンの別宅を訪れる。そこはいわゆるセレブの住宅のような雰囲気ではなく、ロメール作品はたまたマティスのアトリエかというような海沿いの古い建物。それに散らかっている。
物が捨てられないと話すジェーン。「たとえば箱を捨てたくても、その中に誰かの手紙が入っているかもと思うと捨てられない」。シャルロットのカメラは床へ無造作に積み上げられた封筒へと目を移す。そこには亡き姉ケイト・バリーの名前が書かれている。
元夫・セルジュが買ったバーベキューセットが、パーツも欠けているのにずっと玄関に置かれたままになっている、とジェーンが笑う。
ああ、残されている誰かの痕跡が、不在をそこに横たわらせている。

そして決定的な〈不在〉の空間をふたりは訪れる。ヴェルサイユ通りにあるセルジュ・ゲンズブールの家だ。現在その場所はシャルロットが管理しているが、気味が悪いくらい当時のままに残されている。
誰かが1ミリでも物を動かしていたらセルジュは必ず気づいて怒ったという。今でもその禁忌が存在するかのようにあらゆるものが30年間動かされずにいる。ジタンの吸い殻、ジェーンの使っていた香水――。

〈不在〉の穴に囲まれたふたりは、お互いの距離の意外な近さと、同時にたしかに埋められない遠さを知る(たぶん)。
本作の撮影についてシャルロットは「母に近づくための口実」だと言った。ふたりの関係にはずっとどこか遠慮があるように感じるし、作品を通して距離が縮まったりすることもない(ように見えるし、インタビューでそのようなことを言っている)。それでもシャルロットは「ずっとあなたを愛してきた」ことがわかった、とモノローグで綴る。
「過ぎていく時間が怖い」「あなたのいない人生なんてありえない」(モノローグより)。わたしは母が亡くなったとき、これまでの人生がひと区切りされたように感じた。これまで知っていた世界はいったん終わってしまったのだと。母のいない世界にいることは、まったく別の世界に生まれ直したようだ。

ジェーンとシャルロットの関係を普遍的な母娘のそれとしてだけ見るのはなかなか無理がある。本作のTシャツ、アニエスベー製で13,200円だぞ。それぞれが一時代のカルチャーアイコンでありスーパーセレブだ。

最近、友人が「最近、実家に泊まるのが居心地悪くなってきた」と話していた。あーわかる。自分が大人になっていくほど、親に対する子どもとしてのロールプレイをするのが変な感じになってくる。
ましてやシャルロットは13歳から外の世界で独立して生きてきた。シャルロットにもジェーンにも、親子の立場を演じる時間は少なかった。

母に「大好き」と言えたのは亡くなる前日だった。コロナ禍以降ずっと禁止されてきた面会が緩和されて、その日はじめて15分だけの面会が許されたのだった。
あそこまでいってやっとそれが言える立場になったんだな。そこらまでいかないと、ハグもできなかった。
面会が終わってからナースステーションの向こうの母のいる部屋を見ていた。それに気づいた母が手を挙げて、こちらにピースサインを送った。それが最後に見た意識のある状態の母の姿。

母の遺品や古い写真を整理しているときに思った。これ、母がいるうちにやればよかった!
事務的なこともそうでないことも山ほど聞きたいことが出てくるし、父やわたしの記憶だけでは正確ではない思い出も多くある。写真を見ながらわいわいすれば、当時の立場で話もできる。「母に近づくため」の手段はたくさんあった(ことに気づいたのは少し遅かった)。

日本では追悼上映となってしまった。ジェーンの訃報を聞いて、本作について乱暴にも「間に合ってよかった」と思ってしまった人も少なくないだろう。あなたの親が元気なら、できることもたくさんあるわよ。お母さんのこと大事にしろよな。


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