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描くこと、あるいは書くことについて

ブルーピリオド最新刊を読んだ。相変わらず最高である。青春をどこかに置いてきた中年男性の課題図書として、読むべき作品だ。

本作は藝大を舞台に若き芸術家の卵たちの悪戦苦闘を描く青春ドラマだ。といってもハチミツとクローバーのように恋愛のついでに芸術があるといった体裁ではなく、表現とは何か、才能とは何かというテーマを突き詰めている。

似たようなテーマの作品に左ききのエレンがあるが、圧倒的な天才と凡人という構図である同作に比べ、ブルーピリオドはより現実路線だ。何でも卒なくこなせる秀才ではあるが、天才ではない主人公という点も、主人公以外のキャラのほうが魅力的な点も、よりリアリティを持つ。
(どちらに優劣があるという話ではなく、左ききのエレンが最高なのは言うまでもない)

12巻で最も印象的だったのが、「脳ミソが手についている」という表現だ。悩みすぎてスランプに陥り、袋小路に入った主人公が課題を通じてガムシャラに作品に没頭するというシーンだが、東村アキコ氏の自叙伝的な作品であるかくかくしかじかでも似たようなことが描かれている。東村氏の師匠である「先生」から、とにかく描けと言われてキャンバスに向かうシーンが非常に印象深い。才能云々もあるだろうが、量をこなすことでしか得られないというのも、また一つの心理なんだろう。
(かくかくしかじかもまた傑作であることは言うまでもない)

量が質を凌駕するというのは芸術に限らず、あらゆる分野で応用がきくのではなかろうか。情報が氾濫する現代、調べれば調べるほど頭でっかちになりがちだが、圧倒的な量をこなすことでしか成長しないタイミングというのはある。芸術に関しては疎いが、楽器でもスポーツでも仕事でも、根は同じだろう。

個人的に、今年は公私とも「書く」ということを突き詰めようと考えて半年間ほど過ごしてきた。年の功とやらで、ある程度手癖で書けるようになっていた一方、予定調和的な世界で満足していた所があるので、一旦これまで培ったスタイルを壊して試行錯誤を繰り返している。ありがたいことに、これまでと違ったステージで文章を書く機会にも恵まれている。未だ途上ではあるが、毎日が非常に刺激的である。

毎晩パソコンに向き合っていると、何が面白いのか、何が面白くないのかよく分からなくなるが、それでも手を動かし続けないと駄目だなということを考えている最中だったので、とりあえずブルーピリオドが大変刺さったということをここに記しておきたい。芸術に縁遠い人生を歩んできたので、将来、自分で絵や楽器を触ってみたいと思う今日この頃である。勢いで書いているので特にオチはない。


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