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荻窪随想録14・荻と数珠玉

元公団荻窪団地である、「シャレール荻窪」には、
大谷戸(おおやと)さくら緑地のほかに、やはり大谷戸という名前を頭につけたけやき緑地や、かえで緑地という、実際には緑地というほどのものではない、小さな公園がある。
しかし、「大谷戸」という地名は、自分がまだ団地に住んでいた昭和30~40年代半ばにはなじみのないものなので、どこから来たのかと思っていたら、さくら緑地の脇を流れている善福寺川にかかっている橋の名が、大谷戸橋となっているのに気がついた。

こんな橋は以前からあっただろうか。
欄干を見ると昭和51年3月竣工という札がかかっているので、その時に初めてかけたのかもしれない。
その一つ川下に当たる、西田端橋(にしたばたばし)は、小学校に通う時の通学路だったから、私もその名前とともによく覚えているが、
改めて竣工年を見ると昭和38年となっているものの、そんな頃までここに橋がなかったら誰もどうにもまともに生活できないので、
これは橋を木造から今のコンクリ製のものに架け変えた時の年だろうか、と思っていたら、
昭和時代の杉並区を写した写真集の中に、木造の西田端橋が写っているものが見つかった。
善福寺川の整備をしている時のものだということで、川岸には草が生い茂り、その向こうには4階建ての荻窪団地がすでに建っているのが見える。
昭和37年頃の写真とされているので、それならきっと、幼児だった私も親に手を引かれて、まだ木造だった西田端橋の上を渡ったことがあっただろうが、それは記憶としては残っていない。

調べてみると、昭和の初め頃、そのあたり一帯は、大谷戸(大ヶ谷戸)といったそうだ。
荻窪団地をシャレール荻窪として建て直す時に、土地の記憶を呼び戻そうとでもするかのように、昔の地名を公園の名前につけたのだろうか。
私が住んでいた頃には空き地で、後に公園として整備された、西田小学校の隣の松渓公園でも、その地下には「西田町大ヶ谷戸遺跡」という名がつけられた縄文時代の遺跡が眠っているという。
昭和49年の発掘だということなので、そうすると、大谷戸橋が昭和51年に新しく架けられた橋だとしたら、土地の名前で昔の記憶を呼び覚まそうとしたのはこちらが先になるかもしれない。

シャレール荻窪のあるあたりを、現在の荻窪と呼び変えるようになったのも、私がここにいた10歳頃のことだった。それまではそのあたりは西田町といった。まさに、元は田んぼでしかなかった土地につける名前だ。そして、それよりもさらに以前には、その大谷戸と呼ばれていた、というわけだ。

団地の西側には、杉並区を北西から南東へと横切る善福寺川が流れていて、
その両岸にはその整備をしていた時に作ったものなのか、細い歩道があり、川に沿って川上にも川下にもずんずん歩いていけるようになっていた。
私がいた頃にはそのあたりにはまだ野草が茂るままになっていて、その中にきっと、荻窪の地名の由来ともなった、丈高いすすきによく似た荻が交じっていたのだろう。
でも私たちは、当時、誰かから「これが荻なんだよ」というふうに教わったり、自分たちの間で話題にしたりしたことは特になく、私たちになじみがあって親しんでいたのは、荻よりもむしろ、数珠玉のほうだった。

数珠玉は荻と同じイネ科の、やはり長く伸びる草で、今ある大谷戸橋のあたりにはたくさん生えていた。
女の子たちは、数珠玉が実っているのを見ると、実を摘んでブレスレットを作ったり、お手玉を作る材料にしたりした。
私はたまたまそのどちらも自分で作ったことはなく、人に見せてもらったことしかないが、濃い灰色や黒茶色のつやつやした実がついているのを見ると、わけもなくせっせと摘んで集めてみたりしたものだ。そして、地面の上に棒きれで線を引いてそれぞれの国を作り、戦争ごっこをした時に、数珠玉を王様や家来に見立てて戦わせたこともあった。ゲームの駒代わりにもなったと言えるだろう。

今の川べりは見た目に美しいけれど整備され過ぎて、荻も数珠玉も、もはや1本も残っていない。
荻だけは、近年になって荻窪に限らず杉並区のあちこちで、植え込みを作ったり、池の周りの一角に植えたりして、保存、もしくは復活させようとする試みが見られるようだが、数珠玉のほうはそんなことをしているところは、今のところ一度も見かけたことがない。

もう数珠玉がこの川べりに戻ってきて、実をつけることはないのだろうか。

でももし今でも、数珠玉が生えていたら、子どもたちはきっとその実を摘んで、昔と変わらずにアクセサリーを作ったり、いろんなやり方で遊び道具にするのではないかと思う。


【追記】2024/01/21
これ、最初に書いた時に、文中に出てくる「松渓公園」を、「松渓橋公園」と勘違いして書いていました。
どうりで、松渓橋公園に行ってみても、どこにも遺跡のことを書いてある立札とかがないなあ、と思っていたんですが。
話題にした松渓公園のほうは、まだちょっと足を踏み入れたことしかなく、その時にはここまで公園にしてしまったのか、という感想ぐらいしか持たなかったので、遺跡が眠っていることにも気がつかなかった。
そのうち、改めてまた行ってみようと思いますが、本文のほうは訂正しました。
大変、失礼いたしました。


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