Reiko.A/東 玲子

ステージにも立つが、筆も執る。オカルティスト。ステージワークとしては、かつてMERZB…

Reiko.A/東 玲子

ステージにも立つが、筆も執る。オカルティスト。ステージワークとしては、かつてMERZBOWでノイズ演奏とヴォイスで活動。現在は動きながら声を出すのが基本。訳書としてパティ・スミス詩集「無垢の予兆」など。過去ブログwebdice.jp/diary/124

マガジン

  • 荻窪随想録

    自分が生まれた土地にまつわること、そして昭和のこと、変わったこと、変わらないこと。とても個人的ではあるけれど、すべての杉並区loverへ。随時更新中。

  • 【萩尾望都】関連

    かつて私の一番尊敬するまんが作家であった萩尾望都。その萩尾望都の作品に関するあれこれ。やみくもに賛美してもしかたがない、という姿勢でたまーに更新。

最近の記事

荻窪随想録21・元は田んぼの荻窪団地――西田町1丁目――

自分は幼稚園に入った後のことは、入園式の日のことから始まって、割とはっきりと覚えているほうだと思うが、 かといって、小学校の入学式の時のこととなると覚えていることがない。自分にとってはそれほど変わったことはなかった日だったのだろうか。 でも、この随想録を書いているうちにだんだんわかってきたのだけれど、幼い日のことでよく覚えていることというのは、たいてい大泣きした日か、食べものにからんでいることがあった日なのだった。 つまり、幼稚園の入園式の日はその片ほうの、大泣きをした日だ

    • 荻窪随想録20・荻窪団地にできた大きな水たまり

      東京の桜が満開になったというので、シャレール荻窪脇の、大谷戸さくら緑地に出かけてみた。 曇り空の下で、淡いピンク色の花が確かに木々の梢に咲きそろっていた。 この緑地でなら、下のほうに伸びた枝の先についた花を、近寄っていって間近に見ることができる。 花が咲く前のつぼみは、少し濃いピンク色をしていて、そのようなつぼみをつぶさに眺めたあげくに、写真に収めることもできるのだ。 足元の緑の中には、よくわからない草に交じって、昔ながらのオオバコのようなものや、ペンペン草も一部に生えて

      • 荻窪随想録番外――西田小第7回同窓会総会

        きのう、母校の西田小学校の同窓会が開かれるというので、 荻窪「タウンセブン」の8階のホールに行ってきた。 私はこの同窓会の存在をこれまで知らなかったけれど、 同じく西田小を出た兄のところに届いたお知らせで知り、初めての参加 (出無精の兄は不参加)。 予想どおり、同期には一人として出会えなかったものの、 自分よりはるかに年上の同窓生の人たちがフレンドリーに接してくれ、 気になっていたことを知ることができたし、 初めて知ることもあったりして、楽しい時を過ごせた。 しかもなんと

        • 荻窪随想録19・丸山橋から美濃山橋まで――善福寺川を遡上・続き――

          後日、中途挫折した丸山橋から、善福寺川の川べりの道を、改めて川上に向かってみた。 その丸山橋までは、以前、途中で西荻の駅に向かって方向転換した時に通った道を、そのまんま反対にたどり直した――駅を出たら荻窪方向に少し戻って、材木屋さんのある四つ角で左に曲がる――住宅街を抜けて10分くらい。普通に歩いていけば、源泉のある善福寺公園には数十分で着くのでなんだかばかばかしいことをしているような気もしたが、やっぱり川に沿って歩いていったらどんな気持ちがするか、というのがあったので。

        荻窪随想録21・元は田んぼの荻窪団地――西田町1丁目――

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        • 荻窪随想録
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        • 【萩尾望都】関連
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        記事

          荻窪随想録18・善福寺川の源泉とされる小さな滝を訪ねて

          下流のほうまで歩いていくことはできたけど、なんだか私はもう自分の足には自信を持てなくなってしまった。途中で足をひねりかけたし。 それで、川沿いに善福寺川の水源を目指すよりも、まずは手っ取り早く源泉があるという善福寺公園に行ってみることにした。 そうしたのは、実のところ、以前、図書館で見つけてもらってきてあった、フリーペーパーである「すぎなみ景観ある区マップ」をじっくり見て、丸山橋から先、川沿いの道をすべて歩き通せるわけではないことを先に知ってしまったからでもあった。 だっ

          荻窪随想録18・善福寺川の源泉とされる小さな滝を訪ねて

          荻窪随想録17・西田端橋から大宮橋まで――善福寺川を下っていったら――

          善福寺川の川べりの道を、水源まで遡ってみようという先日の試みは中途半端に終わってしまった。 でも、その続きをする前に、ちょっと久しぶりに、川沿いの道をたどる形で、川下のほうに行ってみたらどうだろうか、と思った。 川下なら西田端橋のすぐ次の神通橋から先が、延々と続く緑地になっているので、今でも桜の季節にはもっと下流のところから緑地に入って、桜並木を眺めながら散策することもある。それに、その緑地は、子どもの頃には日常的に遊びに行っていた場所だ。 とはいえ、その正面玄関のような神

          荻窪随想録17・西田端橋から大宮橋まで――善福寺川を下っていったら――

          荻窪随想録16・丸山橋まで――善福寺川を遡上――

          善福寺川は、川べりにある道を、川上にも川下にもどこまでも歩いていける。 自分でそう書いておきながら、ほんとうにそうなのだろうか、と思った。 それは自分が子ども心に思っていたことであり、実際には今となってさえも、川上には荻窪駅に通じる通りに出られるあたりまでしか歩いていってみたことがない。 それで、一度善福寺川を遡っていってみようかと思った。 もちろん目指すのは、善福寺川の源であるという善福寺池のある、善福寺公園になる。 冬にしては暖かいある晴れた日の午後に、シャレール荻窪(

          荻窪随想録16・丸山橋まで――善福寺川を遡上――

          荻窪随想録15・西田端橋の下で――昭和45年のある日のできごと――

          西田端橋――にしたばたばし――という、うっかりすると舌をかみそうな名の、善福寺川にかかっている橋。 その橋が荻窪団地に行くバスの決まって通る道だったし、団地に住む小学生や中学生が通学するために通る道でもあった。 今は左右に人が通るための歩道をつけ足して、ずいぶんと広くなっているが、以前はもっと狭く、もっと飾り気のない橋だった。 橋の下を流れる善福寺川も、今の善福寺川しか知らない人には想像もつかないほど汚かった。 常に薄汚れた感じで、浅い川の底ではいつも、得体の知れない大きな灰

          荻窪随想録15・西田端橋の下で――昭和45年のある日のできごと――

          荻窪随想録14・荻と数珠玉

          元公団荻窪団地である、「シャレール荻窪」には、 大谷戸(おおやと)さくら緑地のほかに、やはり大谷戸という名前を頭につけたけやき緑地や、かえで緑地という、実際には緑地というほどのものではない、小さな公園がある。 しかし、「大谷戸」という地名は、自分がまだ団地に住んでいた昭和30~40年代半ばにはなじみのないものなので、どこから来たのかと思っていたら、さくら緑地の脇を流れている善福寺川にかかっている橋の名が、大谷戸橋となっているのに気がついた。 こんな橋は以前からあっただろうか

          荻窪随想録14・荻と数珠玉

          荻窪随想録13・荻窪団地の集会所

          荻窪の駅前からは、今も住宅地である「シャレール荻窪」へ行くバスが出ているけれど、 その前身であった、南口から出ていた荻窪団地行きのバスは、 環八を迂回して団地を目指し、南側にあった11号館に近いところに停まるものだったから、 私の意識の中では、常にそこが荻窪団地の入り口だった。 でも、団地のそれぞれの棟の外壁に大きく書かれていた黒い通し番号からすると、 1から3までの独身者向けに造られた、棟がつながって立ち並んでいた北側のほうが、ほんとうの入り口だったのだろう。 確かに、駅

          荻窪随想録13・荻窪団地の集会所

          荻窪随想録番外ーークリスマスツリー余談

          そう言えば、幼稚園生の時から中学1年ぐらいまでの間は、 自分は山ほど童話を書いていたけれど、 きわめて小さな頃に書いたものの中に、 双子の天使がどこかに出かけて、帰ってきたら、とてもきれいなクリスマスツリーが出迎えてくれた、というのがあった。 別にその日がクリスマスであった、という説明は、それまでに話のどこにも出てこないんだけど……まあ、その年齢だから書いたと言ってもたあいのないものばかりで。 あれは今思うと、団地の大きなクリスマスツリーを毎年見ていて、 クリスマスツリー

          荻窪随想録番外ーークリスマスツリー余談

          荻窪随想録12・荻窪団地のクリスマスツリー

          今はすっかり建て替えられ、 「シャレール荻窪」などという、しゃれたつもりなのだろう名前のつけられた、 ちょっと敷居の高そうな住宅地が、 かつては単に「荻窪団地」と呼ばれていた頃、 私はそこで育ち、そこで幼少期を過ごした。 生まれてから、小学校を卒業するほぼ一カ月前まで。 私は昭和34年生まれだから、 親はたぶん昭和33年にこの公団住宅が建てられた時、最初の入居者のうちの一組としてここに入ってきて、 そして、団地に引っ越してきた年だか翌年だかに、私が生まれたのだろう。 (入

          荻窪随想録12・荻窪団地のクリスマスツリー

          『青のパンドラ』第9回目の1――神秘のかけらもなく

          今回は、さらに掲載ページが減って10ページのみ……、 もはや、ペン入れが間に合わないとかいった状況以前のようだが、果たして大丈夫なのだろうか。 さて、今回は、見開きの黒マントの集団の扉絵を見た時から、 やっぱり、萩尾望都はこっちの方向に行きたいんだな、と思った。 こっちの方向とは、群集心理や非常時の集団パニックなど、より地上的で現実的な問題にスポットを当てること。 『AWAY』を読んだ時からそう思っていた。 あれは小松左京の短編の『お召し』という作品が原案ということで、

          『青のパンドラ』第9回目の1――神秘のかけらもなく

          萩尾望都の『学校へ行くクスリ』

          前回、バラの根を頭にからませたフォンティーンのことを、 大島弓子の『草冠の姫』に出てくる桐子のようにたとえたのを、 しかし、私も引き合いに出すものが古いよな……と思っていたが、 同じように古い萩尾望都のコミックスをめくっていたら、それこそ桐子のような女の子が出てくるまんがに出合った。 『学校へ行くクスリ』――印象が薄かったんで、読んだことすら忘れていて、読み直していく間もオチも思い出せなかったものの、 ここに登場する女子高生、中川マユミは、主人公の少年の目には、ある日から突

          萩尾望都の『学校へ行くクスリ』

          それも愛なのか-ー『青のパンドラ』第8回目の2

          やっぱり前回は、話の途中でぶつ切れになっていたようだ。 今回は、あからさまに物語の通し番号がvol.8のⅡになっているし、なんと扉絵すらない(そんなのってアリ? 普通、体裁を整えるために、2回に分けたんならそのぐらい描き足さないか?)。 そして、vol.8のタイトルどおり、最後のページでようやく、フォンティーンがリュートをかき鳴らしながら歌った。 前回は、下絵までは描いたけれど、ペン入れが間に合わなかった、とでもいうことだったのだろうか。 どうしてどこにも、こういったことに対

          それも愛なのか-ー『青のパンドラ』第8回目の2

          荻窪随想録11・田端神社【中】

          曼珠沙華も、やや盛りを過ぎた頃だろうか。 そろそろ咲く季節だな、と思っていてもいっこうに姿が見えなかったりするのに、 ある時突然、大きな花を咲かせていたりするから驚かされる草花だが。 この田端神社の境内にも、いつも表参道の脇に紅い曼珠沙華が咲く。 いつだったか足を止めて見ていたら、 神主さんのお母さんかと思われるぐらいの年齢の人に、 分けてあげましょう、と言われて何本か切り分けてもらったことがあった。 写真を撮ろうとしていただけなのに、と内心思ったけれど、 すまなく思う

          荻窪随想録11・田端神社【中】