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全ての温泉むすめを訪ねる旅 その4

 2022年4月15日。
 前回の旅から4か月の時間が経った。
 コロナ第六波はオミクロン株の登場によってそれまでの感染拡大とは訳が違う拡大の仕方で、諸外国と同程度と思えるような感染者数の増大は見ていて恐怖を覚える程だった。
 それでも4月位になってくると感染者は減少し始めたのと同時に、ワクチンの接種も済ませた事で再び出発しようと考え、私は北陸新幹線に乗って上田へと向かった。
 なおこの旅行の出発日にいわゆる「国連たわわ事件」が発生し、UNWomenをはじめハフポスト、あるいはラディカルフェミニストなどに猛烈な批判が向けられた訳だが、それらは単に男女共同参画を言い訳にしたポリコレのゴリ押し、表現規制や言論統制あるいはキャンセルカルチャーの正当化に用いる彼らが悪いのであり、今更語る程のものでもない為ここまでにしておく。
 

 今回は野沢温泉の菜々ちゃんと湯田中渋温泉郷の穂波ちゃんへ会いに行くついでに別所温泉にも寄ることにする計画を立てた。
 上田というと2009年に公開されたアニメ「サマーウォーズ」を知るまでは全く降りようとも、行こうとも思わなかった地であったが、最近はもっぱら別所温泉に行くためと信州亀齢の岡崎酒造へ寄るために降りている。
 この日も新幹線との乗り換えがあまり考慮されていない上田電鉄の発車時刻を睨みながら、まずは軽く観光してから別所温泉へ向かうこととした。

特約店でもなかなか買えない人気の日本酒、信州亀齢の醸造元。岡崎酒造。

 この岡崎酒造の作る日本酒は全国的に著名な酒であり特約店以外では出回らず、特約店であってもなかなか買えない幻の日本酒として知られるが、直接上田の直売所へ行くと買うことができる。
 純米大吟醸はそれこそ水のような飲み口で、気がつくとぐい呑みが空になってしまう程の旨い酒だ(同時に酔っ払うのも早い)。
 杜氏の岡崎美都里氏の実姉であるおかざき真里氏は漫画家で、この時はデザインラベルの製品が置いてあったので購入させていただくこととした。
 電車の時間まではまだ余裕があったので、酒蔵の並びにある古民家カフェ(森文)で一休みする。コーヒーと一緒にチーズケーキを頼み、天井の梁がそのまま残された居心地の良い二階の一角で気分の良い時間を過ごすことができた。

時間の許す限り居たいと思えた喫茶店。
古民家をそのまま使用しており、梁がむき出しになっている。

 駅に戻り、上田電鉄で下之郷へ向かい、バスを乗り継いでやってきたのは無言館。ここは太平洋戦争によって帰らぬ人となった画学生の遺作を一堂に集める美術館で、展示数はかなりのボリューム。
 展示されている絵の作者は戦没者であり、戦後の作は当然ながら無い。
 私たちが戦後憲法21条によって言論の自由・表現の自由を享受し、やりたいことを思いのままに発表できているのに、ここの作品の作者はそうした未来も許されず戦争に駆り出されて犠牲になってしまったという事実を目の当たりにし、様々な思いが頭をよぎる。
 太平洋戦争に関わる考え方は思想信条により、侵略戦争であった、あるいはアジアを欧米列強から解放するための戦争であった、と様々だが、少なくともここにある作品と相対するには己をイデオロギーから解放し、まっさらな状態で鑑賞することが適切であろう、と考えながら次のバスが来る時間ギリギリまで滞在した。

丘の上にあるので、バスで来るとちょっと大変。

 別所温泉は散り際ながらまだ桜が健全で、バスを降りた私に美しい姿を見せてくれた。

別所温泉バス停にて。

 ここに来たらまずは観音様に詣でなくてはならないが再び雨が降ってきて元気が出なかった為、不心得者の私は参拝を明日に決めて宿へ直行することにした。ここ別所温泉には定宿と決めている「チロル亭」という宿があり、他の宿もそれなりに気になりつつ、それでも最後にはこちらへと予約を入れてしまう。
 宿の女将さんにご挨拶して投宿した後は早速温泉へ向かう。
 別所温泉は単純硫黄温泉で、無色透明なお湯だが浴室はもうもうとした硫黄臭に包まれている。チロル亭のそれはタイル張りのどこにでもありそうな風呂だが泉質はピカイチで、わざわざ外湯へ行こうと思う気すら起きなくなる程だ。
 宿泊した日は貸し切り状態だったので熱めの風呂をゆっくり堪能し、部屋に戻って夕飯を待つ。
 なおここの宿は名前が示す通りとてもファンシーな温泉民宿で、部屋の電灯のヒモにはキューピー人形がくくりつけてあったり、コロナ前は食堂として使われていた場所は様々なぬいぐるみや吊るし雛などのファンシーグッズに溢れており、それは夕・朝食とて例外ではなく、とにかく可愛らしい飾りつけの食事が出てくる。
 しかも味は民宿の枠を超えているため、ずっとリピーターになっているのだった。

純和風の外観に似つかない名前の宿だが……(2021年10月滞在時)。
女将さんお手製の人形や手芸品が溢れた食堂。コロナ前は夕・朝食会場になっていた(同上)。
部屋の電灯の紐に付けてあるキューピーちゃん(同上)。
夕食お料理の一例。これ以外にグラタンや茶碗蒸しなど様々な品が出てくる(今回滞在時)。

 翌朝も朝風呂とかわいい盛り付けの朝食を堪能し、宿の女将さんとご主人にご挨拶をしてチェックアウト。前日とは打って変わった青空の下、観音様を詣でた。
 北向観音、常楽寺は関東一円の観音様を巡って御朱印を集める「坂東三十三箇所」の別格札所とされており、以前これを結願した際に別所温泉を訪れてから、今回で三度目の参拝となる。
 寺の門前にはささやかな商店街があり、数件の土産物屋と喫茶店、アイスクリーム屋などが軒を連ねている。
 参拝後に境内から上田中心部を眺めた後駅へと向かった。

境内から上田の中心部がよく見える。
上田電鉄の「鉄道むすめ」、八木沢まいちゃん。観光駅長も同じ格好をしている。

 この日は上田駅に着いたらまずは長野駅までしなの鉄道を使い、到着後は特別開帳をやっている善光寺参りをして北陸新幹線で飯山駅へ出、野沢温泉に至る行程で行くことにした。
 全区間を新幹線にしても良かったのだが、この時は何となく特急券の費用を惜しく感じたのと在来線に乗りたい気分であったので、あえて時間のかかる方を選んだ。
 今では二両編成の新型SR1系とJRお下がりの短編成化した115系で営業しているためか、JR時代からある駅はどこも構内を持て余すほどだ。
 ちょうどいい時間の列車であった為か篠ノ井に着く頃には車内が一杯になってしまい、発車時にはぎゅうぎゅうになってしまった。編成が短いと乗降客数の割に激混みとなる田舎電車あるあるだ。

しなの鉄道の新型、SR1系。外観はJRのE129系の色違い(長野駅にて)。

 長野駅のホームでちょうど新型が並んでいたので記念撮影を行ってから、長野電鉄の地下駅へと向かった。田舎ではよくある列車別改札(発車時間近くにならないと有効な乗車券を持っていても改札内に入れてもらえない)も都会人としたら意外なので戸惑いつつ、ホームに降りると程なくして東京メトロからお下がりになった3000系がやってきた。
 なんとなく写真を撮らなかったため画像の掲載ができないのだが、東京で利用したことのある電車がほとんど同じ姿で地下駅に現れるというのが不思議な感覚だった。
 長野電鉄はこれに限らず、首都圏のJR東日本・私鉄各線から中古の電車を導入しており、さながら「動く電車博物館」の様相を呈している。

 善光寺下駅で降りて表参道へ向かうと、そこから先は感染が落ち着いたとは言えコロナ中とは思えぬ人出で、山門から先はもう芋洗いになっており写真を撮るどころの状況ではなかった。
 ご開帳された前立本尊と紐で繋がる木柱に触るだけでも長い行列に並ぶこととなり、本殿の中に鎮座するご本尊を拝むにはさらに行列に並ぶという有様で、時間も押している中では諦めざるを得なかった……のだが。
 本殿の横にプレハブの社務所があり、そこには「参拝受付」の文字が踊っていた。つまり一定額以上のお金を寄進すると、行列に並んでも入れない前立本尊の目の前まで行って直接お参りできるというものだった。
 7年に一度しか開かれない上、次の機会に来れない可能性を考えた私は、それなりのけっこうな金額を寄進して特別参拝することにした。
 なお、このことをTwitterに書かなかったのは、参拝時に名前を読み上げられた為。ご本尊(本当の本尊は秘仏で基本的に公開されない)を目の前に旅の成就と健康祈願を行い、終わった後は特別なお札とお守りを頂いてきた。

 本来想定していた時間を超過してしまったのでタクシーで長野駅まで戻り新幹線で飯山駅へ出、そこから野沢温泉行きのバスへと乗り換える。
 乗り継ぎ時間がずっとタイトだったせいか写真を撮る暇もなく、目的地の野沢温泉に着いた時には陽が傾きつつある時間となっていた。
 観光案内所で野沢菜々ちゃんにご挨拶した後、今日お世話になる宿へ向かう。元々スキー客がメインの場所で、この日も春スキー客が多く宿に宿泊していた。

鮮やかな緑色のスーパーロングポニーテール。名産品の野沢菜が想起される。
共同浴場に加え、角打ちができる酒屋や土産物屋も立ち並ぶ野沢温泉の商店街。

 この日の宿は「やすらぎの宿 白樺」。温泉内湯がないので共同浴場へ行かなければならないが、併設するカフェで出される食事が非常に魅力的だったので風呂の不便は許容することにした。宿の部屋に荷物を置き、風呂道具を持って浴場巡りを始める。
 野沢温泉の泉質は硫黄泉だが源泉によって微妙に違いがあり、単純硫黄泉のところもあれば石膏が混ざって白く濁っているものもある。
 最初は十王堂の湯。脱衣所と浴室の間に間仕切りが無い古風なスタイルで、やや熱めの湯に身を浸していると地元の人や観光客が入れ替わり立ち替わり現れ、湯に入ってくる。それでも湯船がかなり広いところなので気になるようなものではなかったが、次に行った横落の湯はあまり広い場所ではなかったので空気を読みながら湯に入らせていただいた。
 かすかに雪も残る程度の標高で山の上の冷気は湯冷しにもってこいで、浴場から出た直後は汗が酷くても歩いているうちに乾いてくる。
 さて食事前にもう1ヶ所、と思って最も著名な大湯へと向かったが、中は芋洗い状態だったので遠慮し宿へ帰ることにした。

モダンスタイルの建物な十王堂の湯。

 宿へ戻ると程なく食事の時間となる。宿泊棟の横にあるカフェへ向かうと、中ではスキー客や地元の人々が酒を飲みながら賑やかに歓談していた。
 当時はまだコロナ中だったから正直躊躇したものの、ここまで来てしまって今更どうしようもなかったので中へ入りカウンター席に座る。
 出てきたのは創作料理のフルコース。宿が売りにしているもので、よもやこんな山の上で美食を味わえるとはと思える程良質な料理の数々で、ワインもかなり進んで飲みすぎてしまい、食後に浴場へ行くのを躊躇うほどだった為この日は部屋へ帰り早めに床へついた。

薪が置いてあるところがカフェレストラン。
贅沢な大きさの切り身で出てきたサクラマスのソテー。
都心のレストランもかくや、と思えるほどだった牛ステーキ。

 翌朝、野沢を離れる前にもうひとっ風呂と思って朝の人気が無い温泉街を歩いて麻釜の湯へ行ったのだが、私は少々うかつであった。外湯の温泉は源泉100%がそのまま注ぎ込まれているので温度も当然ながら100%なのであり、そのままではまず入れる訳がないのだが……アホな私は温度が調整されていると思い込みタライで湯をすくって足にかけ、悲鳴を上げることとなった。どうしたものかと悩んでいると地元の人が朝風呂に来て、やり方を教わることに。
 まずは浴室に置いてあるホースで水を浴槽に注ぎ込みながら、壁にかけてあるでっかい一枚板でお湯をかき回しまくる。それで手を入れられる温度になったらタライを使って湯船をさらにかき回して温度を下げる。
 10分くらいで水埋めが終わり、その方と世間話をしながら楽しい朝風呂となった。この時の経験はその後熱海温泉、そして飯坂温泉で役立つことになる。
 宿を出た後はバスの時間まで温泉街を散策。猛烈に煙が噴き出る温泉まんじゅう屋でふかしたてのまんじゅうを買い、源泉の湧き出る麻釜を眺めながら美味しくいただいた。

源泉地、麻釜(おがま)。麻釜の湯はここから来ている。
まんじゅうを蒸す煙がもくもくと上がっていて吸い寄せられた(松泉堂)。

 行きと同じ経路で長野まで戻り、長野電鉄で小布施へ。飯山線を使い途中の豊野駅辺りでタクシーを使ってもいいかな、とも思ったが、結局ちょうどいい列車も無かったためショートカットは諦めた。
 小布施と言えばもっぱら小布施堂のモンブラン「朱雀」で一躍名を轟かせた長野近郊の街だが、私は当のモンブランよりも紅玉りんごを使ったアップルパイの店に行くのを目的のひとつにしていたので、お土産を買っただけですぐに北斎館へと向かった。
 名物モンブランを出すカフェはコロナ中でも相変わらずの人気ぶりで行列ができていた。

 宿に入る時間が近くなったので、ちょうどよくやって来た元小田急ロマンスカーの特急湯けむりに乗る。
 一方的な急勾配をぐいぐい上っていく様は圧巻だったが、多分そんなことで興奮するのは私の様な鉄道教徒だけであろう……と考えていると、電車はまもなく「美しの志賀高原」に迎えられて湯田中駅に到着。
 旧駅舎で湯田中渋穂波ちゃんにご挨拶した後、お願いしておいた送迎で渋温泉の宿、湯本旅館へ。到着するとやたら元気な名物女将のゆもとえりさんが出迎えてくれた。

小布施中学校周りの桜。
渋温泉湯本旅館。著名な金具屋からちょっと上がったところにある。

 この湯本旅館は少々面白い宿泊プランがあり、私はその数ある中から「マーボーラーメンプラン」を選択しておいた。これは夕飯が温泉街にある名物の中華屋「来々軒」のマーボーラーメン(飲み物付き)になるというもので、少食の私には割合ぴったりなものだった。
 他にも色々面白いプランが目白押しなのだが、詳しい説明は宿のWebに譲ることにする。なおチェックイン時に“女将と番頭さんと日本酒を囲む会”なるものが夜に開かれるということを聞いたので、これも一緒に予約しておく。

 食事までの時間は当然ながら温泉につかる訳だが、この日は運悪く宿の風呂が壊れていて入れないというので巡浴手形を使って外湯へ行く事とした。
 渋温泉の外湯は全部で九ヶ所あって泉質は基本的に塩化物泉・硫酸塩泉、場所によってphや温泉成分が微妙に違うのだが、大湯以外は地元民用で宿泊者にのみ合鍵が貸し出されて入浴できるようになっている。

9カ所の外湯のうち唯一日帰り温泉として有料開放されている大湯。湯本旅館のすぐ横にある。

 朱印を押していく外湯巡り用の手拭いを買ってしまったので、湯あたりするのではないかと思ってしまうほど入りまくったのだが、それでも全て回りきれなかった。宿へ戻り部屋の冷蔵庫の牛乳を飲んでひっくり返っているとじきに暗くなってきたので来々軒へと向かう。
 ライトアップされた著名な温泉宿、金具屋の横を通って温泉街を下りて行くと、暗闇にぼうと看板が浮かび上がるように店が現れた。

昭和ノスタルジー。
名物マーボーラーメン。
湯本旅館のプランではこれにビール一本あるいはソフトドリンク小瓶2本付き。

 店内は昭和ノスタルジーに溢れており古き良き町中華といった趣で、おばあちゃんが注文から調理までの一通りを行っている。当日はたまたまご家族がいらしており、またお客も結構いて席はほぼ埋まっていた。
 美味しいラーメンをスープまで完飲した後、世間話にまでお付き合いいただき気分の良い夜になった。
 宿へ帰ってからは予約しておいた女将と番頭さん、そして私を囲んで日本酒を酌み交わしながら更に世間話に興じた。
 話好きの女将、ゆもとえりさんは飯坂温泉の吉川屋の女将さんと友達だそうで、温泉むすめ巡りで来た事を話すと真尋ちゃんのクリアファイルを譲って頂けるというので、有難くちょうだいした。

まさに昭和の温泉街。古い建物も多い。
外湯の一例(8番 神明滝の湯)。

 翌朝も出発時間と決めた時間に間に合うギリギリまで外湯巡りを行ったが結局二か所を残して立つこととなり、駅へ送迎してもらう前にキーホルダー購入がてら金具屋にいるミニ穂波ちゃんを撮影し、駅についてからは電車の時間まで旧駅舎の中の穂波ちゃんを眺めて帰路へ。
 長野から新幹線に乗ってしまうと後はもう消化試合のような気分になったが、本庄早稲田駅から乗ってきた大量の学生さんがマスクをかけていたものの車内で大盛り上がりとなり、心配性の私は一人デッキへ逃げ出したのだった。

湯田中渋穂波ちゃん。横のお猿は渋温泉の奥にある地獄谷野猿公園がゆえん。
温泉旅館、金具屋の入り口に居る穂波ちゃん。

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