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仕事部屋に花火

長崎駅の近く、海のそばのマンションの、そこそこ高層階に仕事用の部屋を借りて半年ほどになりますか。
バスで通える距離にある実家から、通勤するように通って仕事をしています。忙しいときは、そのまま泊まったりもします。少しずつ、こちらの部屋にいる時間が増えています。

大きな窓から光が入る明るい部屋で、原稿を書いたり、ゲラを広げたり、新刊が出る頃には書店さんに飾っていただくための色紙を書いたりと、ひとりで過ごせる、広くて静かな空間は、ありがたいものです。
ベランダに緑を集め、ラジオを聴き、たまにはベッドやソファに寝転んで、雑誌のページをめくったりして。高層階の空や遠くの山を見ながら飲む、コーヒーや紅茶も美味しいものです。
カーテンをしないまま、時間を忘れて原稿を書いていて、ふとまぶしさに目を上げると、窓越しの満月が手が届きそうに近くに見えて、はっとすることもあります。

天井が高く、床がしっかりしているマンションなので、本をたくさん置けるのも、とてもありがたいです。――実を言うと、この部屋を借りることになったきっかけも、仕事がら家にあふれるたくさんの本に家族から苦情が出たからでした。

もともと活字が好きで本を買う上に、仕事のために参考にする本も山ほど買い(ここ数年ですと、書店関係の本や百貨店関係の本、最近は空港やファッションに関する本を集めています。電子書籍も好きで買うのですが、めくったり書き込んだりできるのは、やはり紙の本ですし、電子ではでない本だってたくさんあります)、出版社や友人知人の著者達からいただく嬉しい献本が、年々歳々増えてゆきます。
実家は古いマンションで、本の重みでたまに床が軋んだりへこんだりもして、生命の危機を感じた家族から、この本の山を何とかして欲しいとしょっちゅう苦情が出ていたのでした。

そこへもってきて、突風のように突っ走る、元気な子猫がやってきたこともあって、これは書庫兼仕事用の部屋兼猫が好きに走り回れる部屋があった方がいいんじゃないかと閃いたわけです。
暮らせるように家具をそろえれば、私と猫はそちらで日々を過ごして、今住んでいる古い家を少しずつリフォームすることもできますし(軋む床も何とか出来るかもしれませんし、実は私の部屋の天井の電気は点灯しない状態のまま、何年も放置されてまして)、それから。

気がつくと五十代も半ばを過ぎた私には、家のあれこれを整理し手放して、身軽にする時期も来ているな、と思ったのでした。仕事部屋を作ることで、この先必要なものとそうでないものとの切り分けもできるかもなと。

独り身の専業作家というのは、そこそこハードな暮らしでして、楽しい反面ストレスも多く、なるべく長く生きる予定ではありますが、あと百年も生きることもなかろうし、最後まで頭がクリアで体力もばっちり、なんてこともまずないでしょうから、まだ元気ないまのうちに少しずつ、家を片付けておこうかなと思ったのです。

面白いもので、自分が老いること、やがて世を去らねばならないということは、この年になるともはや怖いとかいやだとか、そんな気持ちはもうなくて、ただ、季節が移ろうように、冬が近づけば冬服やあたたかな布団を用意するような気持ちで、ああ、向こうへ行く準備をしなくては、と思うのでした。
気持ちとしては、いままでは舞台の真ん中にいて、スポットライトを浴びていたのが、踊りながら、少しずつ、舞台のはしへ、暗い方へと退いてゆく気分でしょうか。
私がいなくなっても、かわりの誰かは舞台の中心にいて、私もまた、誰かにその場を譲られてきたのだから、順送りだなあと思います。
昭和から平成、令和と生きた人生、そこそこドラマチックで、楽しかったよね、なんてかみしめながら、いつか舞台を降りてゆくのでしょう。
特に私は、作家になるという子どもの頃からのいちばんの夢も叶いましたし、その後も、我ながら良い仕事がたくさんできたと思うので、笑顔で手を振って、去っていけると思うのです。
まあ、四匹目の猫を迎えてしまったので、その猫を育て上げ、看取るまでは、まだあともう少し、舞台の上で踊っていると思いますが。

でもね、ほんと、自分でも不思議なのです。
いつのまに、死が怖くなくなったのか。
子どもの頃や若い頃は、とても怖かったのを覚えています。大人になってからもしばらくは。
たぶん、長く生きて、少しずつ知っている人たちが彼岸のかなたにいってしまい、少しずつ、そんなものだと緩やかに命の終わりが来るということを受容してゆくのが、年をとるということなのでしょうね。
子どもの頃は、自分の死んだ後の未来に出版される本は絶対に読めないということが、泣くほど辛かったのですが、いまはやがてくる自分がいなくなった世界で、どれほど面白い本がでるのだろうと想像することがむしろ楽しくて。
そこではどれほどたくさんの本や映画や、素敵な音楽が溢れているのだろう、そこにいるひとびとは、笑顔で幸せであればいいな、と願います。世界に光が満ちあふれ、哀しみに泣く子どもがいない、穏やかな日々が続いていると良いなあ。
叶うことなら、風にでもなって、未来の世界、未来の日本の様子を見たりしたいですね。詮のない願いですが。

さて、仕事部屋の話です。
部屋を探す上で、条件を絞ってゆくとき、とにかく子猫が来る、ということが何より大事な条件だったので、ペット可で日当たり良好で、と、まずはそれ優先で自分でも探し、その後細かな条件を付け加えつつ、不動産屋さんに探していただいたのですが、最初に候補に挙がったお部屋がこちらの希望に近く、その部屋に決めてしまいました。
そもそも、猫が飼える部屋って少ないんですね。
でも結果的にはその部屋で正解だったというか、猫のおかげで良い部屋を引き当てたと思っています。
敷金礼金は多少高くなったけど、家賃もまあ、長崎市にしては気持ち高めかもだけど、オール電化で光熱費安いし、何よりその部屋が気に入ったからいいんです。ええ、たぶん。
とにかく街の真ん中にあって、長崎市の主要な場所に徒歩でいけてしまうというのがすごいし、電車やバスは当たり前、船や飛行機に乗るのにも便利という、仕事での移動が多い私にはベストなお部屋なのでした。
近所に島原の農産物の直売店があって、美味しい野菜や果物、お肉にお魚が買えるあたりも素晴らしい。島原の牛乳やヨーグルト、お味噌も美味しい。

そういうわけで、この半年は、緩やかに家具や家電を揃え、荷物を運んだりしながら部屋を作り、整えながら、働いていました。
まず最初に、何もない部屋に机を置くところから始め、その机で仕事をしながら、少しずつ部屋を作り上げていったのでした。
仕事はかなりはかどりました。そこに行けば仕事の時間、と切り替えが出来るのも良かったのでしょうね。それに、思えば部屋を借りる前は、ホテルに連泊して集中して働いたり、朝から晩まで注文を繰り返しながら、カフェで書いたりしていたのですが、部屋を借りてからは、何時間、何日いても誰に気兼ねも要らないし、好きなものを食べたり飲んだり出来るので、極楽だなあと思っています。
とても贅沢な、理想的な環境で書けるようになり、――それもこれも、私の本を好いて買ってくださる、読者の皆様のおかげだと、あらためて感謝しています。

子どもの本の作家としてデビューしたのが、1993年、それからずっと書き続けてきて、たくさんの出会いにも恵まれ、いまは仕事の幅も広がり、大人向けの本も書くようになりました。
書き続けてきた人生とは、支えられてきた人生と言い換えることも出来るのだなと思うとき、素直にありがたいと思えます。いただいたもので、生きてきた人生、生きてゆく人生――奇跡のようなことだと思います。

若い頃は、感謝より先に、書いてゆくこと、本を出し続けてゆくことに懸命でしたけれど、いつもそんな私を背後で支えてくださった無数の手があったのだなと、いまはわかります。
特に子どもの本を書いていた頃は、支えていてくれたのは、小さな子どもたちの手であり、その子たちの保護者であるみなさんの大きな手だったのだなあと思うとき、ただ、ありがとう、と頭を垂れたくなります。
ありがとう。ありがとうございます。みんなのおかげで、あの頃、たくさんの本が書けました。いまも書き続けていますよ、と。
あの頃、私の書いた子どもの本を喜び、抱きしめてくれた小さな手の子どもたちに。

さてさて。
この十一月初旬の連休は、来年一月刊行予定の『かなりや荘浪漫2』(PHP文芸文庫。以前集英社オレンジ文庫から出していただいた本の二次文庫になります)のゲラを見ながら、同じく来年刊行予定の、一、二年生向けの子どもの本の原稿を書いたり、その本の次巻以降の原稿の準備をしたりしていました。
本格的な低学年向けの本は久しぶりなのですが、やはり楽しいですね。
子どもの本を書くときには、神聖なものに向かい合うように言葉を選び、紡いでゆく、不思議な緊張感があって、それが心地よいのです。ましてや、小さい子向けの本は。
よりわかりやすく、シンプルに、子どもたちの心に届く言葉と構成を、と念じながら書いてゆく、職人芸の歓びといいますか。
古巣に帰ったような懐かしさもありました。

子どもの本は、少なくとも私の世代の作家は、時を超えて残るような作品を書いて欲しい、と児童書の編集者たちに求められてきました。瞬発的に売れて消えるベストセラーは欲しくない、いつまでも子どもたちに愛される本、家庭や図書館、書店の本棚にずっと置かれるような本、ロングセラーとなるものを書いて欲しいと、そう望まれて書いてきました。
「(子どもの本の)作家は、売れるとか売れないとか、そんなこと考えなくていいんです」
なんていわれていた時代もあったんです。
もうずうっと昔、私がまだ若く、新人作家だった頃のお話ですが。
その頃のことを、ふと思い出したりしました。

実はこの仕事、子どもの頃からの私の本の愛読者である、まだ若い担当編集者さんとの初仕事になります。子どもの頃に、私の本を読み、そのまま読み続け、変わらずに愛読者でいてくれたという、そういうお嬢さんです。
物語の本を編むのは初めてという、若い編集者の、その初めてのご依頼で、原稿を書かせていただきました。
つまり原稿を挟んでのやりとりもこれが初めてのことになるのですが、賢くて気働きも出来て、的確なアドバイスもしてくれるので、彼女の言動のひとつひとつに感動しています。
親子ほども年が違うんですけどね。
原稿のやりとりをすることで喜び、原稿をこんなに早く書いていただけた、と感動してくれるので、これは良いものを書かなくてはねえ、と肩に力が入ります。
そんな気分も、心地よいです。

連休期間中も、私はむしろ、休んで欲しかったんですが、ずっと原稿についてのやりとりを続けてくれていて、その若さと熱心さに打たれました。ほかの仕事もこなしつつなので、このお嬢さんはほんとうに本が好きで、この仕事が大好きなんだなあと。
若い頃の自分や、同じく若かった頃の担当編集者たちのことを思い出したりもしました。ああ私たちも、こんな風に働いていたな、と。
この子はこれからたくさんの良い仕事をして、本を出し続け、未来に残るような本を作ってゆくのだろうなあと。
彼女が子どもの頃に愛してくれた本を書き、作ってきた、私や担当編集者たちがこの先の未来、本を作る現場を離れ、やがてこの世界にいなくなったとしても、そのあとの世界に残る本を作り続けてくれるのだろうなあと。
舞台から去って行く私たちにとっては、どれほどの祝福だろうと思いました。

昨夜、仕事部屋から帰るとき、廊下から見上げた空に轟音とともに花火が揚がりました。
海の方で花火大会が行われていたようで。
ここ数年、花火なんてまともに見たことがなかったので、突然の花火がまるで誰かからのご褒美のような気がしました。
高層階から見る花火は、目の高さで光が弾けるように見えるんですね。そんなこと、初めて知りました。
いくつもいくつも、空に、色とりどりの光で出来たような花々は揚がり、浮かび、やがて消えてゆきました。
人生は花火のようなもの、と書いた古い小説があったなあ、なんてことを思い出しながら、私は家路をたどったのでした。
花火の残像を、抱きしめるように味わい続けながら。

いつもありがとうございます。いただいたものは、大切に使わせていただきます。一息つくためのお茶や美味しいものや、猫の千花ちゃんが喜ぶものになると思います。