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香りの記憶

若い頃から香水が好きで、あれこれと買い集めてきました。季節ごとの新製品を追いかけるのは当たり前、製造中止になっていたり、過去の限定品だったりする香りなど、入手できない香水は、オークションで探し、競り落としたりもしたものです。

が。
我が家には長いこと猫がいまして。猫には香水は良くない、と以前からいわれておりまして。
ですから、長いこと、香水を部屋の中でシュッ、なんて使ったことはありません。
朝、シャワーを浴びたあと、浴室でおなかに少しだけかけたりとか(当然、換気扇はがんがん回して換気します)。出がけに、ゼリータイプの香水や練り香水を、少しだけ手首につけたりとか。
もちろん、香水がついている部分の皮膚は、猫には絶対に舐めさせません。

ところで、我が家に昔いたクリームペルシャのランコは、ディオールのデューンの香りがするボディパウダー(の香り)が大好きでした。それをはたいたあとの母にすり寄ってゆき、容れもののそばで寝転がってうっとりした表情になったりとか。
もうずっと昔、1990年代の話です。当時、頂き物のデューンのボディパウダーが家にあって、母のお気に入りだったんですね。外出する前に、軽くはたいて出たりしていました。
母は私ほど厳密に、猫から香水を隔離しようとしなかったので、デューンの香りに酔ったように寝転がるペルシャ猫の姿を見る機会もたまにあったのでした。
いまも、デューンの香りを思うとき、よそゆきを着た母の姿とともに、ご機嫌な表情で寝転がるランコの姿を思い出します。
不思議と目に浮かぶのは、夏の情景です。デューンという香水の名前が、そのままフランス語での砂漠であり、砂漠に咲く花々や、そこに吹く風を連想させるからでしょうか。
ロマンチックでドラマチックな花束を思わせる、そんな香りなのですが。

こう書くと、どこか優雅なイメージのお話ですが、ランコは糠味噌の香りにも酔う猫でした。台所に置いてある、糠味噌の入った器のそばで、よくごろごろ転がっていたものです。
いま思うと、デューンや糠漬けを構成する香りの中の何かが、ランコにはまたたび的に、魅入られる香りだったのでしょうね。
ランコは我が家の最初の猫で、その後の猫たちは、糠味噌の香りに酔わず、デューンのボディパウダーは、母が飽きて使わなくなったので、同じような猫が他にもいるものなのかどうかは、ちょっとわかりません。

さて、香りの記憶というものは、いつまでも残るもので。
もうずっと昔の冬に亡くしたランコの、その抱っこしたときの思わぬ軽さや、羊毛のような被毛の香りを、いまも思いだせます。懐かしく、優しい、落ち着く香りでした。ランコの柔らかなおなかに顔を埋めるのが好きでした。手入れが悪くて、しょちゅう毛玉を作ってしまって、申し訳なかったなあ、と思います。毛玉をほぐそうとしてブラシや櫛をかけると、毛がひきつれて痛い、とよく怒られました。けっこう容赦なく爪を出した前足で叩かれたりとか。たぶん、飼い主として馬鹿にされてたりもしたんじゃないかと。

痛めた腰の治療中に腎臓を悪くして、亡くした猫でした。真冬に、私が出版社のクリスマス会に出席するために上京して、帰ってきたときには腰を痛めていました。それからほんの数日の間に、弱って死んでしまいました。投薬していた薬が効かないと、その頃通っていた動物病院のお医者様が薬を変えてすぐに容態が悪化しました。
この猫に関しては、猫を育てることに慣れていない時期に飼った猫だった、ということもあり、わずか八歳で亡くしてしまったこともあって、いまも後悔ばかり残ります。

不思議な話なのですが、この猫の墓参りにいけなくなったことがあります。少し遠いペット霊園にお骨を納めていたのですが、毎年の更新料を払いに行かなくてはいけない時期になっても、どうしても足が霊園に向かないのです。なんでこんなルーズなことに、と焦りながら、そのまま何年も過ぎてゆきました。
その頃、ちょうど仕事が忙しかったこともあって、不眠症になってしまい、カウンセリングを受けたことがあります。
話の流れで、ふと、どうしても、猫の墓参りに行けなくて、という話をしました。
すると先生が、
「それはね、あなたが猫が死んだという事実を、認めたくないからですよ。認めてみませんか?」
といわれたとたん、
「嫌です」
自分でも驚くくらいに、激しい語調で、そう答えている自分がいました。
あれはほんとうにびっくりしました。
そんなことを自分が考えているなんて、まるでわかっていませんでしたから。
けれど、先生に認めなさい、といわれたときの、途方もない哀しみと憤りは、いまも思い出すことができます。

その後、猫の骨壺は、遠くの霊園から引き取ってきて、いまは我が家に置いています。
霊園には、謝罪とともに、管理費をまとめてお支払いしましたので、やはりほっとなさったでしょう。わたしも、ペルシャの骨壺が家に帰ってきたことで、とてもほっとしました。
骨になって灰になった猫も――心なしか、ほっとしているように思えたりもします。

あの猫に感じるものは、たぶん愛と後悔が形を変えたはてしない未練であり、きっとそれは、わたしが生きているうちは続くのでしょう。たぶんわたしは、一生、あの猫が死んだということが諦めきれない。認めたくない。
そんなのいいことではない、忘れなさいといいたくなる方はきっとたくさんいて、それが正しいことなのだろうとは思います。

――けれど。
この年まで生きてみると、それもまた、ありかな、と思うのです。
もはや死んでしまった猫にできることは何もなく、生き返らせることもできないけれど、わたしはあの猫が大好きだった。
だから、せめて後悔を抱き続けるという、そういう愛も、あるんじゃないかと。

ランコは死んだその夜に、ろくに歩けなくなっていても、ひとのそばにいたい、と這うように歩み寄ってきました。
もう目がろくに見えないようなまなざしをしながらも、わたしたち家族が会話するその声を求めて、よろよろと歩いてきたのです。
最後の最後に、あの猫が望んだことは、家族のそばにいることでした。

それならば、いつもいつまでも、あの猫と別れたことを認めずに、諦めきれないままでいてもいいじゃないか、と思うのです。
心にいつまでも、あの猫を抱えていても。

はてしない哀しみは、普段は忘れています。他の感情や日々積み重なる記憶の層に埋もれ、かさぶたに埋もれたように、感じなくなっています。
でも、わたしの心の中に、いつもあの猫への思いはあるのです。変わらずに。ずっと。

年を重ね、いつかわたしの肉体が死を迎えたとき、もし、死後にも意思が存続し、魂が残るとするならば、おとぎ話のように、ペルシャのランコと再会する日もあるでしょう。
そうしたらきっとわたしは、あの猫に何度も詫びる言葉を繰り返し、けれど猫は何もいわずに、私にすり寄り、また会えて良かったとのどを鳴らすのでしょう。
あの猫は私のことが大好きだったし、私のそばにもう一度戻りたかったでしょうから。

死後も猫にふれられるとするならば、私は猫を抱き上げ抱きしめて、ふわふわの軽いからだの柔らかなお腹に顔を埋めて、もう一度懐かしい香りを、思う存分、嗅ぎたいと思います。
そのときに感じる猫のからだの暖かさも、耳に聞こえるのどを鳴らす音も、いまから想像できる――そんな気がしているのです。

*写真はランちゃんから受け継いだキャリーバッグの中の千花ちゃん。先代猫レニ子の通院に使い、千花ちゃんはこのバッグで動物管理センターからお迎えしてきました。さすがに古くなったので、バッグとしては引退しまして、いまは千花ちゃんの寝床の一つになっています。

いつもありがとうございます。いただいたものは、大切に使わせていただきます。一息つくためのお茶や美味しいものや、猫の千花ちゃんが喜ぶものになると思います。