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【短編小説】廻るプロペラ白い花

深大寺のなんじゃもんじゃの木をテーマに書いた物語です。愉しんでいただけたら嬉しいです。


「新宿御苑の桜、きれいでしたよぉ」
職場の後輩ヨネダモモコが、彼氏とのツーショット写真を見せながら言う。「このマウンティングモンスターが」と心の中で舌打ちをした。何が桜だ。わたしは深大寺でしっとり落ち着いた大人のひと時を堪能してやる。四月末のある晴れた金曜日、有給休暇を取得したわたしは調布駅のバスロータリーで深大寺行きのバスを待っていた。


たすき掛けにしたミラーレス一眼レフカメラがずっしりと重い。購入したばかりのこのカメラで深大寺の新緑を写真におさめたいと思ったのだ。ついでに美味しいそばでも食べてこよう。もちろん海老天付きで。三十五歳、彼もいない結婚の予定もないおひとりさまのわたしだが、そんなことを気にしていては生きてはいけない。


バスに乗りこみ最後尾の席に座る。平日の十一時、通勤通学の時間帯を避けたので車内は空いている。わたしの他は高齢の男女が数名と幼稚園年長ぐらいの兄と幼い弟を連れた母親が乗り込んだだけだった。母親の制止もきかず兄は車内を走り、わたしのすぐ隣を陣取ってきたので、目立たないように眉を寄せる。子どもは苦手だ。うるさいし、めちゃくちゃな行動をするし見ているだけでそわそわする。子育て中の友人宅に遊びに行くたびにストレスを感じて、誘われても遠回しに断るようになっていた。


深大寺のバス停で降車し飲食店の並ぶ通りを行くと、山門につづく石段が現れた。ここから深大寺だ。深呼吸してから山門をくぐり境内を散策する。本堂に参詣した後一礼して写真におさめ、きびすを返し授与書に向かう。流行に乗っているようでしゃくだが、リュックサックからいそいそと御朱印帳を取り出し係の男性に差し出す。係の男性が筆を取る間、販売されている御守りなどを眺めてみる。するとパステルカラーが美しい厄除御守などに混じって、なぞの怪しいお札が並んでいた。黒いインクで悪魔のような絵が印刷されている。
「……このお札はどういう効能があるのですか?」
係の男性は穏やかな微笑みを浮かべ、「元三大師のお札」で魔よけの効能があるといわれていると教えてくれた。その昔、霊験あらたかな元三大師が悪霊退治のため鬼の姿に変化した時の姿らしい。とにかく非常に効能がありそうだ。購入する勇気はないが断って写真を撮らせてもらう。後輩のヨネダに「さっすが先輩。ひとりでも深大寺を満喫ですね」と嫌味を言われそうだ。

参詣も済ませてしまったし、朝食が遅かったせいでまだお腹は空いていない。どこかフォトスポットはないものかと、ふたたび境内をうろうろしていると本堂に向かって左側に純白の雪を被ったような樹木が見えた。引き寄せられるように近づく。見慣れない木だった。案内板には「ヒトツバタゴ」と書いてある。別名、「なんじゃもんじゃの木」と呼ばれているらしい。


見上げると細長い白い花々が盛大に咲き誇っている。その圧倒的な白さに一瞬言葉を忘れる。カメラのレンズキャップを外し、夢中でシャッターを切る。今はオート機能しか使いこなすことできないが、勉強してマニュアル撮影できるようになり、陰影などをコントロールしたいという欲望が湧いてきた。


「それにしても、ここだけ季節外れの雪が積もっているみたい。美しいなあ」
そうづぶやいた途端、ぐいぐいとシャツの裾を引かれ、振り返る。
「この花が好きか?」
小さな女の子が立っている。着物に兵児帯を締めて、まるで座敷童のようだ。この辺りで縁日でも開かれているのだろうか。不思議に思っていると、女の子はもう一度「この花が好きか?」とたずねてきた。しばらく花を見つめてうなずくと、女の子はニカッと笑った。歯茎まで見える豪快な笑顔だった。まるで戦前のモノクロ写真に写る子どものような笑いっぷりだった。
女の子は「それっ」と両手を振り上げた。するとなんじゃもんじゃの木から、白い花々がくるくると回転しながら落ちてきた。


「プロペラみたい」
そうつぶやくと、女の子は目を見開いて「ぷろぺら!昔聞いたことがある。……そうじゃ思い出した。あの子もそう言っておった。『ぷろぺら』って何なんじゃ?」と聞いてきた。「プロペラは飛行機などに付いている部品だよ」と説明すると、「ひこうき……、それも聞いたことはある気がするが、絵にかいてくれんか」と言う。しかたなく木の根本に二人で座り、「絵は下手くそだから、写真を見せて上げる」とスマホで検索したプロペラ機の写真を見せてやる。すると女の子は、「思い出した!あの子がいつも読んでいた『ずかん』とやらにも、この絵がのっておった!」とプロペラ飛行機を小さな指で差し、ニンマリとする。

子どもは苦手なはずだったが、この不思議な子のことが気になり、話の続きを聞きたくなった。
「あの子っていうのはお友達のことかナ?」
子ども嫌いを悟られないよう、精一杯優しい大人のふりをして聞くと、「ともだち……、ともだちって何じゃ?あの子とは『ひろし』のことじゃ」と言う。妙な子だなあ。言葉遣いも変わっているし、身に着けた着物は古びているし、そばに保護者も見当たらない。ちゃんと大人に面倒をみてもらっいるのだろうか。盗み見ると、袖からはみ出した腕にもむき出しの細い足にもアザは見当たらないし、頬もつやつやとして元気いっぱいな様子だ。虐待されているわけではなさそうだ。


「ひろしのことは童の頃から知っておる。初めて会った頃、ひろしはたしか『じんじょうしょうがっこう』という所に通っているのだと言っていた。頭の上から花を降らせてやると「わあ、プロペラみたい」と飛び上がって喜んだんじゃ」

女の子は堰を切ったように話し出した。白い花の季節が終わっても、ひろし少年は女の子のところに通い続けた。尋常小学校からの帰りにこの木の下で飛行機の図鑑を読むのが日課だったそうだ。飛行機に目が無いひろし少年は、親の目を盗んでは「調布飛行場」にこっそり戦闘機を観に行っては叱られていたらしい。いつだったが、ひろし少年が図鑑を見ながら初めて厚紙で作った紙飛行機を飛ばしたとき、女の子は翼を下から支えてもらえるよう、風の神様に願いしたのだという。「風の神様」とはずいぶん夢見がちだ。子どもは空想と現実の境目があいまいだからなあと話を聞き流した。


そして小さかったひろし少年もどんどん背が伸び立派な青年になった。そしてある日、
「僕も出征することになったよ」
と女の子に告げにきた。女の子には「しゅっせい」の意味が分からなかった。戦闘機のパイロットにはなれなかったけれど、国のために出征することはとても誇らしいことなのだとひろし青年は言ったそうだ。
「ひろしは喜んでいるようだった。けれど沈んでいるようにも見えた。『ここを離れ、大きな船で海を渡り、どこか遠くの国に行かなければならない』と言ったのじゃ」


ひろしに会えなくなるのが寂しかったけれど、人間の一年は、わしにとってはひとつあくびをする程度のものじゃ。
「『ひこうき』には乗れないのは残念じゃ。でも『ふね』という乗り物には乗れるんじゃな。帰ったらみやげ話を聞かせてくれ。約束じゃ」
そう言うと、ひろしはただ微笑むだけじゃった。


それから白い花の季節が過ぎ、冷たい雪が降り、また白い花の咲いても、ひろし青年は帰ってこなかった。そしてもう一度季節は巡った。通り過ぎる人間たちの声に耳を澄ませると、どうやら「せんそう」というものが終わったらしい。人間の雰囲気も身に着けている着物もだんだんと変化していった。それでもひろし青年は戻ることはなかった━━。


女の子の話は終わった。いつの間にかわたしは鼻水を垂らし泣いていた。女の子はギョッとして立ち上がり、
「わしは人間がまなこから水を流すのが嫌いなのじゃ。ひろしもここを離れるとき、おぬしのような顔をしておった」
と言った。


ふたたび「それっ」と言う声が頭上からして、強い風が吹いた。
吹き飛ばされ回転する白い花、花、花。数えきれないほどのプロペラたち。
シャツの袖で涙をぬぐうと、隣にいたはずの女の子の姿がない。枝がざわざわと波立ち、見上げると女の子が「ニカッ」と歯茎を見せて笑っているように見えた。


fujimoto0704さんのイラストを使用させていただきました。

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