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【短編小説】ファンファーレ

午前九時、東京駅上越新幹線改札前。鳴子祐司は部下の瀬波を待っていた。冷凍食品会社で課長補佐を務める鳴子は、高級焼きおにぎり開発のために新潟県南魚沼市に瀬波と商談をまとめに行くところだった。


鳴子は上機嫌だった。商談がうまくいきそうなことに加え、新幹線に乗れるからだ。機嫌のよい時は学生時代から続けているトランペットのタンギングを口の中で行うのが鳴子の癖だ。脳内で吹奏楽の名曲「オリエント急行」が始まる。
大勢が行き交うターミナル駅を思わせる華やかなファンファーレに続き出発を告げる笛の高い音が響く。機関車は蒸気を噴き上げ、重い車輪がゆっくり回転を始め徐々に加速し、高らかに汽笛が鳴る。列車にちなんだ曲は人をワクワクさせると鳴子は思っている。

小学四年生になった娘は父親である鳴子を避けるようになり、悲しい毎日が続いていたが、今は忘れることができた。しかし、タンギングを十五分ほど続けた後で、瀬波が到着しないことに不安を感じ始めた。

「おはようございます!」
大柄の身体をゆすりながら瀬波が到着したのは発車の十五分前だった。
「実家から届いた新巻鮭をおろしていたらなぜか朝に! 動画をYouTubeに投稿したいんですよ。ほら、僕って料理が趣味じゃないですか。学生時代ラグビー部の宿舎でよく大量調理していたんです」

「出張前夜に鮭をさばくなよ。それから自炊もいいけど、たまには自社の冷凍製品も食べろ」

「僕、燕三条のキレッキレの包丁使っているじゃないですか。故郷の新巻鮭と包丁を世界に発信したいんですよ」

瀬波が新潟出身であることは知っていた。入社三年目で未だ半人前の瀬波を同行させるのは、同郷出身者がいれば商談も円滑にいくのではとの思惑もあった。


「そろそろ乗車するぞ」
 鳴子は瀬波に事前に用意させた切符を催促する。
「eチケットにすればよかったんですよ。紙の切符を買わなくてもいい時代なんですから」
「それじゃ新幹線出張の気分が出ないだろ」

「あれ」
「どうした」
「あれえ……。僕、新幹線の切符を家に忘れてきたみたいです。ほら、僕ってそそっかしいじゃないですか」
「そそっかしいじゃないですかって、お前……」


入社当時から瀬波の打たれ強さは際立っていた。言い換えれば注意しても全く響いていないのだ。鳴子は苛立ちを押さえて煩悶した。ここは上司としてガツンと言わなければ。いや、それより切符を買い直すのが先だ。あと五分で発車してしまう。間に合うか。

「熱いですねえ」と瀬波は他人事のように上着を脱いだ。内ポケットから二人分の切符がはらりと落ちた。
ピュウ。発車の笛の真似た口笛が聞こえた。
「ほら、僕って口笛うまいじゃないですか。あ、口笛吹きながらキレッキレの包丁で鮭のあら煮を作るっていう動画はどうですかね」
笑いたいのをこらえて鳴子は言った。
「知らねえよ。ほら早く乗車するぞ」

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