見出し画像

私的ゲーム史2 PC-8801mkⅡFR

 僕がファミコンを買ってもらったのが先か、兄がパソコンを買ってもらったのが先かはだいぶ記憶に怪しいところで、単純に発売日順であればファミコン→パソコンな訳だが、当時の僕はソフトや本体よりも先に、伝説のベストセラー書籍、スーパーマリオブラザーズ完全攻略本(出版:徳間書店、1985年10月31日発売)を手にゲーム購入の日を夢見ていた状態だったことだけはよく覚えている。本の発売日など知る由もない当時、その発売から誕生日の11月7日までの短い間に攻略本の存在を知って購入し、更にファミコン購入にこぎつけるのは少々難しいのではなかろうか。とすると、ファミコンは翌年、もしかすると誕生日以外で買ってもらった可能性も高い。そうなると4月の兄の誕生日であるパソコン購入の方が先だった可能性が増してくる。
 という訳で、おそらく僕的ゲーム史において2番目に登場するマシンは、兄が手に入れたパソコン「PC-8801mkⅡFR」だったと仮定しておくことにする。

 「PC-8801mkⅡFR」 は1985年11月にNECから発売された8ビットCPUを搭載したパソコン。当時国内のパソコン業界ではNEC、富士通、シャープは御三家と呼ばれ市場を席巻していた。その中でPC-8801シリーズは後に国民機とまで呼ばれたPC-9801シリーズの礎を築いた製品群であり、個人的には「PC-8801mkⅡFR」は重要な意味を持つ機種だと考えている(異論は認める)。
 PC-8801シリーズには「PC-8801mkⅡSR以降(FRではない)」という大きな転換期があり、この機種を境にNECは圧倒的なシェアを築いて市場を制していく。「PC-8801mkⅡSR」は、けして機能的に突出していた訳でもなく、ある意味では他社製品に劣る面もあったが、積み重ねてきて実現された扱いやすさと手ごろな価格、そして何より豊富なソフトウェア資源が勝負を分けたと言えるだろう。
 グラフィックスはPC-8801シリーズ全体としてそれまでの同時発色数がデジタル8色(光の3原色の組み合わせで8色)から、アナログRGB512色(光の3原色を各8諧調で512色)中8色になり、さらには各色のRAM(プレーン)に同時書き込みが可能になったことで高速な描画が可能になった。サウンドもSR以降からBEEP音に加え、FM音源3音+SSG3音が標準搭載となったことで、表現力は格段に向上している。加えてフロッピードライブ内蔵モデルも登場して、ゲームメーカーやホビーユーザの注目の的となった。そして続々発売されるゲームソフトの対応機種欄には「PC-8801mkⅡSR以降」の文字が燦然と輝くようになるのである。PC-8801mkⅡSRは弱点として手頃とは前述したもののそれでもまだ価格面がネックに感じられる機種でもあったが、実質的には拡張スロットを3から1に減らした程度でおよそ7万円もの低価格化に成功した廉価版の販売によりそうした懸念も払拭され、いよいよNECが御三家筆頭としての頭角を現すキッカケとなった。その廉価版機種こそが 「PC-8801mkⅡFR」な訳である。

PC-8801mkⅡFR

 そんな「PC-8801mkⅡFR」が我が家に初めてやって来た時の衝撃は忘れようにも忘れられない。当時、兄はパソコン購入では先行者である友人のD氏を交えて「PC-8801mkⅡFR」を出迎えてようとしていた。電気屋による子供部屋への搬入に続き設置も早々に終えると、いよいよプレイできるというタイミングで、はじめてのゲーム起動、フロッピーディスクの挿入はD氏に託された。フロッピーディスクは本体挿入口にディスクをセットした後、ロックのためのレバーを回転して下げる、間違えようのない単純な仕組み。と・こ・ろ・が、かのD氏は何を思ったのか、レバーを逆方向に回転、バキッという酷い音ともに無残にもレバーは本体から離れ、パソコンは一度も起動することなく、我が家を後にした。結局「PC-8801mkⅡFR」が修理から戻るまでは、D氏のパソコンが兄の元に預けられたのだが、そのパソコンが何だったかまでは僕にはわからなかった。キーボードがセパレート型で、茶系の印象が残る本体にフロッピードライブはなく、外付けのデータレコーダーがセットになっていて、そこではナムコのグロブダーが動いていたように記憶している。

 ところでパソコンが修理から戻ってくるまでお預けにされたが、もちろん本体と同時購入のゲームソフトがあった。それは販売本数が脅威の40万本、国内PC用パッケージゲームソフトとしてはおそらく未だ超えるもののない記録を打ち立てた、日本ファルコムから発売の伝説のアクションRPG「XANADU」である。エキゾチックな音楽をバックに、神秘的な地下都市迷宮を、多彩なモンスターと戦いながら、深淵に潜む魔王キングドラゴンの討伐を目指す。敵の数に上限があることで、入手可能なお金やアイテム、経験値さえも限定されることになり、装備の購入や、体力の回復、レベルアップのタイミングなど、あらゆる行動がパズルのように絡み合う、難易度の高いゲームだった。当時の僕には難しすぎる内容だったことはもちろんだが、そもそもすぐにはパソコンには触らせてもらえなかったこともあり、兄のプレイを横で見ている専門だった。ただその分、美麗なグラフィックスで彩られた画面の中の世界は、少年心に鮮烈に植え付けられることになり、さらにはそれがプログラマという夢となって、今に繋ぐ、人生に大きな影響を与えるものとなった。

 兄は「XANADU」のクリア後にはT&Eソフトの「ハイドライド2」をプレイしていたと思うが、幼い僕が自由にパソコンを触らせてもらうのにはもうしばらく時間が必要で、ちゃんとしたプレイの記憶があるのは「イース」からである。イースはそれまで高難易度こそ正義だったパソコンゲーム史上において、様々な意味で優しさを全面に押し出した日本ファルコムお得意のアクションRPGであり、現在までシリーズの続く歴史の長い名作のルーツである。
 ナンダカンダ言っても優しい兄だったので、ユーザディスク用にフロッピーディスクを用意してくれたりと、ゲーム機では味わえない一段上のゲームを遊ばせてもらった感は強い。しかもそれが名作イースなのだから、素晴らしい原体験になったのは間違いない。イースはⅠ、Ⅱどちらもちゃんと当時の内にクリアできているのも、良い記憶になっているのはあるのだろう。

 ただ、思い返してみると他にはあまり大作はクリアできておらず、「アーコン」「M.U.L.E.(ミュール)」「ぎゅわんぶらあ自己中心派」「今夜も朝までパワフル麻雀2」「冒険浪漫」といったテーブルゲームのような比較的カジュアルなゲームをよくプレイしていたような気がする。

 特にBPSの「アーコン」はお気に入りで、後年まで何でファミコンやPCエンジンで出ないのだろうと本気で思っていた(海外ファミコンであるNES版は存在)。ゲーム内容としては将棋やチェスの駒をドラゴンやフェニックスなどにしたターン制のストラテジーゲームで、駒同士が重なると、アクションによる戦闘で勝敗が決まる。市松模様の盤面にも有利不利の特性があったり、駒となるキャラクタにも細かな特徴が割り当てられていて、実に奥深い戦略性に富んだゲームとなっている。対人プレイが熱いが、対コンピュータ戦でも飽きの来ない仕上がりになっている。

 「アーコン」と同じBPSから発売された「ミュール」もターン制のストラテジーゲームだが、こちらは4人まで同時にプレイ可能な、開拓惑星を舞台に経済発展を競うマーケット系のゲームだった。使役するロボット「ミュール」を使って、宇宙船が迎えに来るまでの12ヶ月(1ヶ月1ターン)の内に「土地」を確保しつつ、「鉄鉱石」「宝石」「食料」「エネルギー」の4つの「商品」を取引することで、「土地」「商品」「お金」の3つの資産をどれだけ稼ぐことができるかを競う。この作品もまたシンプルながらも「アーコン」とは違った奥深さを持つ良作として記憶に残っている。ただ後年、懐かしさにプレイしてみようとしたら何をどうしたらいいのか、プレイ方法をサッパリ忘れていた。

 「ぎゅわんぶらあ自己中心派」は、片山まさゆき氏の同名漫画を題材としたゲームアーツの四人打ち麻雀ゲーム。それまでの麻雀ゲームには無く、リアルの麻雀には不可欠な要素である「ツキ」を再現する名目で牌の引きをプログラムが操作しており、これを明確に謳っている点が画期的であった。またキャラクタの個性が色濃く表現されたゲームでもあり、個人的には近年に至ってもなお、これほどまでに個性豊かな麻雀ゲームは存在しないと感じさせるものだった。ともすればクソゲーになりかねない程にコントロールされた部分が大きい麻雀でもあったが、その後も多くの関連作品が販売されていることからも、これらの特徴は広く受け入れられたものだと確認できる。

 「今夜も朝までパワフル麻雀2」はデービーソフトから発売された麻雀ゲーム。ストーリーモードの「さすらい麻雀」や、脱衣要素のある2人打ち麻雀の「エキサイト麻雀」、四人打ち麻雀「ノーマル麻雀」に、いわゆるポンジャンのような「ぽこ麻雀」で構成されたバラエティ豊かなゲームソフトになっている。まだ麻雀は良く判っていなかったのでひたすらに「ぽこ麻雀」を遊んでいたが、元ネタである「うっでぃぽこ」は未だ遊んだことはない。僕も男の子なのでもちろん「エキサイト麻雀」にも興味あったが、良く判らずに結局負けるのであまりプレイはしなかった。

 システムソフトの「冒険浪漫」は画面切り替え式のアクションゲームで、今で言えばメトロイドヴァニアな様相を持つ。実を言うとコピーで説明書もなかったので目的すらわかっていなかったが、アイテムを拾うたびに新しいことができるようになったりして、先に進めるようにもなるので、発見が楽しいゲームだった。とはいえ、このゲームも最初のステージのボスまで行くのが精いっぱいで、クリアどころか、2面以降の記憶が全くない。ファミコンで発売中止になってしまったが、スプライト表示で滑らかに動く主人公を操れたらどんなに面白かっただろうと思う。

 間にT&Eソフトの「ハイドライド3」を挟みつつ、日本ファルコムの「ソーサリアン」をプレイして満足した辺りで、兄のパソコンへの興味はだいぶ薄れていたのではないかと思う。僕も「PC-880mkⅡFR」でガッツリ遊んだのは「ハイドライド3」が最期だった気がする。僕のゲームとしての興味も、ファミコンやPCエンジンに移っていく時期だったのだろう。ただこの当時はまだ家庭用ゲーム機のゲームよりも、パソコンのゲームは高い表現力と制限のない自由な作品が作られていたと思っている。興味が移りつつも、けして飽きた訳ではなく、いずれ自身でパソコンを購入するまでの休眠期間だったに違いない。








この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?