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【小説】さよならの真実〜南部皐月〜

「…お見合い、ですか?」

「そうだ。お前ももう20だ。アルバイトなんて遊びは辞めて、家庭に入って子供を産んで嫁ぎ先に尽くせ。…日取りは追って知らせる。それまでに、身辺を整理しておけ。」

「……はい。お父様。」

そうして小さく一礼して、皐月は部屋を後にする。

…父は検察官。母は司法書士。兄2人は代議士の秘書。跡取りのいる家の娘の役割は、家のための結婚くらいだと言われて育ったので、いつかはこんな日が来るだろうと思ってそれなりに覚悟をしていたが、やはり堪えるものがあり、皐月は部屋に戻るなり、布団に突っ伏す。

「もう、会えなくなっちゃうのね。「煙突さん」…」

「えっ!?皐月ちゃん、月末で辞めてまうの?」

「うん。父が結婚の話を持って来てね。お嫁に行かなきゃいけないの。」

朝の京都市内の駅前にある、小さな商店。

サラリーマンがひっきりなしにやってくる時間がひと段落したので、仲良しのみつ子に退職の話をすると、彼女は目を丸くする。

「ホンマに皐月ちゃん。ええとこのお姫さん(おひいさん)やなんね。そやし、まだ20で結婚やなんて…早すぎやわ。それに皐月ちゃん、あの人の事…」

みつ子の言葉に、皐月は頭を横に振る。

「仕方ないの。ホントは高校卒業したら結婚て話だったのを、働いてみたいって言う私のワガママで二年待っててもらったようなものだから。だから煙突さんの事も…良いの。」

「そやし…」

そう言ってみつ子が言葉をつづけようとした時だった。店の引き戸が開き、冷たい冬風と共に、1人の青年が中に入ってくる。

その姿を見やるなり、皐月の心臓が僅かに高鳴る。

すぐさまカウンターに行くと、彼はブラックコーヒーを一つ持ってやってくる。

「いつもの。」

「はい。ピース二箱ですね?750円です。」

「ん。」

頷き、ぶっきらぼうに差し出された千円札を受け取りお釣りを渡すと、青年は小さく一礼して、店を後にする。

「ねえ皐月ちゃん。ダメ元で告(い)うてみたら?今日日コーヒーと煙草なんて自販機で買えるのに、あの人…「煙突はん」。毎日決まってここでこの時間、皐月ちゃんから買ってるやん?絶対脈あるて。着てるもんも上等やし、お父はん許してくれるんちゃうの?」

その言葉に、皐月は首を横に振る。

「ダメ。私の一存ではできないの。私の…棗の家に利益を与えてくれる家の人じゃないと、ダメなの。煙突さんだって、あんな素敵な人だもの。お付き合いしてる人、きっといるわ。」

「そんな…」

悲しげに顔を歪めるみつ子に、皐月はすまなさそうに眉を下げて笑う。

「ありがとうね。みっちゃん。」

そうして迎えた、吉日のとある日曜日。

京都でも5本の指に入る高級料亭の廊下を、振袖姿で歩く皐月に、先を行く母が口を開く。

「お相手の名前は南部憲一郎さん。お歳は24歳。まだ司法修習生だけど、見所のある気骨のしっかりとした好青年だそうよ。お家の方も、法曹界の重役を代々任される由緒ある所だそうよ。修習開けたら、お父様が部下に…京都地検の刑事部に配属されるよう、人事の方に口をきいてくれたそうだから、安心して嫁ぎなさい。」

「はい…」

「緊張は分かるけど、そんな顔はおよしなさい。お相手に失礼でしょ?……笑いなさい。」

「はい…」

そう言って作り笑いを浮かべてみたが、頭に浮かぶのは、煙突さんと呼んでいた青年の顔ばかり。

仕方がない仕方がないと、必死に気持ちをかき消そうとしているが、募るばかりで苦しくて、今にも涙が溢れそうだったが、それを必死に堪えて座敷に向かうと、引き戸が開き、見合い相手の顔が覗く。

「あっ……」

「えっ……」

互いに目を見開き見つめ合う。

そこにいた見合い相手の男は、自分が恋焦がれていた、思い続けていた、煙突さんその人だったからだ。

煙突さん…南部憲一郎も、相手の顔を知らずにここに来たのか、呆然と自分を見ているので、皐月はますます赤くなる。

「なんだ。知り合いか?」

「あ、いえ…私がいつも働いていた店の、常連さんです。」

「あら、まあ。それはまた、運命いうんちゃいますか?まあまあ、立ち話もなんでっしゃろ?お座りやす。」

仲人の妻に促され、席に座って話は進み始めたは良いが、憲一郎は口を真一文字に結んで、ただうんうんと頷くだけで、自分とは視線すら合わせてくれない。

意に沿わない結婚なのか。そう不安に思っていると、仲人の妻がポンと胸の前で手を叩く。

「…ほな。大まかな流れの話はこれくらいにして、後は二人でお話しでもしてみたらどない?ずっと黙りっぱなしやと、お互いの事、分からしまへんにゃろ?お庭にでも出て、散歩でもしはったらよろしわ。お式の話なんかは、こちらで決めますさかい…よろしおすか?南部はん。棗はん。」

「…分かりました。なら、皐月さん、行きましょう。」

「あ、はい。け、憲一郎…さん。」

立ち上がり、差し伸べられた手を握り締めて、皐月は憲一郎と部屋を後にした。

「びっくりしました。まさか司法修習生の方だとは思わなかったので…」

「いや…こちらも、まさかこんな家柄のお嬢さんとは思ってもみなかったので、本当に、驚きました。」

冬の雪化粧に映える寒椿の咲く庭園を歩いてそんな話をしていると、憲一郎はやおら脚を止めて自分を見やる。

「もうすぐクリスマス…なにかご予定ありますか?」

「い、いえまさか。あなたと結婚する身で、あるわけないじゃないですか…」

その言葉に、憲一郎は赤くなり、綺麗に整えていた頭をガシガシと掻いた後、また口を開く。

「すみません。無神経でした。自分…こういうことは不慣れなので…では、12月24日。空けておいてください。迎えに行きます…」

「はい…」

そうして結納を済ませて挙式の日取りなどが決まり、父母の勧めで料理教室や生花、茶道、着付け、裁縫、子育てに関する教義を学びながら、良妻賢母を目指していたら、時はあっという間に過ぎて、12月22日を迎えていた。

「買い物?」

「はい。憲一郎さんが、12月24日…迎えに来てくださるそうで…クリスマスなのに、手ぶらでは失礼ですし、百貨店で、何かプレゼントを差し上げたくて…」

「そう。なら、兵藤さんにお願いなさい。私が外商で通う百貨店知ってるから。今カードを…」

「待ってお母さん。車はお願いしたいけど私…自分のお金で、買いたいの。」

「皐月…でも、あなたの稼いだお金なんて、たいしたもの買えないでしょ?憲一郎さんに失礼よ。言う事を聞いて、お母さんの外商の店にしなさい。」

「…嫌です。」

「えっ?」

いつもなら嗜めればハイと頷く皐月の、初めてとも言える反抗に、母麻里恵は瞬く。

「女学院の同級生だって、そうしてました。お小遣い貯めて、好きな人にプレゼント、あげてました。結婚まで、修習で忙しい憲一郎さんと会える日なんて、僅かしかありません。お付き合いしていたという思い出くらい、好きな人に自分のお金で買ったものを差し上げる楽しみくらい…下さい。」

「皐月…」

小さく肩を震わせて自分に懇願する娘に、麻里恵は頭を抱えていたが、もうすぐ嫁入りかと思うと、日々の花嫁修行も真面目に取り組んでいるし、たまには甘やかしても良いかという結論に達し、小さくため息をつく。

「分かったわ。好きになさい。お父様には黙っておくから。ただくれぐれも、羽目を外しすぎないようにね。嫁入り前なんですから…」

「ありがとうございます。お母さん…」

「プレゼント…でございますか?」

「ええ。なにか良い知恵はない?兵藤さん。」

京都市内の百貨店街へ向かう車の中で、皐月は徐に、運転手の中で比較的仲の良い兵藤と言う老齢の運転手に問いかける。

「さあて…奥様旦那様ならいざ知らず、お嬢様のようなお若い方の好むものなど、この爺には分かりかねますなぁ〜」

「そおなの?嫌だ困ったわ。兵藤さんならきっと知恵を貸してくれると思ったから、私プレゼントなんて言ったのに…」

「ははっ。それは光栄でございますな。…でしたら、月並みですがネクタイなど如何でしょうか?お嬢様のお給金でも十分質の良いものが手に入りますし、スーツでお勤めされる男性には、必需品ですよ?」

「…やっぱり、その辺が無難な落とし所なのね。」

「他にも靴や傘、ネクタイピン、カフスなど身に付けるものなら様々ですよ?…ご趣味は伺ってないのですか?」

「あっ…えっと、確か電話で、詰将棋だって…」

「それはまた、お若いのに古風なご趣味ですなぁ。ではその関連書籍でも、喜ばれるのではありませんか?」

「うーん…」

好きな人への初めてのプレゼント。

出来れば思い出になるものがいい。

どうしたものかと頭を悩ませていたら、いつのまにか、馴染みの百貨店の紳士服売り場にいた。

「…ネクタイにしろって言う、神様のお告げかもね。」

そう呟き、店員に声をかけようとした時だった。

目の前のカップルが幸せそうに互いの指に揃いのリングをつけているのを見つけたのは…

「あ…」

ふと、自分の何もない左手薬指を見やる。

結婚指輪は作ったが、式まで神棚に挙げておくのが家のしきたり。

その式は、まだ半年先…

それまで、この何もない指で過ごすのかと思うと、急に不安になり、気づいたら皐月の足は、別のフロアに向かっていた。

そうして迎えたクリスマスイブ。

皐月は憲一郎に連れられ、アンティーク調の古めかしい大人の雰囲気漂うレストランへと向かった。

窓際の、雪化粧された綺麗な中庭が覗ける席に腰を下ろすと、ボーイが小さな花束を持ってやってきたので、皐月は瞬く。

「け、憲一郎さん?」

「プレゼント…初めてのデートですし…有体ですが、バラを…」

「あ…」

5本の赤いバラの花とかすみ草のミニブーケをドギマギしながら受け取ると、憲一郎は口を開く。

「本を、読みました。柄にもなく、こう言ったデートに相応しい贈り物の本を。そうしたら、赤いバラでも、本数によって意味があるって知って…それで…」 

「そうなんですか?私、そう言うのよく分からないから、無知でごめんなさい。なんて仰るの?5本の赤いバラの意味…」

その言葉に、憲一郎は顔を赤らめながらも真剣な顔つきで口を開く。

「「あなたに会えて、良かった」です…」

「あ…」

顔を真っ赤にする皐月に、憲一郎はごくりと息を呑んで、続ける。

「好きです。初めて見た時から。気持ち…きちんと伝えてから、結婚したかった。すみません。我儘で…」

「いえ…わ、私こそ…あなたが…」

そうして自分も思いを伝えようとした時だった。

ソムリエがやって来て、一本のワインが示される。

「1951年の、リヴザルト ドメーヌ・ラ・ソビランです。」

「ああ。ありがとうございます。先に彼女に…」

「はい。」

頷き、ソムリエが皐月のワイングラスにそれを注ぐ。

「お酒、初めてだと聞いたので、なるべく飲みやすいのを選んでみたんですが…あなたの生まれた年に仕込まれたワインです。これが、2つ目のプレゼント…」

言って、憲一郎はグラスを掲げる。

「初めての聖夜に、乾杯…」

「は、はい…」

そうしてグラスを合わせて、初めてのアルコールを口にすると、酸味と甘味の絶妙な味わいが喉をつき、思わず笑みが溢れる。

「美味しい…」

「良かった…」

そうして、口下手ながらも会話を交わしながら食事をし、ドルチェを終えて、食後のコーヒーを飲んでいると、憲一郎が徐に背広のポケットから青い小箱を出し、蓋を開けて皐月の前に示す。

「修習生の安月給なので、大したものは買えませんでしたが…今の自分の精一杯の気持ちです。…受け取って下さい。」

「あ…」

目の前の箱の中にあったのは、小さなダイヤが一途に輝く、シンプルな婚約指輪。

はにかみながら、それを手に取り指に嵌める。

「嬉しい…でも、どうしましょう。こんなに沢山いただいた上に、私のあなたへのプレゼント、被っちゃったわ。」

「えっ?」

瞬く憲一郎に、皐月はやはり青色の小箱を差し出す。

「これは…」

問う彼に、皐月ははにかむ。

「結婚指輪の代わりにと思って、ペアのリング…買いました。私の誕生石のエメラルド…離れていても、私だと思って、持っていて下さい。」

「皐月さん…」

破顔する憲一郎に、皐月はニコリと微笑む。

「私も…あなたが好きです。初めて会った時から…」

「…離婚してください。」

「えっ?!」

…それは、末息子の藤次が大学を卒業した祝いの席を終えた後だった。

やおら離婚届を持って書斎にやって来た皐月の口から出た言葉に、憲一郎は瞬く。

「なんで…」

「……癌が見つかりました。」

「えっ!?」

「左胸を全摘出しても、全身に転移していて、抗がん剤を使っても、長くは生きられません。」

「ならなおのこと、俺はお前を」

「私が耐えられません…」

「えっ?!」

狼狽する憲一郎に、皐月は涙を流して懇願する。

「見られたくないんです。女としての象徴である胸を無くして、抗がん剤で髪が抜け落ちて、苦痛に醜く顔を歪めて死んでいく様など、あなたに見られたくないんです…」

「だが…」

「お願いします。表向きは、あなたの…不器用なりの愛情表現だった行いに対して、私が耐えられなくなったと言うことにして、別れて下さい。藤次は分かりませんが、恵理子ならついて来てくれると思いますので、彼女と奈良のホスピスに行って、余生を過ごします。もう、手続きも済ませてます。」

「そんな…お前がどんな姿になっても、俺は…」

「何度も言わせないで下さい。私が耐えられないんです。だから、お願いします。別れて下さい…私の、最初で最後のワガママ、聞いてください。お願い…」

そうして涙を流すので、憲一郎は黙って差し出された離婚届にサインをして、結婚指輪を外す。

「あなた…」

「離婚には応じる。ただし、一つだけ条件がある。」

「えっ…」

瞬く彼女に、憲一郎は机の引き出しからある物を取り出す。

「あ…」

それは、30数年前のクリスマスに、皐月が憲一郎に贈った、ペアリング。

「結婚指輪の代わりに、これをつけることを、許してほしい。離れていても、ずっと…一緒だ…」

「ありがとう…あなた…」

「それが、この指輪…なあ…」

時は巡り、藤次47歳のとある休日。

ずっと読む気になれなかった母の日記を何気なく手に取り読みながら、引っ越しのためにしていた大掃除で見つけた件の指輪を眺める。

「あの鬼が、こんなにお袋に惚れとったんか…つか、プロポーズのサプライズ、まんま一緒やん。所詮は蛙の子は蛙か。」

小さくため息をついて、藤次は指輪を箱の中に終う。

「せやけど、ワシは絶対に、あんた等のようにはならへん。絢音が…同じ理由でどんなに頭下げて別れてくれ言うて来ても、ワシは絶対…一緒におる。支える。添い遂げてみせる。せやから、見守っててや。」

そうして日記を閉じて、部屋を後にし階下へ降りると、胎教の一環か、お腹の中の…自分達の子供に物語を語りかける妻の姿があったので、藤次は優しく目を細める。

「なんや。もうすっかり母親顔やな。赤ん坊、元気なんか?」

「うん。元気元気。毎日ポコポコお腹蹴って来て大変。あなた帰って来る時間になると、益々元気になるのよ?参っちゃう。」

「へぇ。そら、初耳やな。お父ちゃんも、早よお前に会いたいけど、もう少し、お母ちゃんの腹ん中で、大人しいしときなぁ〜」

そうして、結婚間もなく授かった小さな命の胎動を掌に感じ、幸せそうに絢音と他愛のない話をする藤次を、窓辺の寒椿が静かに、見つめていた。


さよならの真実 了






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