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家と庭

私達夫婦は約7年前から、北国の比較的田舎の戸建住宅で暮らしている。
庭には、春から秋まで宿根草やバラが咲き、果樹や小さな菜園、子供のための遊具とハーブの芝生をDIYしている。冬は、基本的に寒さと雪との闘いだ。
一年を通して、晴れた日には野鳥がやってきて、綺麗な囀りを聞かせてくれる。
庭や家のインテリアや使い勝手は、毎年少しずつ手を加えていて、数十年かけて、使い続けながら理想の庭と家を作り込んでいこうとしている。

夫婦共に、これまで集合住宅にしか住んだことがなかった。いきなりの戸建購入に踏み切った訳だが、結果は大成功だ。今のところ。
旅先でのキャンプや戸建の宿を借りて過ごしたことも、私達の住環境選びに、閃きと確信を与えてくれた。
私達の家と庭、暮らしの面白さについて、書き留めたい。

当初

土が遠くても植物の近くで暮らしていたかった

結婚当初、夫と私は駅近の小規模なマンションの中層階に住んでいた。ご近所は同じ階には1部屋だけで、幹線道路から一本住宅地に入った場所だったため、一日を通して静かな環境だった。南向きの窓があり日当たりも抜群だった。近隣の商店街もそこそこ栄えていて、電車で7分以内に街の中心部に移動できるため、大人2人の生活環境としては住みやすかった。双方の通勤にも、休日に街中へ出かけて娯楽を楽しむにも、移動がしやすく便利な立地だった。

構想

庭に最初に植えたジューンベリー

先のマンションに住んでいた時に「将来は比較的静かで、周囲の音や視界を気にしなくていいような、広い庭の戸建を探そう」という話になった。
私も彼も、戸建に住んだことはない。しかし、夫婦共に、家の扉を開けたらすぐに土や植物に手が届く暮らしがしたかった。そして、幸運にも、夫婦共に戸建住宅の管理をしていく知識と技術力はありそうだった。

私は常々、視覚、聴覚、嗅覚、触覚、味覚を鋭く感じ取ってしまう。少ない刺激でも不快に感じ続けてしまい、慣れるということはないらしい。悔しいが、可能な限り逃げるか、感覚を誤魔化すしかない。
よって、都心部よりも、人口密度が少ない郊外に移り住んだほうが、長期的な心身の健康に良いのではないかと考えていた。
また、現代はインターネットが普及した便利な時代だ。住む場所がどこであろうと当面困りそうにないし、時間の経過と共に、この傾向はもっと進んでいくと考えた。通勤も田舎なので公共交通機関は首都圏のような超満員にはならず、運動と音楽や読書の時間と考えれば苦にならない。
金利や物価の傾向も、当時は住み替え時期として、懸念事項も少なそうだった。

私は、郊外の静かで冷涼な空気の中で、土や植物と触れ合う環境と時間を持ってみたかった。野菜やハーブを育てる菜園、ブルーベリーやグースベリー、ブドウ等の果樹も栽培してみたい。ハンモックスタンドを外に出してもいいかもしれない。ちなみにハンモック歴は15年以上。長く愛用している。
夫は趣味で、植物を育てたり養蜂をしたりする。犬も好きで、いつか飼いたいと言い出しそうだ。

もしも家族に子供が増えたら、夫婦で、自然・生物・科学・芸術・情報技術・工学等について、子供と体験するフィールドがほしい。子供のいる暮らしについて、この時点では真剣に考えていなかった、というか避けていた。けれど、可能性があるなら大きな買物前には考慮しておきたい。
子供が音や振動を発生させることは、私はごく自然なことだと思う。しかし、周囲との距離が近い住まい方では、子供に「静かにして!」だとか「夜は歌わないで!」等と強要しまくる自分しか描けない…。
一般的な社会のルールやモラルは、親が教えなければならないが、環境次第で緩和させられるものも存在する。子供だってうるさく言われたくないだろうし、こっちはもっと言いたくない…。
皆、周囲に気を遣いながら子育てしていると思うが、「大勢の親」と「私」は気にする範囲も量も質も、大きく異なってしまう気もする。まだ見ぬ子供も、私と同じように「むずがり」かもしれない。周囲との緩衝帯になるような広い空間がほしい…。
私の育った環境と同程度の環境しか用意できないのなら、子供を迎えたいと思えない。私は苦しかったし、しんどかったのだから。

そして、北国は雪の心配も必要だ。除雪の雪置場があれば、排雪をしなくてもよい。家庭用除雪機を使用しても、庭にあるものが壊れにくい設えも必要だ。

やはり、広い庭がほしい。

宝探し

庭で娘と遊びながら作った花の冠

夫は不動産を探す才能がある。
以前住んでいたマンションも住み心地がよく、今回もお宝を発見してきた。将来は…と話した数週間後、郊外の広い庭付き戸建の中古物件を探してきて、速攻で見学の申込もしていた。
「もう見にいくの?!」と驚いていると「絶対に気にいるはずだ。ニヤッ。」と自信ありげだ。既に単身で、外観と周辺環境調査に行ってきたらしい。
「それじゃあ試してみようではないか。」と見学した私達は、1件目で「ここにしよう!」と決めてしまった。それほど、魅力的な家だった。

徒歩5分圏内に大きな公園とバス停があり、夜は静かで暗く星がよく見える場所だった。一番近いスーパーやコンビニは歩いて10〜15分だが、必需品はネット購入で保管をするので問題はない。
それよりも周辺環境に刺激が少なく穏やかであることを重視したい。
庭にいても、車の走行音や歩行者の気配は気にならない。
前の家主が植えた庭木も育っていて、ちょうど良い目隠しになっている。この庭木に野鳥が集まり、囀りが聞こえてくる。セキレイ、シジュウカラ、ジョウビタキ等がやってくる。裏庭では、リスが木登りを見せてくれた。
広い庭は隣家との緩衝帯にもなり、私でも音や気配を気にせずにいられた。約400m2の敷地に、約200m2の建物だ。引きこもり体質に嬉しい、大きい家と庭だった。

その頃、ちょうど旅先で、南国の一軒家の宿に泊まった。北国とは違う土や草木の匂い、雨の音。戸建は空にも地面にも近い分、リアルに感じられた。
この感じ、嫌いではない。
人が少ないので、人間が出す音や光や匂いが少なく、天候や季節等の自然を身近に感じる。これらの気配は、落ち着くものだった。
この旅で味をしめた私は、引越しが待ち遠しくなった。

実行

不動産業者、銀行、税務署、ハウスクリーニング業者、引越業者と順調に打合せをこなし、数ヶ月で滞りなく新しい生活が始まった。
最初の年は、働きながら荷解きをして、一息ついたら冬が来ていた。
次の年は、雪解け後から、庭の大掃除をした。
その後、数年かけて、庭の植物観察、時間帯や季節ごとの日光の当たり方や風の強さや向きを記録していった。
日射記録と簡単な測量をして作成した図面をもとに、ベリー系の小さな果樹園、野菜やハーブの菜園、宿根草の花壇等を少しずつ作っていった。

子供をむかえたいと感じられるようになった時、私は庭づくりに、より本格的に取り組んだ。
子供が育つ過程で興味を持ちそうな種類の植物を選んだり、おままごとや工作の素材になりそうな植物も取り入れた。当たり前だが、毒性のあるものは避け、どうしても薬剤撒布が必要な草花はバラに限定した。
この時点で作業をしても、見頃になるのは3〜5年後だ。大人だけの気楽な生活のうちに、できることはどんどん進めようと考えた。

子育ての庭

庭の小さな菜園は娘と一緒に世話と収穫をする
我が家の初夏はイチゴの収穫祭だ。

娘が生まれたのは、コロナ禍初期の頃。
乳児検診さえ延期され、子育て支援の拠点も閉鎖。緊急事態宣言で外出もままならないが、家と庭をしっかり作り込んでいたため、多少の拠り所になっていた。
娘と夫と庭で日向ぼっこをしたり、ハーブの芝生の上で座ったり寝転んだり。娘が歩けるようになってからは、バラの花びらを摘んだり、花吹雪をして遊んだ。

3歳になると、保育園でもトマトを育てるお手伝いをしたり、一般的な野菜や果物の名前は完全に覚えていた。
庭にはイチゴや果樹のベリー類を植えていたが、一度教えると、しっかり場所と食べごろを把握していた。
保育園から帰ると「これは、今日食べれそうだ。こっちは、まだ白いから明日かな。」と庭で遊びながらおやつタイムをしている。
夏場の水やりも「一緒にやる!!」とジョウロやホースの使い方を覚えている。びしゃびしゃになるのも好きらしい。
トマトやきゅうり、スナップエンドウを植えて、食べごろになったら、一緒に収穫をしてサラダも食べられるようになった。気まぐれで収穫だけで満足することもあるけれど、それでも充分に贅沢な体験だ。
ママのハーブ畑は「いい匂い臭い!」と言い、ラベンダーやタイムを嗅いでは逃げ、もう一回嗅いでは走って、きゃっきゃとはしゃいでいる。

娘の目線に近付けてイチゴはプランターでも栽培

小さな種や苗が、太陽と水と土の力をかりて成長すること、蕾(彼女は「苺の赤ちゃん」等と呼んでいる)ができること、花が咲いて少ししたら、実がなること。
色々な葉や花や実があること、食べ物がどうやってつくられるか、小さい頃から、生活の中で当たり前のように体験でる環境は、未来の彼女の財産になるはずだ。
本や映像でも、仕組みはわかったように感じられるとは思う。けれど、実際に太陽の眩しさや、植物や土の匂いと一緒に、自分の見て感じた景色として、彼女の記憶の引き出しにしまっていてほしい。いつかはわからないけれど、いつか知らない間に役に立つはずだ。

療養の庭

育て始めてバラの魅力に気がついた。
好きな花だったが、この後、ネズミの食害を受けてしまった…

私が鬱病を再発させてしまった時、周囲の人達に支えられたが、庭にも助けてもらった。
数年の療養を経て、今は仕事にも復帰し、社会に再適応しようとしているところだ。「数年の療養」というと5文字で済んでしまうが、永遠に続き、もうもとに戻れないのではないかという不安の中で過ごす時間は、もう1時間でもやり直したくない。

庭があったことは、療養の過程で心と体を落ち着かせる役割を果たしたとも感じている。
病気の性質として、悲しみや焦燥、希死念慮を感じずにはいられない。
しかし、窓辺のソファに横になり、窓に映る木漏れ日や庭の草花が視界に入り、小鳥の囀りが聞こえてくると、この庭は夫と一緒につくってきたもので、娘と一緒に生物や季節の移ろいを見てみたいと思っていたことを思い出せた。庭が世界とのつながりを途切れさせずにいさせてくれた。
少し動けるようになって、娘を遊ばせたいが公園までの移動は厳しいという時も、庭は娘の好奇心を満たす素材に溢れていた。
もう少し回復してきて、職場復帰を目指したいと考えられる頃には、庭の土壌改良やペンキ塗り、花壇づくり等で体力や気力を測ったり、考える練習をして自信をつけていった。

この先の小さな目標

年月と共に、庭や家の暮らしにも管理にも慣れてきた。土のある生活も、憧れだけで三日坊主にはならず、深化させていきたいというところまできた。

来春は、刈草や落葉等のコンポストを作ろうと思っている。庭の資源はできる限り循環させたい。
時間のかかる堆肥化は、本当はもっと先に進めておきたかったが、ようやく実現できそうだ。

今までも心がけてはいたが、化学肥料や薬剤に頼らない庭づくりを突き詰めていきたい。過度な施肥は土も水も汚してしまうし、自己満足の土地利用にならないように気をつけていきたい。

学ぶことが多いと、暮らしの中で様々な視点が持てる。一人ではなく、家族3人で会話を重ねながら取組めることも、発見が増えて面白い。
DIYをして、使って、壊れて、また作って…とやることは尽きないし、これが楽しい。
こうやって、狭く広く、日々を積み重ねていけたら幸せだ。

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育児日記

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