愛は勝つ

子供の頃
毎年夏休みになると
祖父の故郷である滋賀県の山奥に行く事が
我が一族の年中行事だった

そこは湖北地方にある小さな山村で、街に出るには車で30分以上走らなければならなかった

秘境と呼べば聞こえはいいが
娯楽などは何もない
若者と呼べる人々は皆無なド田舎だ

今で言う限界集落で
バスも1日数本しか走っていない

数年前に訪れた時もdocomo以外はいまだに圏外。たぶん今はもう少しネット環境は良くなっているのではないか。いや、本音を言うと繋がって欲しくないという思いもある

とにかくその当時(30年くらい前)から
店と呼べる店もなく
大人達は現地に着くと、買ってきた惣菜やツマミをテーブルに並べ、酒を飲んだり親族同士でお喋りに夢中になっていた

私を含めた子供達は川へ遊びに行ったり、隠れんぼをしたり、田んぼでイナゴやイモリを捕まえて遊んだ。それらに飽きると用水路でスイカを冷やし、それをオヤツにしてなんとか退屈をしのいだ

唯一、自販機はあったので
小遣いを握りしめ
そこで何を買おうか必死に悩んだりもした

確かあの頃の自販機には
1.5リットルのペットボトルや瓶のジュースもあった

子供だった私には
デカいペットボトルを取り出すのに苦戦した記憶がある

それでもそれを抱えて歩いた田舎道の風景は
今思えば贅沢なほど美しかった

山、田んぼ、水のせせらぎ、カエルの合唱や稲の香りなど、都会で生活をしていた私には、なかなか味わえない夏の景色だった

祖父の実家は当時はもう更地になっていたから
泊まるのは自治体が管理している公民館のような公共施設だ

その施設が土地と引き換えに建てられたこともあり、我が家が墓参りで訪れた時のみ
宿泊を許可されていたらしい

布団や食器類、トイレ(ぼっとん)は使えたが
風呂がなかった

だから夜になると近所に住む親族の家に
風呂を借りに行った
私達の間ではそこを「お風呂屋さん」と呼んでいた

その家は古い農家の作りで
玄関は土間、風呂は五右衛門風呂だった

幼少期の私には
お湯が熱くてたまらなかったが
その家のおじさんおばさんがとても優しい人達だったから、そこへ行く事も楽しみの1つであった

風呂から上がると
決まってアイスを出してくれた

私の他に従姉妹や兄弟も居たので
子供達が喜ぶようにと
全員が風呂からあがった後
何種類もテーブルに並べられ
誰が何を食べるかで毎回もめた

結局はじゃんけんで決めるか
年長者から好きな物を取るのだが

ラインナップは毎年ほとんど変わらず
カップに入ったカキ氷や棒アイス、ソフトクリームの形をしたもの(商品名がわからん)などである

私はその中でも末っ子だったから
だいたい最後まで残ったスーパーカップを食べていた

アイスを食べながら
広い居間でテレビを見る
それがことのほか楽しみであった

なぜなら泊まる所にはテレビがなく
もちろんその頃はスマホもパソコンもない

持って行った漫画を
何度も読み返すのがやっとで
だからこそこの家でテレビを見ることが
子供達のテンションを爆上げさせたのだ

そこでよく見ていたのは
当時の人気番組「邦ちゃんのやまだかつてないテレビ」である

だから番組内で流れる「愛は勝つ」を聞くと
今でもあの当時のことが鮮明に蘇ってくる

イントロ聴いただけですぐにわかるもんなぁ

大人になるにつれ
あの歌詞のような
前向きな思いは失ってしまうけど

何の不安も悩みもなかったあの頃に
一発で引き戻してくれるこの歌を
この先も忘れることはないだろう

今日、KANさんの訃報をニュースで知り
また遠い記憶を呼び起こしている

明日、久しぶりにスーパーカップでも買うか
そんで風呂上がりにそれを食べながら
愛は勝つを熱唱しようじゃないか

そうだ、そうしよう

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