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医療的ケア児連れで地方から東京へ引っ越してわかった、首都圏と地方の差。そして共通する課題も。/東京都世田谷区在住・堤さんへのインタビュー

こんにちは、医療的ケア児の親で、フリーライターのおざわです。
医療的ケア児の親御さんにインタビューをし、それぞれの生活や困りごと、各自治体の課題などをお聞きして記事にしています。
(詳細はこちらの記事にまとめています。)

今回お話をお聞きしたのは、東京都世田谷区在住の堤さん(仮名)。お子さんは現在5歳で、必要な医療的ケアは胃ろうと浣腸です。

堤さんは2年ほど前までは群馬県前橋市に住んでいましたが、子どものかかりつけ病院と治療方針が合わず、違う病院に通うため、引っ越しを余儀なくされました

堤さん「群馬に住んでいた時は、地域に医療的ケア児を診れるような病院が一つしかなく、合わない、変えたい、と思っても行き先がありませんでした。病院を変えるには、住むところを変えるしかないんです。悩みましたが、こちらが望まない手術を提案されたり、私が望む治療法が取り入れられないと言われたりしてどうしても折り合わず…もう他の病院に行こう、と決断せざるを得ませんでした。どうせ引っ越して一から生活をスタートするなら、病院が充実している東京にしよう、と越してきて2年。医療環境にはとても満足していますが、予想外のこともありました。

堤さんが引っ越してきて初めてわかった、地方と首都圏の医療資源の差や東京の医ケア児保育事情などを伺いました。

大きな病院がたくさんある東京、納得して医療が受けられる環境に満足。

堤さん「東京に引っ越してみて、やっぱりいいなと思ったのは、治療方針を選ぶことができる環境です。医ケア児を多くみているような大きな病院がたくさんあることのメリットを感じました。おかげで、子どもの手術を一つ回避できたんです。うちの子は胃が小さい病気で、血糖値のコントロールが難しい状態でした。経管栄養で注入すると血糖値が大きく上がり、その後また大きく下がってしまうということが発生し(=「ダンピング」と言います)、意識を失ってしまうんです。前の病院では、それを避けるには手術をするか、24時間の持続注入をするしかないと言われました。でも、同じ疾患の子どもを持つ親御さんと情報交換して他の治療法を聞いたり、セカンドオピニオンで『手術してもその症状は治らない』と言われたりして、前向きに手術を受けようとは思えなかったんですよね…うちの子は歩けませんが、シャフリングで移動はできるので、24時間の持続注入も、ものすごく難しいんです。移動する子を常に追いかけていないといけませんから。それを伝えても、前の病院の治療方針は変わりませんでした。だからもう病院を変えるしかないと、思い切って引っ越しをしました。今の病院に移って、同じように治療方法を相談したら、すんなり受け入れてもらえたんです。おかげで手術も持続注入もせずに済みました。これは本当に良かったですね。うちの子、今までに何度も手術を繰り返しているので…一つだけでもしなくて済んだことは、本当に、良かった。」

「医ケア児の預け先がない問題」は、地方よりも受け皿の多い東京でも発生。

東京で提供される医療については満足されているという堤さん。でも、やはり住みにくい面もありました。

引っ越すにあたり第一優先にしたのは子どもの通院がしやすい場所ということでした。救急搬送しないといけないことも多かったですし、東京で車を持つことは経済的に難しいので、通院しやすく、緊急時には躊躇わずにタクシーに乗れる距離を考え、病院の近くに住もうと世田谷を第一候補にしました。最終的には、福祉資源や支援があるかも調べて決めました。引っ越しを考えた時点で子どもは3歳。すでに支援の重要性を知っていたので、事前に自治体のHPを調べたり、世田谷で事業をしている相談支援専門員に相談したりとかなり情報収集したと思っています。でもやっぱり、引っ越してみて初めてわかったこともあります。一番大きかったのが、保育園に入るのが難しい地域だったということです。周りには、障害児専門の保育園もあります。医療的ケア児の受け入れもされています。でも、空きがありませんでした。下調べをした時点では、『受け皿がある』と安心していましたが、それ以上に保育園に入りたい障害児の方が多いということを知りました。」

「保育園が難しいなら児童発達支援にと思いましたが、「動ける医ケア児」は、児童発達支援でも受け入れが難しいようで、「保育園に行ってはどうか」と断られました。保育園には医ケアがあるから難しいと言われ、児発には動けるから保育園にと言われ、狭間に落ちてしまったうちの子は居場所がなかなか見つかりません。だから、私が働くこともできません。うちはひとり親なので、もらえる手当と貯金を切り崩してなんとか生活してきました。ひとり親にとっては、預け先がないというのは死活問題です。でもそれ以上に心配だったのは、子どもの環境のことです。ずっと親としか過ごさなければならない環境は良くないんじゃないか、同年代の子どもと過ごす時間を作ってあげたい、と思い、焦りや不安がありました。」

「救いになったのは、令和3年から、『医療的ケア判定スコア』という制度が導入され、おかげで児童発達支援に通えるようになったことです。きっと医療的ケア児を育てる先輩たちが声を上げ続けてくれた結果がこのような制度につながったんだと思うと、感謝の気持ちでいっぱいになりました。その後、2年待ってやっと、保育園にも通えるようになりました。年長の一年だけですが、障害児だけでなく、健常の子どもたちと過ごせる時間はとても充実しています。」

総じて引っ越してよかったと思う。でも、医ケア児が「普通に」存在する社会にはまだ遠い。

医療的ケア児と家族が生活する場所として、地方と比べ東京には良い面も悪い面もある、と堤さんは実感しました。でもそれは、社会全体でも解決していってほしい問題でもあると仰っています。

堤さん「引っ越したことについては、後悔していません。手術を一つ回避できたのは本当に良かったし、それに、東京には遊びに行けるところの選択肢もたくさんあります。特にうちの子は水族館が好きなので、群馬にはなかった水族館に連れて行ってあげられることはとても嬉しいです。医療の充実もそうですが、子どもの人生を充実させてあげたいというのも目的の一つだったので、そういう意味では引っ越しは大成功でした。」

あとは預け先があったらな…というのが率直な気持ちです。医ケアがある、となった瞬間、どこかに預ける、というハードルがぐんと上がってしまいます。だから保育園に通える医ケア児は少ないし、『普通に』周りに存在する子どもではなくなってしまいます。大人にとっても子どもにとっても、周りに医ケア児がいない環境では、偏見も生まれてしまって当然じゃないかと思います。実は、私の元夫や元夫の家族とは、子どもに障害や医療的ケアがあることですれ違ってしまいました。でも元夫が小さい頃、周りにそういう子がいたらもしかしたら違ったんじゃないかな?とたまに考えることがあります。見慣れていないから、周りにいないから、怖さとか偏見に繋がるんじゃないかなって。そういう気持ちのバリアを除くには、医ケア児や障害児が分け隔てなく『普通に』存在できる世の中であってほしいなと思います。私にとっては可愛くて仕方ない我が子なので、世間の反応を見るとショックは受けることもあります。怖がらないでほしいし、みんなと一緒に生活できる存在であってほしい。保育園に通えるようになって、子どもたちと過ごしている姿を見ていると、ようやく『受け入れてもらえた』と感動すらします。そういうふうに『普通に』みんなと過ごせる場所が増えてほしいです。」

あとがき

堤さんにお話を聞いて、共感できるところがたくさんありました。医療的ケア児支援法ができても、まだ全国で「預け先がない問題」が根強く残っています。

「それをしっかり認識してもらうために声を上げるんだ」と堤さんは仰っていました。

最初から最後まで、自分を主語にするよりも、「子どもにとってどうか」という視点でお話しされていた堤さん。そのお話から、「預け先がない=親が働けない」だけではなく、「預け先がない=子どもにとっての機会損失」という点も忘れてはいけない視点だなと気付かされたインタビューでした。

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