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【短編小説】 南高梅の細君

今回も頑張ったけど締切間に合わず!
でも載せちゃう😜
そして寝る!😂

 梅の花の香りが、薄黄色の花袋から溢れていた。
 華道教室からの帰り道、定刻よりまだ早いのにバス停に停まっていたバスに慌てて乗り込んだ。
 いつもより混んでいる車内をみて、座れなかったことに少し落胆していると、運行の遅れを詫びるアナウンスで、渋滞遅延が生じてたまたま来た一本前のバスに乗ったことを知る。
 どうやら500メートル程先に工事渋滞の先頭があり、その先は普通に流れているようだと、隣に立っているカップルの話し声が耳に入ってきて、一度家に帰ると、バイトの時間に間に合うかどうかが微妙だなとやきもきしていたら、前の席に座っている老婦人に声をかけられた。
「紅梅のいい匂い」
 公共の乗り物で周囲に気になる程香りのするものを持ち込むのは、例え良い香りでも迷惑になりかねない。
 特に梅の花の頃は、春の花粉症の始まる季節と一致して、敏感になる人も多いように思う。
 花粉症を発症する元になる、杉や桧の花粉とは別の花粉でも、気になってしまう気持ちは、秋花粉の症状が酷い自分にも理解できるのだった。
 やはり自転車にすべきだったかな。しかし華道教室からバイト先まで自転車で行くには、結構なアップダウンがあってしんどい。
 しかし、目の前の老婦人は、春の花を愛でる優しい表情で紅い梅の花を眺めているからあまり心配せずとも良さそうだ。
 一応、花袋に収まりきらなかったことを詫びてから、
「こう見えて、実は白梅なんですよ」
 と打ち明けると、老婦人は目を丸くした。
 白梅と紅梅の違いは、木の断面が紅いかどうかにより決まるそうで、花が紅くても白梅、もしくは花が白くても紅梅ということがあるそうだ。お教室で先生に聞いた話しをそのままに話す。
「ご迷惑でなければですけれど、この花宜しかったらお持ちになりませんか?この渋滞で、一度自宅に置きに帰ると、バイトに遅れてしまいそうなので」
「まあ、宜しいの?」
 老婦人はにこにこしながら、バッグから綺麗に折り畳まれたスーパーのビニール袋をすっと取り出すと、
「少し小さいけれど、切り口だけでも被せられたら充分よね」
 と言った。
 上品な和服をリメイクしたコートが、よく似合っている。ナチュラルなグレイヘアはひとつに纏めてあって、若い頃はかなりの美人だったのだろうと思われた。
 私は花袋から輪ゴムで結えてある花を取り出して、水を湿らせてあるペーパーを少しめくって、梅の枝の切り口を見せた。
「まあ、確かに白いわ。不思議ねぇ」
 ペーパーを戻して、差し出されたビニール袋に花を移し替えると、どうぞと渡してから、花袋を折り畳んだ。
「ありがとう」
「こちらこそ、助かりました」
 受け渡しが済んだところで、ちょうど渋滞が解消したらしく、バスの揺れにバランスを取りながら、渋滞中に渡せてしまって良かったと思った。
「お礼がしたいところだけど、何も持ち合わせていないのよ」
「いえいえ、お気遣いなさらないでください」
「どちらで降りられるの?」
 二つ先のバス停留所名を告げると、老婦人は、少し遠いかしらと言い、
「私、このバスの終点で降りたところにある喫茶店を営んでいるの。宜しかったらランチにでもいらして?サービスしますから」
 私は終点の停留所を確認した。
 キャンプ場があったように思うが、利用したことはない。
「友人を誘ってみます」
 丁度車を買ったばかりの友人と、ドライブに出掛けたいと話していたことを思い出す。
「店の名前は山に雀と書いて、ヤマガラと読みます。水曜日はお休みなので、気をつけてね」
 今日は水曜日だ。お店がお休みの日に外出していたということなのだろう。
「はい、それじゃあまた」
 思いがけない出逢いに気を良くして、バスの窓越しに、お互い手を振って別れた。

 早希は、水色の軽自動車で、私の家まで迎えに来てくれた。
「可愛らしいわね」
「うん、その日の気分だったのよね。失敗したなって」
「ええ、どうして?」
 買ったばかりの車に嬉しそうにしているとばかり思っていたのに、そうでもなさそうな早希に面食らう。
「だって三人に言われたのよ!似合わないって。しかも異口同音に、前に乗っていた黒の方が似合っていたって」
 彼女の口調が、本気で怒っているというよりは、面白おかしく話しているのが分かって、つい同調する。
「ま、まあ、確かに」
「ランドセルの色を選ぶのに失敗した子供ってこんな気持ちかしら」
 好きな色と似合う色は必ずしも一致しない、今日の気分と明日の気分だってそうだ。
「まあ、明日は水色の気分かもしれないし」
「そうね。推しが車のCMしてるって理由で車買った夏子さんとかに言われてもね」
 夏子さんとは早希の元同僚で、数年来の友人だ。歳は離れているが、気が合って夏子さんが転職してからも付き合いが続いている。私も何度か一緒に食事に行って、連絡を取り合う仲だ。
「すごいね、300万円だっけ?」
「350万円よ。たまたま買い替えのタイミングだったとは言っていたけれど」
 どうやら早希は、きっと本人も無意識のうちに、新車を買って浮かれていることを自省する気持ちから、似合わないと言われたとか、もっと高い車を買った人の話を引き合いに出しているのかもしれないと思った。そんな早希が、可愛いと思う。水色は似合わなくても実はとても乙女だ。
「でも、いいわね、新車の匂い」
「まだしてる?」
「うん、乗り込んだ時に思ったよ」
「そう?あ、音楽、好きなのかけていいよ」
「これ好き、このまま聴きたい」
 そう言うと、早希は少しボリュームをあげてくれた。

 喫茶山雀は、土曜日なこともあってか、割合に繁盛していた。
 それでも1番忙しい昼のピークの時間を幾分過ぎて、来店する客よりも退店する客が多いようで、私達は窓際の眺めの良い席に通された。
 古民家を改築した店内は、モダンシックなインテリアで纏められていた。
 コーヒーのいい香りと、ニンニクとお肉の焼ける香ばしい香り。
 初めての来店だが、ランチに誘った早希に面目が立ったと確信する。
 老婦人は、すぐに気がついて、笑顔で迎え入れてくれた。
 メニューとお冷を置きながら、
「いらしてくれて嬉しいわ」
「お庭の梅、満開ですね」
「あれは南高梅なの。花もいいけど実も楽しめるのよ」
 私達は本日のランチを頼んだ。私はブレンド、早希はアイスティー。
 店内を見渡すと、マントルピースの上に、先日差し上げた、紅い白梅が生けてあった。一見無造作に見えて、凛として華やかに。
 厨房には、老婦人の伴侶と思われる白髪の男性が、忙しくフライパンを取り回しているのが見える。
 注文はオーダー表のみで提示されて、特に会話も多くないが、阿吽の呼吸で、料理がサーブされていく。
 本日のランチは、ボリュームのあるチキンステーキとミニグラタン。
 ライスを選んでも、ドリンクコーナーの横にあるバケットがセルフサービスで食べ放題になっている。
「美味しい」
「ねえ、美味しいねぇ」
 最近気になっているドラマの話をして、新しいコスメの話をして、会社のセクハラ上司の愚痴を聞いて、すっかりリラックスした。やっぱり気心の知れた友達との時間は何物にも代え難い。
 すっかり平らげた頃を見計らったかのように、店主がやって来た。
「こちらは、うちのうめぼしからです」
 テーブルに置かれたのは、フルーツがたくさん添えられたシフォンケーキのデザートプレート。
 うめぼしから?
 1秒程考えて、奥様をそう呼んだのだと理解した。
 きっと、年老いて皺くちゃだという意味の比喩表現であるけれど、その言い方には、今では年老いて皺くちゃだけれど、若い頃から変わらずに愛しくてたまらない妻というように聞こえた。
「この梅ジャムは、あの南高梅の実で作ったものなんですよ」
 たっぷりの生クリームと一緒に添えられたジャムは、爽やかな酸味とフルーティーな甘味がとても美味しかった。
「なるほど山雀ね」
 早希は、店主が厨房に戻った後にそっと、ヤマガラが、つがいで暮らす夫婦仲の良い鳥だと教えてくれた。
 デザートの礼を言って、再会を約束して店を後にした。
「お腹はいっぱいになったけれど」
「そうね、ちょっとあてられたわね」
 いつか、あんなパートナーに出逢えたらいいな。仲睦まじい老夫婦を羨ましく思う気持ちを、早希と共有出来たのが、何よりも嬉しかった。
「ねえ、あのドラマのキスシーンのロケ地、隣町の海の見える坂道でも見に行かない?」
「それいい!よし、行こう」
 南高梅のジャムのように、甘酸っぱい恋を擬似体験するために、水色の車は快晴の昼下がりを海に向かって走り出した。

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