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ケア日記ー随筆「松葉杖」 9月1日

9月になりました 一日じゅう小雨模様 玄関先に出ると音もなく降っています シュウメイギクの蕾がおおきくなってきました 

ちょっと寒いくらいだから夕食は湯豆腐にしようと母に話してから我妻栄先生の随筆集を開きました 今日、郵便が来て、地元の図書館から我妻先生が書かれた3冊の随筆集が届きました

3冊のタイトルは、「法律随想」「身辺随想」「海外随想」といいます

「海外随想」の巻頭には、外遊中の写真が何枚かおさめられています あらためて写真をみて、足首と膝を痛めた先生がコルセットのほかに両杖を使っていらっしゃるときがあると知りました 

写真の我妻先生は肘でささえるクラッチタイプの杖を使われています 昭和30年代の日本では、松葉杖といえば松葉のかっこうをしたものだったらしく、先生はベルリンでクラッチタイプのものを買ったそうです

我妻先生が身につけていらした大きなコルセットと特注の革靴は、米沢の我妻栄記念館でじかに見ていました 「身辺随想」におさめられている「松葉杖」というタイトルのエッセイを何年か前に読んでもいました でも、両杖を使っていらしたことは気づかずにいました

てっきり一本杖でいらしたと思い込んでいたのです

このごろ、術後の妹が松葉杖を使ってあるく姿を間近にみるせいか、我妻先生が両わきをつき上げられて服がいたむという松葉杖で、国内や外遊先のヨーロッパや中国の街々を行かれる姿が浮かぶようでした 

「冬はオーバーを着て松葉杖であるくことは、すこぶる難儀である」

我妻榮「松葉杖」より

今のように軽いダウンコートがない頃の話です 冬はコートの厚さにくわえてその重みも足腰に響いていたのではと想像してしまいました

「ねぇ、我妻先生のエッセイ読んでみない? きっとわかるわよ」

密かな告白のような「松葉杖」を久しぶりに読みおえたあと、居間で新聞を広げている母に声をかけました

「あら、松葉杖っていうの」

母は老眼鏡をかけ直し、新聞をたたんで読みはじめました 

「いま読むとね、なんかわかるのよ」

母の手元をのぞきむと、答えずだまって字を追いかけていました

「ねえ、どう?」

「そうねぇ」

無造作に返事をすると、母は「松葉杖」の前後におさめてあるエッセイを読みはじめました 先生の言葉を追ううちに興味がわいたのかいくつかのエッセイをあっという間に読んでしまうと、母は一言「さすがね」と言いました

「そう、立派な先生なの」

やっと通じたわと、嬉しくなりました 

いまあらためて我妻先生のエッセイをそっと開くと、新しい気づきがあります この2年ほどの間に、わたしもいつの間にか変化したのかもしれません

ねじり鉢巻きで全力投球一心不乱に父をケアし、父を見送ったのは両親からおくられた人生の天王山でした  父が一場の舞台を静かに去ったあと、わたしの内的時間はぷつっとそこでとまりました 

これから先はなにが起きてもおなじ、新しい感情に出会うことはたぶんもうない 母のケア、妹のケアといってもわたしは父が去った時点に立ち尽くしたまま、動くことはないと思い込んでいたのです

ところがどうして、そうでもないらしい 現世とは不思議なものです 

我妻先生は、海外の(ドイツのボンらしい)郵便局で松葉杖を頼りにひとりいるときに、見知らぬ少年と母親が「ドアを開けてくれ」、目がしらを熱くしたと回想しています 自分の殻に閉じこもってはいけないよと、そんな当たり前のことを我妻先生に教わります 

こんど妹がやってきたら「松葉杖」を読んでなんというでしょう わたしにはわからない我妻先生の行間の声を、妹は聞き取るでしょう

我妻先生はもちろん偉い先生ですが、学者としての偉さでは汲みつくせない奥深さを感じることがあります 

どこに行くにも杖を伴ない、ご自身が痛みと涙と限りないいたわりを味わいながらひとりの障がい者として生きられたからこそなのだろうと、急に肌寒く秋に染まった晩にわが身を熱くしておもうのです 

ここまで読んでいただきありがとうございました☆



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