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畠山重忠の二俣川合戦を詠むー歌絵巻「夏野の露」

■「鎌倉殿の13人」の俳優さん来訪!
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で若手の人気俳優中川大志さんが静動に魅力あふれる畠山重忠を演じているおかげで、二俣川合戦の地元民は、ドキドキワクワクの一年を過ごしています。駕籠塚に祀られる重忠の妻菊の前のお父様と伝わる足立遠元役の俳優大野泰広さんは鶴ヶ峰の史跡を訪ねてくださいました。800年の昔この地で繰り広げられた壮絶な合戦を思い、いやが上にも縁とゆかりを感じます。

大野泰広さんの鶴ヶ峰来訪がきっかけで、地元の清来寺が所蔵する歌絵巻「夏野の露」に収められた和歌の3首を足立姓の人が詠んでいると気づきました。夏野の露の実物を見たことはないのですが、手書きで写した和歌をまちの人からいただいたのです。歌を詠んだ足立姓の人とは、足立千代子さん、足立一桐さん、足立一兎さんの3人です。安達姓の人の歌が一首あり、ひょっとしてこちらもと気になります。

■横浜歴博の学芸員さんが教えてくれたこと
来たる10月8日~11月27日に開催される横浜市歴史博物館の企画展「追憶のサムライ」では、夏野の露が資料展示されるそうです。 相鉄線沿線の二俣川から市営地下鉄「センター北」で降りる横浜歴博まで出かけるのはちょっと遠いのが玉に瑕。母の調子がよさそうなときにでもふたりで出掛けようと楽しみにしています。
 
畠山重忠公壁芝居を地元万騎が原に立つ畠山重忠遺烈碑近くの商店街アーケードでやりたいと準備していた今年の春頃、秋の企画展「追想のサムライ」に向けて準備を進めていらした学芸員の方とお話をする機会がありました。学芸員さんは、夏野の露の和歌のなかには二俣川村民が詠んだ歌があり、村民の歌かそうでないかはわかるのですと教えてくれました。壁芝居をやりたいというわたしの企画を聞くと、学芸員さんは夏野の露に参加した二俣川村民を受け継ぐ系譜を感じるとおっしゃったのが嬉しかったです(追記:壁芝居の話はいずれnoteにと思いますが、いまは胸のなかで温めている状態です)

歌絵巻には地元の村民が詠んだ歌のほか、調べてみれば、足立姓をもつ重忠の縁者が詠んだ歌があるのかもしれません。歴博の展示では、足立姓の方の歌の解説が楽しみです。もし足立遠元の縁者であれば、二俣川界隈と足立遠元との縁とゆかりがますます深くなること間違いなしです。  

■素敵な二俣川村民たちー伝統を継承し、伝統をつくる人々
夏野の露は、二俣川に散った重忠を追善し、後世に名を遺すために和歌の絵巻をつくろうと一肌脱いだ当時の清来寺住職さんのもと、78首の歌と合戦古図がおさめられていると聞いています。絵巻に参加した12名の二俣川村民たちは筆を手にワクワクドキドキで正座し、緊張した面持ちで重忠を詠んだのではと想像はふくらむばかりです。

村民たちが詠んだ歌は二俣川の露と消えた重忠を懐かしみ、涙に袖を濡らす素直な歌に見えます。この方たちはきっと、地元に残る伝説を言い伝えてきた人たちでもあるのです。 

■口伝は隠れた宝
郷土史をみれば、重忠軍の戦いぶりは、地のさまざまなところに言い伝えが残されているようです。万騎が原という地名は、二俣川合戦で万を超える北条の軍勢がいた場所だというところから、牧が原を以来万騎が原というようになったとよく説明されます。ところが、地元の言い伝えでは重忠軍は万騎が原まで攻め上ってきたそうで、万騎が原の台地は北条の大軍と重忠軍134騎の両軍が入り乱れて戦を交えたと伝わります。歴史といえば文字で残されたものに頼りがちですが、口伝を通じて後世にしっかり手渡してきたなかにも隠れた宝はあるのです。

地元に眠る歴史を知るのは、地元で生き、この地と関わった人々の姿を知ることで、それがブーメランのように今に跳ね返ってくると心が躍ります。大河ドラマにたくさん登場するのは初めてという横浜ゆかりの鎌倉武将たちは、その昔命を懸けた古戦場の緑を濃き色に染め、いまこの地に住む人の目に映る景色をたしかに変えているのです。





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