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うつのおかあさん-20  推しに会いに行く

 
 ナンバリングも20になりまして、皆様この秋という寒暖差が馬鹿になったような季節をどうお過ごしでしょうか。
 前回の記事が「多分その内出社します」だったあの後、2週間働いては1週間休むみたいなリズムで出社して、ここ数週間は落ち着いてきた感じ、といったところでしょうか。
 気圧の変化に身体が対応できなくなり、秋の寒暖差で自律神経はバグり、生き返ったり死んだりしながら過ごしています。
 
 さて、疫病のせいで旅行をすることもなくなって数年経ち、でももうそろそろ良いでしょ、と見切りをつけて、私は先日『推し』に会ってきました。正確には推しの『写し』に。
 旧知の友と3人で行ってきたのは京都。私のお目当ては藤森神社に奉納されている『一期一振(写し)』でした。京都駅でちょっといいお昼ご飯を食べて、そこからさあ行きましょうと電車に乗ってから神社に着くまでの記憶が、正直曖昧です。だって一生会えないと思っていた推しに、会える日が来るなんて夢のようで、未だに夢を見ていたんじゃないかとさえ思います。
 
 私と一期一振の出会いは、ゲーム『刀剣乱舞』です。でも最初から好きだったわけではなくて、ゲームが進んでいくにつれてだんだんと好きになっていったのが一期一振というキャラクターでした。刀剣乱舞というとやはり元になっている刀剣があるので、会いに行けたりしてしまうわけですが、中には消失してしまったりしてそれができない・難しい刀剣も多いのです。一期一振もその、会うのが難しい、という部類に入る太刀でした。

 一期一振を簡単に説明しますと、豊臣秀吉の刀でした。そして色々あって天皇御物となって宮内庁に管理されています。天皇御物は一般に公開されることがほぼありません。その中でも一期一振は歴史的価値さえあれど美術的価値の低い刀に属するため、展示、となると順位が低くなるそうです。なので本物に会えるのは、数年後かもしれないし、おばあちゃんになってからかもしれないし、死ぬまで会えないかもしれない。というのが私の推しです。
 そんな推しの写し(限りなく本物に近く作られたもの)が作られることになり、縁あって藤森神社に奉納されたのが今年のこと。一生会えないと思っていた推しの姿がナマで見られる! 行くしかない! となったのが奉納された直後のことでした。
 
 結論から言うと、私は宝物殿で泣きました。
 会えた嬉しさと、刀の美しさと、力強さと、色々な感情が生まれて、ちょうど空いていて私たちの他にお一人しかいなかった宝物殿で、私は一期一振の前で泣いてしまいました。泣くかも、とは言っていたけれど本当に刀を見て泣く日が来るとは思わなくて、自分でも驚きました。でも涙はぽろぽろ零れてきて、どうしようもなかったです。
 泣き止んでから、もう他に誰もいませんでしたので、満足するまで見させていただいて、あんなに長時間1つのものを見つめ続けたことがあっただろうか、と言うくらい。
 最後に刀剣保持のための寄付をして、その場を去ろうとして・・・・・・「やっぱりもう一回見てくる!」と言っておかわりしてから帰ってきました。
 一期一振という刀がどういう歴史を持ってここに写しが存在することに至ったのか、考えれば考えるほど感動が増す旅でした。
 
 友達、急に泣き出した私に長時間付き合ってくれてありがとう。2人には本当に感謝です。
 推しに会いに行く、それは私にとってとても難しいことだけれど、写しになら会えるようになったので、またお金を貯めて会いに行こうと決意しました。
 そしていつか、私の足腰が立つうちに本物に会えたら・・・・・・
 そんな夢を見ながら、今日も明日も無理せず働こうと思ったのでした。
 
 推しに会えるって、すごい。

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