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追悼

最近、知人の猫の訃報が多い。

寒い時期、暑い時期、季節の変わり目…体調を崩しやすいのは、動物も同じなのだろう。その時期は、訃報をよく聞くのだ。

勿論他人事ではなく、自分の家族にも、よく注意していないとなのだが、それにしても、長く知っている、友達のような猫の訃報には、胸が詰まる。家族の無念や悲しみが、自分の物として降りかかってくる。

近年、2月22日を「猫の日」と称して、猫関係のイベントなどを行い、SNSも猫の画像で賑わうが、そんな猫のお祭りの日に、友人の飼い猫が亡くなった。突然の心臓麻痺のような状態だったという。まだ10歳過ぎ、決して大往生という年齢ではない。

突然の悲しみ──家族には何の準備もなく、信じられない思いばかりだろう。



生きものと暮らしていれば、人間よりも短い時間で別れが来るのは、避けられない。

悲しみばかりとも言える、生きものとの暮らしなのだが、それでも彼らが命ある間は、その姿に喜び、彼らが安らかに過ごせる事に安堵し感謝し、己が生きる原動力となるのである。

それ故、悲しい別れを知っていながら、生きものとの暮らしを選択する。因果な事だ。

近年、猫たちを巡る社会情勢はかなり変化して、虐待の対象になったり、多頭飼育崩壊やペット販売など、命を命と思わない出来事も多く起きているのが現状だ。

人間は、この地球上でもっとも高等な生物だと言うなら、もっと賢く優しく寛容に、他の生き物たちとつき合えないものか。

まあ、同じ種族である人間同士でも、殺伐としているのだから、無理な話なのだろう。この件に関しては、絶望感しかない。諦めてはいけないが、かなり高いハードルだ。

それでも小さな命は、幸せを、喜びをくれる。

彼らの存在こそが、無償な愛だと思う。

旅立って行った友人の猫に、感謝を。そして、空の上に彼らの楽園があるのなら、我が家の娘と仲良くしてやってほしい。



黙祷







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