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言葉の選択で、為人が分かるよね

嫌なモノは嫌で、受け入れられないモノは絶対無理。

最近あったこと……外国の映像作品の、あるキャラクターを「バカ」と評しているツイートを見た。そのキャラクターを取り巻く仲間たちも「バカ」なんだそうだ。

確かに、そのキャラクターはちょっとおマヌケで、全体的にそのおマヌケさを受け入れる世界観なんだけど、それは「バカ」という言葉の持つイメージとは、ちょっと違う。

勿論、作品世界の解釈は自由で、どう評そうと個人の自由ではあるのだが、私はそこに侮蔑を感じた。ザンネンナンダヨネー、みたいな。

そういう言葉の選択をする、その人のセンスが無理だから、まあ、もう離れていいか。私は、見切りをつけるのが早いのである。合わない人と付き合う時間の余裕はない年頃なので。


たまたま今日、関わりのある特別支援学校の生徒さんの、文化祭的なイベントに行ってきたのであるが、これがまた、前述のカンジの侮蔑感、憐憫に満ちてる雰囲気なのだ。

やっつけ仕事で、どうしたら生徒たちが喜ぶかなんて、考えてもいないのが見てとれる。

特別支援学校は、可哀想な子が集まる、可哀想な場所ではないはず。

でも、取り巻く大人たちが「自分たちも可哀想」とか、「可哀想な子供に関わる私、スゴイ」とか、変な空気になっちゃってるのだ。実際の現場でも、それを感じる時がある。

じゃあ、どう接していくのが正しいのか? 

それは分からないけれど…少なくとも私たちは偉いわけではないし、高い場所からでも低い場所からでもない所で、冷静に慎重に、一緒に生きて行きたい。

それは、先に書いた「バカ」なキャラクターとも同様で、それなら私も「バカ」仲間として生きて行きたいと思うのだ。


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