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学ぶことの難しさ

 ねこっちです。物理学を学んでいると、「これでいいのか」という悩みが付きまとうことがあります。


実体のない学び

 物理学では、物質や現象を表すために数学を用います。私も、子どものころは物理学者と言えば難解な数式で世の中の現象を解き明かす天才たちだと思っていました。

 ところが実際に物理学を学んでみると、確かに数学は物理学の中の言葉として使われているのですが、その学び方に違和感を覚えることがあります。

 量子力学や熱力学、解析力学や電磁気学などの様々な学問を授業で学んできた私ですが、実際に自然現象を実体として実感しながらその数式を書いたことがないのです。

 このあたりのことは何と表現してよいか分からないのですが、言ってみれば目を瞑って数式だけを追ってきたような感じです。

 そのため、反発係数の定義を書けても実際に跳ねるスーパーボールで何が起きているのかは分からないし、沸騰する水で何がどうなっているのかもわからないです。

 ただ盲目に、「水の沸点は摂氏100度」と憶えただけで、その中で何が起きているのか分からないため、それ以上のアイデアは皆無です。

 数式や用語だけが先行した、現象を見ていない学びがどんどん重なっていくのが不安になる時があります。私は常に「これでいいのか」と悩んでいますが、それを自分ではどうすることもできないままです。

 ただ、私には自然現象がどうなっているのかを知りたいという興味と、数学で自然を記述できた時の美しさに感動する感性は備わっています。そのため私は恐らく物理好きであり、物理学を学ぶべくして学んでいるのだとは思うのですが、いつも数式や用語だけが先行する「盲目な学び」に太刀打ちできないのです。

 この空虚感をどうしたものかと、いつも悩んでいます。

 今日は夕焼けがきれいでした。夕焼けがなぜきれいなのか、なぜこのような色なのか、という純粋な好奇心が、私の求めている本来の学びに近いのでしょう。しかし、私の学んできた物理学は今のところ、そうした好奇心とつながってこず、何かが違う、という感覚がぬぐえないのです。

 どんどん扱う理論は高度になっていきますが、実体を扱って、現象を認識ではなく実感している感じがないのです。

恐らく私は誤解していた

 今まで、物理学は数学をもとに考えていくのだと思っており、高校のころから大学数学や物理学に手を出して私は独学していました。

 特に高校のころは、「自分は高校生にして大学内容を理解している」ということがアイデンティティになっていました。

 しかし、今思えば私の学びを妨げていたのは、そのころの自己流の独学と下手に持ってしまったアイデンティティだったのだと思います。私は、高校のころの下手な独学で、物理学は数式ありきだと誤解していたようです。

 恐らく、物理学者たちは最初から数式を知っていたのではなく、はじめは「なぜ夕焼けがきれいなのか」「なぜ水は温度で状態が変わるのか」と言った素朴な疑問だったのだと思います。それを理論的に扱っていくときに、数学が必要になったのだと思います。

 最初から数学を振りかざして現象を解こうとしていた今までの私の姿勢は、物理学に対する大きな誤解だったのだと思います。

最後に・どう学ぶか

 私はどう学んでいくのが良いでしょうか。その疑問は未だ晴れたわけではありませんが、まずは先人たちがどうやってこの世界を理解しようとしたのか、その思考過程や動機などに着目して学んでみるのもよいかもしれません。

 具体的には何をすればよいのか分かりませんが、まずは興味のある事柄について、啓発書や子ども向けの解説などを読んでその心を理解するところから始めてみようと思います。

 今日も備忘録として書いてみました。あまりうまくまとまっていないかもしれませんが、読んでくださった方、感謝いたします。

 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

   ねこっち

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