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自分のやってきたことへの価値は、他人ではなく、自分自身が決めること。

はじめに

私がNoteに書き残す内容の大半は自分が実践して確信した内容のみをなるべく厳選している。少なくとも、自分では確かめもしていないコピペを書いたりしない。一方で書いている内容は絶対ではないし、必ずしも自分自身も完璧に達成できてない事も多い。

挑戦し続けるテーマだからこそ関心や意識が向き、執筆に至る。
全く困っていない克服しきったテーマは意識から外れるので記録しない。つまり内省(自分の考えや言動について省みること)である。


自分のやってきたことへの価値は、他人ではなく、自分自身が決めること。

もし誰かが、自分が奮闘している新しい挑戦している何かに対して、リスクが大きいとか、どうせ失敗するとか、そろそろ諦めろだとか、ネガティブな批評を始めたなら、そんな評価は不要だと、はっきり否定する必要がある。

もちろん、面と向かって反論する必要はない。心の中でノーと言って、笑ってその場を去ればいい。

他人の評価(例えばSNSでのイイネや閲覧数)を基準に生きないこと。
つまり、「こう言えばライクがもらえるかな」を目的に行動しない。

いちいち自分の決めた道を人前で承認もらいながら決定するなんてことがないようにする必要がある。

なぜなら、理解されやすい=自分にとっての最善の道とは限らないからだ。特に新しい挑戦は時に、結果が出るまでは理解を得られない困難な道を進むことも多い。そこで、自分を貫く強さが必要だ。

新しいことに挑戦する時に必要なのは「成功した後のスケジュール」と「成功しなかった時のプランB」

重要なのは、次の段階を意識し続けることだ。

大きな成功をする人は、成功する前から、成功した後のプランが明確だし、立ち直りが早い人は、プランBやプランCを成功がほぼ確実でもしっかり立てている。

成功した後、立ち往生してチャンスを無駄にする人は非常に多い。失敗の半分は「成功するとは思わなかった」という情けない言い訳である。

成功・失敗いずれが確定する前から真剣に、どちらに分岐したとしても即座に1秒で次の行動を起こせる準備を整える必要がある

飛行機で例えると:
成功したことがない人が言う、航空機の安全論は「事故が起きたらおしまいだ、だから空を飛ぶな」だ。

成功する人が考える航空機の安全論は「事故が起きる前から事故に備える」である。

例えば、2024年の新年早々に航空機の衝突事故で火災が起きた時、緊急時の備えが効果を発揮し、奇跡的に旅客機からは全員が脱出できた。衝突事故そのものは失敗だったが、脱出という次のフェーズを成功させた。

このように、次の段階を考えて備えておくことが重要だ。
フェーズが次の段階へ進行したとき、無策で「えっと、これからどうしたらいいのか」なんて言っていたら成功も失敗になるし、失敗はより大惨事へ発展する。難しく考える必要はない。飛行機で考えればいい。リスクに備えるのと空を飛ばないことは別の道なのだ。

成功や失敗する前から次を考えておくこと、意思決定の速さは、失敗でさえも味方にしてしまう唯一の方法だ。予測しえるネガティブな状況に、平時からポジティブに向き合っておくことは。ピンチな状況でも小さなチャンスを最大限に生かす最強の方法だ。

成功イメージを考えてくれる他人はいない。新しいことは理解されない。

何か新しいことをやろうと決心した時、決心したときに心の中で観た「成功イメージ」なんて、誰も想像しないし理解もしない。

つまり、周りは例え家族や友人であれ「あなたの未来を知らない人」であることを忘れてはいけない。

どんなに親しい人であれ、親切心からかもしれないが、心配してリスクを言い始めたら、それは、あまり重要な話ではない=分かり切ったことしか言っていないことに気付けるようになろう。真剣に聞いても、分かり切ったことしか言わない。なぜなら、リスクしか考えていないからだ。

例えばハリウッドでCGを駆使してヒット作を作った映画制作チームの多くは、まだ技術が模索していた頃は「今まで失敗してるからやめた方がいい」と一度は言われているという。成功が確立する前に道を切り開く人は、どんな分野でも、「リスク」ばかり言われている事実を思い出そう。そんなリスクに毎度おびえていたら、今の人類の発展などなかったことを思い出そう。

新しいことに挑戦しないことだって十分なリスク。何もしないことが「安全」ではない。

挑戦することへのリスクを言うのは無意味である。人は必ず死ぬ。ほぼ100%病気になるし、考えうる最高のケアを受けても何か問題が起きる。では、権力や経済力があれば「安全」なのだろうか?

超大国の大統領でさえ、家族が交通事故で亡くなったり、金銭トラブルに巻き込まれていることを思い出そう。世界最高クラスの権力者でさえ、人生がままならないのだ。何もしなくたって問題が起きるのが現実だ。

新しいことで起きうるリスクは、何もしなくても起きうるリスクと、大きな観点で見れば大差ないのだ。社会で生きていく事はそれだけで何もしなくても、トラブルへのリスクがつきまとう。

挑戦したことで問題が起きると思い込む思考は、前提が間違っている。何もしないならノーリスクというのは現状維持バイアスに囚われているだけだ。実際にはどんな選択でも想定外のトラブルは起きるし、挑戦すれば選択肢は増える。

棺桶に片足突っ込んで初めて「もっとやりたいことがあった」と言うぐらいなら、色々やり切ってしまった方が絶対にいい。

挑戦には失敗がつきまとう。だが失敗したとしても「永遠の敗北」ではない。「物事の区切り」は新しい挑戦の始まりでもあるし、失敗は後悔ではなく反省すればいい。そこから学べることはきっとあるし、そうしなければ見えない道もある。

常に未来を考えよう

未来を考えるとは、自分にとって都合のいいことが必ず起きると信じ込むことではない。だからといって絶望しきったり自暴自棄になったり、挑戦する前から敗北すると決めつけることでもない。

起こりえることが起きた時に、粛々と成すべきことを実行できるよう備えること、これが未来を考えることだ。

何であれ、今の目の前でおきたでき事が「過程、それも一瞬のエピソード」に過ぎないと考えて、行動し続けることが重要だ。

例えば何かのコンテストに参加するのであれば、それをゴールとする設定は間違いだ。落選しようがどうなろうが、最初からコンテストの後を考えるべきだし、もっと言えばエントリーした時点で、別のコンテストや来年のエントリーも考える必要がある。

まとめ

誰だって休むときは必要だ。鳥だって雨の日は木陰で休む。

それでも、ずっと望まない結果を嘆いていたって物事は良くならない。

何も行動していない人に、自分の都合のいいように物事がやってくることはない。挑戦しチャンスを引き寄せて掴み取らないと、得られるはずの可能性すら見逃してしまうことになる。

少なくとも、どんな失敗をしたとしても、反省はしても後悔するぐらいなら挑戦し続ける方が健全なはずだ。誰がどんな批評や評価をしようと、気にする必要もない。

自分のやってきたことへの価値は、他人が決めることではない。自分自身が決めることなのだから。

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