見出し画像

学習における Small Step

はじめに

私がNoteに書き残す内容の大半は自分が実践して確信した内容のみをなるべく厳選している。少なくとも、自分では確かめもしていないコピペを書いたりしない。一方で書いている内容は絶対ではないし、必ずしも自分自身も完璧に達成できてない事も多い。

挑戦し続けるテーマだからこそ関心や意識が向き、執筆に至る。
全く困っていない克服しきったテーマは意識から外れるので記録しない。つまり内省(自分の考えや言動について省みること)である。

無制限にToDoリストを書き連ねることは「無計画で行き当たりばったり」と大差ない

最近タスク整理について勉強しなおしていて、無暗にToDoの書き連ねる行為を止めることを推奨する文献を多く目にする機会が増えた。

特に新しい話ではなく、昔からタスク管理で「できもしないことを目標にしない」はよく言われることだが、なぜこうも言われ続けるのか、のみならず声を大にして注意喚起される文献が増えているのか、ふと考えた。

Small Step という考え方

  1. 具体的で実現可能な目標を設定する

  2. 大きな目標を小さな段階に具体的に分割する

  3. 小さな目標に向かってコンスタントに行動を続ける

  4. 進行状況を定期的に確認する

  5. うまくいっている点・改善すべき点を見つける

  6. 修正を行い、再度行動を続ける

この考えと、「とにかくToDo書き溜める」は真逆の考えだ。そして現実的なのはToDoマニアになることではなく、「何をしないか決める勇気」だ。


今日が最後の1日だとして絶対にそれでもやることだろうか?

朝起きて「ああ、もう、やりたくない」が3日続くなら、そのToDoは辞めるべきことだ。

しかし、もう一歩踏み込んで、今日1日で確実に終わるイメージがないことを漠然と手をつけようとしているのなら、それもまた辞めるべき習慣だと言える。

いつ終わるかも分からないToDoは既にToDoではなく、形式的に「やってるフリ」にして自分を誤魔化しているに等しい。自分自身が今日終わるかどうか、そもそも、どういうプロセス評価をしたらいいのかも理解できていないのはすでにタスクではない。義務感とか体裁だとか、別の何かだ。

ノーと言える勇気

自分は思ったより何もできないのだと認めるのは、時につらいものがある。昔は体力や情熱だけで何となくできていたようなことが、息切れして難しくなってくると、特にそうだ。しかし、誰でもいつまでも同じペースでずっと最高のパフォーマンスを出し続けることはできない。

年齢だけでなく飽きてしまうだとか目標が別のところに向いててモチベーションが上がらないなんてこともある。あるいは小さなコミュニティではトップだったのに、より大きなコミュニティでは、自分はせいぜい普通のスペックだったと思い知って自信喪失したのかもしれない。

そのような心境のとき、「やってるのか・やってないのか?、できるのか・できないのか?、どうなってるのか自分でも説明できない」という事態だけは避けるべきだ。「できません」であるなら、次のステップへ進める。そのタスクは失敗になるかもしれないが、新しいチャンスが巡ってくる。

しかし、できているかできていないかも分からないのは、パソコンで言うとフリーズ(応答しなくなった状態)に等しい。こいつどうなってんだ、そもそも自分が今何をしているのか説明もできないの?となる。

”1日で絶対にできることはこれだけしかありません!”と自分の能力を正しく評価することは、敗北ではない。終わりでもない。むしろ、始まりである。

なぜなら、最低ラインを定義できたのであれば、そこからどう成長するかは伸びしろしかないからだ。少なくとも見栄や意味不明な大雑把な見積もりで、できもしないことを、今日できますと言い続けるより遥かに未来の可能性がある。

目標を小さく現実的に分解しよう

今は検索やAIでいきなり最上級の「答え」がポーンと画面の向こうから返ってくる時代である。しかし、AIが学習した内容や検索上位に出てくる達成者の「勝者の弁」というのは、70億人以上いる人間の中から選ばれたベストアンサーの抽出結果と言うのを忘れてはいけない。

残念ながら、多くの人は凡庸な人生を歩む。特別な能力や才能はないし、苦手や欠点の方が多いし、ぶっちゃけそんなに優秀でもない。

もし自分もそうした「無名の人間」の一人であるなら、目標は現実的で、1日で必ず達成可能な規模にまで分解しよう。

例えば、5千万のマンションを買いたいという最終目標があるなら、1日に何円貯金をするか、1日あたりに換算して何パーセント収入をあげるか、という具体的な数字が出せなければいけない。

お金の話はちょっと抵抗あって耳に入らないなら、健康管理で考えよう。1日1万歩は歩くべきだが未達成の現代人は多いらしい。しかし、いきなり1時間かけて1万歩を歩く目標や万歩計を買いに行ったところで1万歩の習慣化は達成できやしない。もっと簡単な方法がある。

人間の1歩は約何センチか知っておけばいい。そして近所のコンビニや職場や学校まで何メートルか知れば、だいたいどれぐらい歩けば1万歩達成できるか分かってくる。いきなり1万歩を歩こうという目標は大き過ぎるのだ。その前に1歩の歩幅が何センチか?という最小単位を知り、10分は何歩になるかを計算できることが必要なのだ。

曖昧でぼんやりしたタスクは捨てよう。

転職、就職、あるいは趣味で何か勉強したり、キャリアアップのために目標を掲げるとしても、1日当たり~より厳しく言うと10分単位で何ができるかまでの解像度~の達成可能なステップが導き出せないなら、その目標やタスクは一生未達成あるいは不完全達成のまま終わってしまうだろう。

自分で立てた目標を達成できないなら、まずは修正しよう。分単位に分解できないなら、理解度が足りていない。もっと解像度を上げていこう。そして、現実的なスケールに再計算しよう。

今まで漠然とToDoをためこんでいるのなら、具体的なタスクに落とし込むと意外に多くの工程が発生することに驚くかもしれない。でも、それができたなら50%は達成したともいえる。物事で一番大変なのは、とりかかるところだからだ。

夜明け前の夜は最も暗い。しかし必ず日は昇る。朝が来ない夜はないのだ。持続可能なタスク単位で続けていくこと、それは、未達成タスクを眺めて敗北し続けるよりも遥かに素晴らしいことだ。

うずくまって同じ場所に座り込んでいたって新しい道は見えない。
前に進めば、ただそうするだけで、新たに見えてくる別の道もあるのだから。


この記事が参加している募集

仕事について話そう

いただいたサポートは活動費に使わせていただきます