20191107 新宿で混乱、鏡面仕上げ

低空飛行が続いている。LINEの返信もできなかったり。日中ひとりで在宅していると余計にしんどいので、せめて散歩にと繰り出すが、街に出て人混みを見るとたちまち急降下してしまう。若いころは人混みをかきわけてぐいぐい歩くのが好きだった。昨日は新宿に着いて、南口でうずくまり、どうにかサザンテラスのほうまで歩いてそのへんの階段に外国人と混じって座った。わたしだけ顔がイッちゃっており、けっこうジロジロ見られてしまった。仕方ない。もうそういうことに慣れてきてしまった。

わたしにはADHDの傾向があると思う。このようなチェックをしてみたら、誰だってもしかしたらと思うところはあるものだろうけど、自分の幼少時代から現在まで振り返り、やはりそうだったのではと思わざるを得ない。小学校の時、親にプリントを渡せたことがほぼないし、宿題もやっていかなかったし、整理整頓も壊滅的、何かを約束どおりに実行することもできなかった。しかも親がネグレクトなもんだから、気づくことができないしむしろ悪い方向に伸びていってしまった(さらに、親も祖母も何らかの障害があったと思っている)。残念なことに、これはある種のアウトローさなんだと、かっこいいものだと思っていた時すらある。しかしこういう性質は、社会に出てから大きな挫折となり自分自身を苦しめた。このままではいけない。努力によってこのような傾向は大きく改善することができたし、今では神経質と言われるくらいだし、自分でもそう思う。自己判断だけど、わたしみたいに発達障害のグレーゾーンにいる人は努力である程度どうにかなるのかなと思う。

今となれば、毒母そのものに違和感をおぼえたことと、自分のADHDっぽさを自覚したことは同時だったような気がするし、セットは必然だったのだと思う。自分のおかしさはごく一般的と育成した環境と親。そして親そのものを振り返り、親自体もおかしいと遂にパズルのピースが一致してしまったのだ。

毒母は、自分の結婚を悔いて、毒父を恨んでいた。自分は何も悪くなくて、いつも全力でやれるだけのことをやってきたのにと。ただ、娘を生めたことだけは良いことだった。娘は母を精神的にも、金銭的にも幸せにしてくれる、しなければならないとわたしを精神的に縛り付け続けた。

いつも誰かを毒母は恨んでいた。父は固定で、それ以外にその時の職場や人間関係を嘆き、恨み言を言っていた。嫌だと思うことがあるのは人間だから当然だけど、自分自身にだめだったところはなかったの?そして改善する努力をしないと同じ事繰り返さない?とわたしは毒母にいつも言った。毒母はそういう指摘に聞く耳を持たないので、ただ同意してほしいだけなのに。話を聞いてほしいだけなのに。そう言いヒステリーになり、わたしはうんざりしてふて寝したり、明け方まで酒を飲んだり、ジュエリー買ったり、現実逃避を繰り返した。

わたしは、4月に会社に行けなくなった。異動先のメンバーの性格や言動に、わたしはすっかりやられてしまった。同時に、母や幼児期のつらいことを思い出させた。なんだか小さいころと同じみたいだと思った。どうして自分は母みたいな人間にいつも抵抗できないのだろう。そうして蓋をしていた自分の闇を開けてしまったのだ。

しばらくして心療内科に行った。診断は適応障害。会社のことが落ち着けば治るようなものだと。ゆっくり休めと言い聞かせ、一進一退で半年が過ぎた。

その半年の間に、母の生活保護問題が起きて、実質的にわたしは母を絶縁した。これがわたしの本当の意味での覚醒だった。これまで、母を嫌がりながらもそれ以上に哀れに、守らなければならない存在だと思っていたからだ。覚醒をもって、わたしは母と無関係の自分だけの人生を歩んで良いのだと気づくことができた。

さて半年経ち。母との絶縁状態からも数か月経過しても、意外なことに何もアクションを起こされていない。わたしにとっての「適応障害」に値することはもう何もないのではないかと思った。病院ではじっくり話をすることも叶わず、もやもやを抱え、ただ自堕落な、生きる価値のない人間だという思いが強くなっていった。生きているだけで金がかかる。家事すらうまくできず、仕事で疲れて帰宅するパートナーを、温かい食事で迎えることもできない日も多くなった。生産性のない自分は消えたほうがいいということしか考えられなくなっていった。

こんなしんどいのに、外出時には身だしなみを整えないとでかけられない。そんな自分もいやだ。パートナー以外の他人に会えば、笑ってなんとかおしゃべりすることもできるから、元気になったんだなと思われるだろう。退社前、人事面談時にもよく言われた。きちんとしているし、お元気そうですねと。全然元気なんかじゃない。帰ったら沈んで泣きわめいて乱れて、大変なのはパートナーだ。とりあえずしばらく、友達との交流もやめた。思った以上にいろんなことがきっかけになって、傷ついてしまう。

もっとゆっくり話をきいてくれる医師に出会いたい。重い病名をつけられたいわけじゃないし、そこまでじゃないとも思うのだけど、これでは闇から抜ける手助けにならないのだ。

時に、そう思うことは、母がわたしに愚痴っていたことと同義なんだろうか?と混乱することがある。今あたまがしっかりしているので書いておきたいのだが、それは絶対違う。わたしは良くなりたいと足掻いているし、思考している。苦しんでいるって意味では、同じなのかもしれないけども。

どこか良い心療内科ないだろうか。

たのしかったことがひとつあった。

先月靴磨きセットを買い、youtubeなど見つつ独学で磨いてみたのだが、ワックスがけなるものがうまくできなかった。ワックスをつけることで、ツヤはおろかマットになってしまったのだ。意味不明・・。新宿ハンズへシューキーパーを買いに行ったら靴リペアブースが新設されていて、お兄さんにワックスの件を相談してみたら、履いている靴でお手本を見せてくれると言う(無料で)。嬉々として差し出し、そもそもの磨き方、鏡面仕上げのやり方、いろんなことを教えてもらった。すごくわくわくした。革靴履いてて良かった。

▼つま先を鏡面仕上げにしてもらった。フチのブラウンも補色してくれた

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こないだ自分で磨いたときと仕上がりが全然違う。味が出てきて前よりももっと好きだ。ジュエリー然り、お手入れしながら長く使って、自分だけのものにするのがつくづく好きだ。好きだ!と思う瞬間は、闇から抜けられるのもいいね・・・

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