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退屈して借金して4年後に自己破産した話#1

過去のことを文章にする時、当時の自分の感情を表現出来ているかどうか怪しい。当時の俺はこう思っていた、こう感じていたというのは今の自分がそう感じていたであろうという推測でしかない。かといって今の感情を今、文章にする時であったとしてもタイピングしても、フリック入力しても鉛筆で書いたとして、その感情は本当に自分の気持ちなのか分からない。

それくらい感情なんてものはあやふやで、気持ちを文字で表現するなんて僕にはできないものだ、自分の表現する感情に全くの自信がない。

僕は人生に退屈していた。この文章は人生に退屈した結果借金をしてその4年後に自己破産した僕が当時を振り返りをするもの。過去に起きた、起こした出来事に対して自分の思考と感情の流れを振り返り記録するもの。データに残し発信することで未来の自分が見直した時に懐かしんで退屈を紛らわせるためのもの。

 退屈は無くならない。忙しいのも好きじゃない。ただ生きているだけで良い。なにをしてもいいし、何をしなくても良い。がしかし。

2019年僕は新卒から務めていた仏壇屋を辞めた。理由はいろいろあったはずだ。

就職活動をするか、ふらふら生きていくかどうかを決めるときに僕は結婚するなら定職についていた方が何となくいいだろうという理由で就職活動を始めた。勉強もろくにせずのらりくらり遊んですごしていたので、難しそうな仕事は選ばず接客や販売を選んだ。今ではどんな仕事も難しいことはたくさんあると考えているが当時は人と仲良く話しをするだけだろうと軽く考えていた。業種は冠婚葬祭業がいいなと何となく思っていた。人生の中でなかなかない機会で、大事なことだと考えていた。自分が大事だと思っていることを他人にしてあげることなのだから怠け者の自分経ちでもしっかりできるだろうと考えたからだ。そんなこんなで就職が決まり働き始めた。

よくある新社会人にあるような壁や悩み的なものを経験し4年が経ち、ふとこのまま僕は幸せに暮らしていくのだと思った。仕事もまあのらりくらりしながらぼちぼちやって、どこかで結婚して子供ができて授業参観や運動会とか仕事で行けなかったりしたり、病気になったり、けがをしたり、奥さんとうまくいかなくなったり、仲直りしたり、でも傷は消えるわけではなくて傷跡として残るものだし、でもそれが関係性が深まるきっかけだったり、子供と仲良くなれる時間があっても成長につれてすれ違ったり、長い時間をかけて何となく関係性が深まっていきながら一緒の時間を過ごしていって離れていって。もしかしたらもっと途中で死んでしまうかもしれないが、それはまあ仕方のないことだしなあ。などと考えた結果、この先の人生が退屈で仕方がなくなった。いろんな悩みや葛藤がありながらも解決したり解決しなかったりしてそれでも生活は続いていく毎日がこれから何十年も続いてしまうかもしれない、そうじゃない人生を送れるのだろうか?何年もこのまま過ぎて、家族ができたらこの退屈さに飽きた時、僕は全てを捨てさって裏切ってどこか遠くへ行くという選択ができるだろうか?いや、絶対にできない。したくない。僕は両親や姉との関係は血縁があるし家族だが、家族ではないと思っている。(僕の数ある課題の一つだがこの話は別のお話なので割愛する)だから自分で見つけて一緒になって家族になる人のことをちゃんと大切にしたいと思っていた。僕はその退屈さから逃げず抱えて考えないようにして静かに静かに死んでいくのだろうと思った。それはあまりにつらかった。まだ起きていない出来事に対して悲観的になって、嘆いている自分も嫌だったが、このままだときっとそうなるという予感がしたことも嫌だった。この時の僕は別に泣いているわけでもないし、枕に向かって叫んでいるわけでもなければすべてを放り出しているわけでもなくて、ちゃんと仕事に行って笑って働いて遊んで楽しんで生きていた。その中で悲しんでいたんだと思う。このままでは僕の想像通りの人生になってしまう。いままでもそうだったからだ。その理由は無難な道を選んでいたからではないか?と考えた。自分の考えではなく社会的にはこうした方がよいだろうという軸で自分にできそうなことをやってきた。だから自分の軸が欲しくなった。社会的にこうだからではなく、自分がこう思うからこうするという行動をしたくなった。

今振り返ると僕の想像力が乏しかっただけだと思う。想定した人生はありきたりで曖昧で抽象的なものなのにそうなるに違いない、いままでもそうだったなんて理由をつけて正当化して、つまらない、でもそれによって今がありこの文章を書いている。書いている今も退屈しているのだが。

話をもとに戻す。

退屈しない人生にしたかった。退屈しないとは?面白いということだ。僕にとって面白いとはなんだ?想定外なことが起きることだ。想定外とはなんだ?自分が予想したことが起きないことだ。自分の予想もしていなかったことが起きるとき僕は驚き喜んだり笑ったり悲しんだり怒ったり戸惑い焦り不安になる。つまり感情が動くことが僕にとって退屈しないことなのではないか?と考えた。感情をうごかすために想定外を起こすにはどうしたらよいかと考えた。僕は何かをするとき想定する癖があるのかもしれないと考えた。不安だったのだと思う。傷つきたくないし傷つけたくなかったんだと思う。だから傷つくことも、傷つけることもあらかじめ想像して心を慣らしていただと思った。その癖を壊すことが必要だと考えた。つまり自分の考えの外のことをやるということが必要で、普段やっちゃいけないことをやるということが僕の癖を壊すことになり想定外を起こし、退屈しない人生になるのではないか?と考えた。やってはいけないことなんてこの世に腐るほどあるわけだが、やってはいけない理由があるからやってはいけないわけだけど、その中には自分の中でやってはいけないことだけど、社会的にはまあ別にいいよねというものがあることに気づいた。

こうして僕は借金をすることにした。お金がないのにお金を借りてそのお金を返すことなんてできるわけがない。お金が返せないのは悪いことだ。だからお金は借りない。今あるお金の中でやりくりする。その中でできることをする。できないのであれば貯める。それが僕の常識だった。それをぶっ壊すことにしたのだ。今までのお金の価値観を壊し、生きてみることにした。

つづく



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