アルフォートの箱には100万円のお札がぴったり入る

「◯◯さん、アルフォートの箱が、ちょうど100万円のお札がぴったり、入るらしいですよ」

職場の女の子が不意に上司にそう言った。

「そうなの!?でもなあ、箱に入れるためにわざわざ100万下ろすってなるとなあ」

「紗々の箱も100万円入るんですって!」

「そうなんだ」

わたしはこの会話で、「あ、みんな最低100万円は貯金があるんや」と思って切ない気持ちになった。わたしの貯金は、いわずもがな、0円である。貯金できるほど稼げてもいないし、体調不良により満足に働けない時期もあった。これは、言い訳なんだろうけれど。自分と同じくらいの年齢の人たちは、最低、3桁の貯金はある、というのはなんとなく知った。その折々に、自分の収入の少なさ、生活水準の低さに打ちのめされた。収入をあげるべくなにか行動をするごとに体調に不調がでて、ストップしてしまう。その度に、自分の心身の欠陥に発狂そうになる。普通に働けたら、がんばれたら、こんなことはなかったのではないか、と。

たまたま、Twitterで結婚報告のツイートを見かけた。大学時代のリアルな知り合いである。映像関係の仕事をしつつも自分の名前でアーティスト活動をしていた。「久しぶり。さぐやで。おめでとうやで」と、一報送った。その結婚報告のツイートには200近くのいいねが付いていて、「ああ、それくらい今までの時間で下地をつくったんだろうな」と思った。友人として誇らしく思った。とても羨ましかった。けれども、すぐに自分と比べてしまう。
自分はそんな人間関係の下地もつくれず、仕事の下地もつくれないまま歳をとっていることになんだか改めて失望して、動けなくなってしまった。

今更そんなことを考えても仕方がない。今までのわたしも、できることをした。それがたまたま、うまく積み重なることができなかっただけだと思うようにするも、難しい。自分の人格が悪かったのか、たまたま会う人との相性が悪かったのか、もっと積極的に行動すべきだったのか、後悔というのは荒波みたいに一気に押し寄せる。けれども、それにのまれるわけにはいかない。今は今しかないのだから。今からできることをやるしかないのだから。

わかっている、わかっているのに、できない。この苦しさをピッタリのサイズで表現しているものが見つからない。自分は、やっぱりだめなのかもしれない。でも、だめなのかもしれないとか言っていたら見ている人も不快に思うだろう。元気がなくなってしまうだろう。そうであれば、自分にできることは、自分に書けることはなんなのか。考え続けるしかないんだろう。

夢の中でも「わたしになにが書けるか、アイデアをだせるか」それが生死の境目となるシチュエーションが多い。大学の卒業制作が終わらないとか、学園祭の出し物が上手くいかないとか、映画の撮影をするもアイデアが何も浮かばない、とか。なにもできないわたしに、周りは呆れたような顔で遠巻きにしていく。

新しいアイデアを出したい、面白いことを書きたい、画期的な企画を考えた、自分のシナリオで観た人に疑問を持って欲しい。欲望はある。けれど、うまく動けない、うまくコミュニティに入れない、コミュニティを作る力もない。

もうすぐ春か。
冬から春になる時間が、なんだか切なくて辛いけど好きだ。
遠距離だった恋人に、やっと会えるみたいな嬉しさと、またばいばいして会えない時間を考える切なさを感じる。

どうにか、春が来て、わたしの頭をぶち抜いてほしい。
どうにか、やりたいことを自由にやれる勇気が欲しい。
どうにか、今から抜け出したい。

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