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曲がりくねった道の先に待っているいくつもの坂

駅から徒歩10分くらいのところに住んでいる。
買い物はもっぱら駅前で、そこから家に近づくように点々と買い物をして行く。

重い。重すぎる。野菜が安くなっていたので野菜をたんまり、肉3種類くらい、ビール、牛乳、豆乳、きのこ、卵など諸々・・・・自転車をもつていないので黙々と歩くしかない。

いつも最後に立ち寄るドラッグストアは家まであと3分くらいなのだが、これが永遠にたどり着かない天竺のように感じる。筋斗雲は己の2本の脚のみ。こういう、重い荷物を持ちながら家に向かっていると小・中学生の頃を思い出す。

実家は小・中学校から一番遠いところにあった。
どれくらい遠いかというと、何かの授業で災害があった時、自分の家からどうやって学校に避難するか地図で確認する、ということがあった。地図が読めないのでどこだかわからないので友達に教えてもらうも、一向に自分の家が見つからない。先生に聞くとギリギリ地図から出たところだった。これがなんでだかずっと忘れられない。関東の片田舎の学校で配布した地図にも載っていない実家。一体なんでこんなところに住んでいるんだろうとずっと思っていた。

問題は、小学生の時の夏休み前の終業式だった。
お道具箱、置き勉してた教科書、ランドセル、体操着、とどめは朝顔の鉢。こんなにも朝顔に苛立ったことは後にも先にもこの小学生の6年間だけだ。大人になったら朝顔の鉢を持ち帰ることなんてないから本当に良かった。終業式までにいかに荷物を少なくできるか分割で持ち帰ったり捨てたりするものの、もちろん直前まで授業はあるし、そういう時に限って体操着を持ち帰り忘れたりする。そして朝顔の鉢。絶望だ。

ランドセルに詰めるだけ荷物を詰めるが当時のランドセルの頑なな伸縮性のなさ。ギチギチに教科書を詰め込み、ランドセルの脇に荷物をぶら下げ、蓋の部分に体操着、ピヤニカを挟み込み、間からリコーダーを差し込む。前にお道具箱を抱え、抱えた手の先で朝顔の鉢を持つ。これが小学校から一番遠い家に住むわたしの完全体であった。夏のランドセルは蒸れる。帰り道の中間地点である神社の裏にある水道で給水を挟む。ここの神社の水が世界で一番美味しいと思っていた。どこに行ってもついてくる坂を上がり下りしながら家へ向かう。

自分の無駄な我慢強さは、こういう何気ないことから構築されたのではと思う。歩かないと家にはつかないし、荷物を持ち帰らないわけには行かないし、暑いのは仕方がないし、自分ではどうしようもない条件は早めに割り切った方がいい。

駅からの何もかもから遠かった実家から離れて1年と半年以上経つ。

駅近最高!坂ないの最高!地元の知り合いいないの最高!
サイコ!サイコゥ!!サイコゥ!!!!!(by 空気階段 水川かたまり)

嫌なものはない方がいい。

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